134話 選出と事情
灰川は事務所に来ていた、昨日は藤枝と会って話をして食事を奢った後に普通に帰宅した。藤枝からは詳しい情報は得られなかったが、市乃たちには強力なお札やお守りを渡してあるから大丈夫だと言い含めておいた。
ハッピーリレー事務所は2日後に控えるVフェスの準備で忙しく、その分の文書入力や配信者スケジュール管理の通常業務が灰川に回って来てる。当初はフェスの業務は回って来ないから自分は関係ないとか思ってたけど、間違いだったらしい。
シャイニングゲートは人手が多いし業務の大半は守秘されてるから灰川に回って来ない、しかし正直に言うと利益などの観点からはシャイニングゲートの方が灰川を上手く使ってる感じはある。
そんな事を思いながら入力作業して漠然と過ごしてると、スマホにシャイニングゲートの渡辺社長から電話が来て今すぐ事務所に来て欲しいと言われ向かう事にした。
「灰川さん、2日後のフェスでデビューする子を追加で2人選んで欲しいんだ」
「えっ? 俺がですか?」
「そうだよ、以前に灰川さんに指摘された部分の解消が出来てない、そのためには会社以外の人に選んでもらって新しい空気を作り出したいんだ」
シャイニングゲートの本業事務所に来ると渡辺社長からそのように告げられた。
以前に灰川はシャイニングゲートのVtuberは似たような事しかやらなくなってると指摘した、それを払拭するために渡辺社長は運営と相談して新しい形のVtuberを出そうと画策、実行した。
最近は伸び悩んでた正規Vtuberを社内コラボ配信の回数を多くして、視聴者に普段とは違った配信で新鮮な面白みを感じさせて求心力を高めたりした。
一定の人気は得たし話題にもなってるが、それらはファンの内輪の話題になっており新規ファンが思ったより掴めてないそうなのだ。
そこで思い切って灰川にデビュー者を選出してもらおうという運びになったらしいが、灰川は「それはおかしいですよ」と言い含める。
「素人の俺に任せようなんて普通じゃないですよ、あんな指摘は厄介な素人の戯言くらいに思うのが当たり前っすよ!」
選んだ人が人気が出なくて失敗したとしても責任なんて持てない、そもそも灰川が選んで人気が出る可能性の方が低いだろう。
「それは心配ないよ、この話の裏を話そう。実は四楓院家の英明会長から電話が来たんだ」
渡辺社長が言うには四楓院から電話が掛かって来たそうで、灰川の事を冷遇したりしてないかと冗談交じりに聞かれたらしい。それを聞かれた瞬間に渡辺社長は自分の顔が青くなったのが分かったと言う。
もし灰川を冷遇してると言葉の端からでも感じられたら、シャイニングゲートは各種の圧力が掛けられる事になる。灰川誠二とは頼りになる強力な武器でもあるが、扱いを間違えたら爆弾になると改めて感じた。
芸能界に出れば四楓院家の力が本格的にモノを言う、ゴリ押しでも何でもして自由鷹ナツハは盤石な地盤を約束すると言われたらしい。他にも見所がある人材が居れば教えて欲しいとも言わたそうだが……そこには灰川が見込んだ人材という注釈が付けられる。
しかも染谷川小路も行く先は保証すると言われた。これが何を意味するかは灰川が見込んだ者は四楓院がお墨付きを出すが、そこに会社は含めないという意味だと渡辺社長は取ったと言う。以前にパーティーで英明と陣伍に会ったが、その時も灰川を見る目と自分を見る目は違ってたと渡辺社長は語った。
四楓院家からは金銭的な出資も確約されたようで、支援は有難いし、何よりも欲しいのはコネクションだ。四楓院家の後ろ盾があれば成功は約束されたようなもので、賭けみたいな芸能界進出戦略も必要なくなる。
つまり灰川を手中に収めてる限り会社は安泰と大きな躍進が約束されるが、離してしまえば窮地に立たされかねないという事だ。これはもはや灰川の意志とは関係ない事象になってしまってる。
「その支援は条件付きでね…灰川さんの名前を押し上げろっていう意向がある」
「そ、そんなの聞いて無いっすよ…!」
「明言はしてないからね、でも動向を見れば明らかだよ。デビューするVtuberを2名、灰川さんに選ばせろと暗に言われたんだから」
渡辺社長が言うには四楓院家は灰川の名を秘密裏に押し上げ、エンタメ業界やその他の世界で通用する看板に仕立て上げる腹づもりではないかと語る。そうする事によって灰川は2社に頼ることなく仕事の基盤が得られるし、確固たる地位を確立出来る。
娘を助けてもらった人への恩返しがしたいというのもあるだろうが、その他にも四楓院が得するカラクリがあるだろうと渡辺社長は語る。何よりも四楓院家が最大級の客人と認知する灰川が、世間の片隅で燻ぶっていては家の名折れだと考えてるかもしれない。
つまり灰川が名を上げなかったら四楓院家の名前に傷がつく、それでいて恩人だから縁切りも出来ないしするつもりも無い。ならば無理やりにでも灰川誠治という名前を強くする必要がある。
「それってつまり…欲目の誘いが多くなるって事っすよね…」
「そうなるね、自制心や欲望の抑制が大事になると思う。でも僕は灰川さんの力を借りたい、シャイニングゲートの名前をまだまだ大きくしたい、所属する子達に更なるステージを用意したいんだ」
Vtuberというコンテンツが100年続く物なのかは分からない、しかし新しい道を開拓して次なるコンテンツが出てきた場合、一早く乗れる態勢を整えておきたい経営者としての目的もあると渡辺社長は言う。
昭和時代にテレビが普及し出した時に『テレビに出てる奴らは3流、舞台俳優こそ1流』という風潮があったらしい。漫画が出た当初は『漫画は馬鹿が読む物、文学こそ読む価値がある』という風潮があったらしい。
それらを例に見ると同じ現象が配信やVtuberの世界にも発生してる。Vtuberが出始めた当初は『オタクしか見ないだろ』という意見も多かったが、今はこの通り大人気だ。しかしそういう世界で生き残るのは大変な事だ。
「ネットの世界はまだまだ発展する、その中で生き残っていくのは生半可な事じゃないんだ。清濁併せ吞む覚悟を僕は持ってる、だから力を貸して欲しい灰川さん」
「俺なんかをアテにし過ぎてたら痛い目を見るっすよ…」
灰川の肝入りとなった2名はイザとなったら四楓院家が裏から手を回して人気を上昇させるだろう、もちろん本人の努力は必要不可欠だし不自然な形にならないようにする筈だ。これによって灰川の目とコネは確かだとアピールできるし、名前に箔が付いてアイドルプロデューサーみたいな肩書を名乗れるようになるという。
ちなみにプロデューサーとは番組やイベントの企画制作や製作実行の資金集めを含めたプロデュース総責任者だが、アイドルプロデューサーはスカウトやマーケティング等の売り出しを行う人材プロデュースをする人の事を言うらしい。
これはダイヤの原石を見つけろと言われてる訳じゃない、誰をダイヤモンドにするのかお前が選べと言われてるようなものだ。
「選ぶのは今すぐだよ、フェスは2日後だからね。そこでデビュー披露をする、シャイニングゲート1社イベントでのお披露目は、同じ箱の視聴者を最大の形で奪う事になるから避けたいんだ」
「なるほど…サプライズお披露目って事ですか」
「急なデビューになるからアカデミー生の子達にとっては寝耳に水になる、取りあえずは67階のアカデミーホールに行こう。そろそろ受講生が集まってる筈だから」
シャイニングゲートの本業事務所は66階から68階までは育成アカデミーになってる、そこにシャイニングゲートのアカデミー受講生100人近くが一堂に会してるらしい。
急な話だから来れなかったアカデミー生も居るそうだが、それも社長は『運が悪かった』と言い含めた。こういう世界では運の良し悪しも重要なのだろう。
ホールに向かう途中に話を聞く、アカデミー階は実は普通に仕事に使う時も多々あるとか、ビルの上層のため構造上で設備関連の部屋が多くて使用できない場所も多いとか、そのくせ料金は高いとかの愚痴なんかも聞いた。しかし会社に箔を付けるためにも必要だとも言ってるが、その辺は人それぞれだろう。
他にも今は夏休み期間で時間が取りやすい中学生から大学生のアカデミー生の育成に力を入れてること、最近はシャイニングゲート入所希望者の数がやっと落ち着いて来た事も語られた。
「でも、こんな形でデビューって良いんですかね? 皆は努力して正規Vtuberになろうとしてるってのに、ポっと出の素人が選んだ子がデビューとか」
「灰川さんは既に業界に関わってるから少し本音を話すよ、Vtuber業界や配信業界は個人の努力や面白さだけで勝負ができる。でもそれ以上のステージに行こうとすれば、その他に必要な物が多くなるんだ」
ネットの世界では個人の面白さや才覚で勝負が出来る、今でもyour-tuberやVtuberが毎日のように話題に上り界隈を賑わしてる。まさに成り上がりのシンデレラストーリーが日夜繰り広げられる世界だ。
しかし長い目で見たらどうなのか?誰でも知ってる配信者なんて何人いるだろうか、10年間生き残れるyour-tuberが何人居るだろうか、どちらも全体数で1%すら居ないだろう。生存率1%以下、ハッキリ言って配信業界はビジネスモデルとしては破綻してる。
前までは動画1個で数千万再生だった人が、たった数年で動画1つにつき再生回数1万を割るような事になってる人も居る。人気だったyour-tuberが出資を受けて会社を立ち上げたが失敗し、今では何の話題にも上がらない人も居たりするそうだ。
個人の面白さや才覚は当然ながら大事だが、それだけで大金を稼ぐのは厳しくなった。全部が全部ではないが、ここからはネットの世界は今以上にプロダクションの存在が重要になると考えてると語る。バブルが終わり本当の意味での勝負が始まるという事だ。
「勝った負けたの世界は甘くないよ、とくに人気という水物を扱う商売は負けたら何も残らない。だから負けないために皆が必死なんだ」
「生き残り競争に負けたら急降下ですか、確かにそうかもしれないっすね…」
「生き残るというのは言い方を変えたら勝ち続けるっていう事だよ、その勝ちを灰川さんの力で2人が確実に掴める事になる。経営者としてはこんなに美味しい話は無いんだ」
現実は厳しい、華やかな業界の裏では熾烈な生き残りの戦いが繰り広げられてる。誰かが人気を得る裏で誰かが泣いている、誰かがバズる裏で誰かが『自分が先に考えてたのに!』と悔し涙を流しながら何者にもなれず消えていく。そんな世界なのだ。
シャイニングゲートの正規Vtuberは現在は100名と少しといった感じだが、平均視聴者登録数は105万人である。デビューが後になるにつれて伸び悩んでおり、業界は飽和状態になりかけてるという証明だろう。
最近は配信者の問題行動や問題発言での炎上も多い、もし炎上すれば数日で10万単位で視聴者登録が外されるし利益は激減する。人気を維持し続けるのも大変な苦労を強いられるし、会社のブランド力を保つのもVtuberや職員たちの賜物だ。
大きな会社の経営者は『自分の好きにやれれば満足』では済まされない、利益は何としてでも確保するという気概が無ければ看板は守れない。そのためなら時には媚びる事も必要だし、プライドだって切り売りしなきゃならないと渡辺社長は語る。
「社長になっても大変なんですね、前は社長職なんて椅子にふんぞり返ってるイメージしかなかったっすよ」
「灰川さんは日本の会社の10年存続確率は知ってるかい?」
「知らないですね、半分くらいですか?」
「6%だよ」
「6ぅ!?」
その確率を知ってしまうと生き残るためなら何でもしなければならないという気持ちも分かる、世の中の社長達は椅子にふんぞり返りながら血反吐が出ないように踏ん張ってるようにも見える。
「僕の気持ちが分かってくれたかな? 大体の人が負けてく商売の世界で生き残るなら、媚びる事も厭わないよ。もちろん灰川さんに助けになってもらう事も恥ずかしいと思わない」
「6…ってなったら、俺もそうするかもしれないっす…。理想論だけじゃどうにもならない世界なんすね…」
テレビなどで会社を興した人の話があったりするが、順風満帆に上手く行くのは一握りだそうだ。実際には10年どころか5年も持たずにリタイアが普通らしく、配信企業だって同じように明日は我が身だ。
企業Vtuberだって人気が出るかどうかは分からない、少し前に一斉にデビューした10名の新人たちも想定より登録者が少ないそうで、これからのデビュー生は苦戦が予想されてる。
そんな中で2人の新人が成功を確約される、仮に問題発言などで炎上しても強力な火消しが期待できる者が生まれる、こんなに美味しい話はないのだ。
綺麗ごとだけではやっていけない、その言葉が今更になって灰川に圧し掛かる。人気商売では誰に気に入られるかも重要だし、誰に選ばれるかも重要だ。
人気配信者に気に入られてコラボしてもらったら無名の人が爆売れしたとか、業界で有名なプロデューサーに気に入られてテレビに出れるようになった芸人とか、枚挙に暇がない。灰川は現在、選ぶ立場に立たされてしまった。
「さてホールに着いたよ、中には100人近くのアカデミー生が居る。誰を選ぶかは灰川さんにお任せするよ、誰を選んでも文句を言わないと約束する」
「わ…分かりました、恨まんで下さいね」
社長が中に入り灰川も続く、その瞬間に。
「「お疲れさまです渡辺社長!」」
アカデミー生たちが一斉に席を立ち挨拶する、その後に灰川の事を覚えてた数人が「灰川先生!」と続けたが、大半は灰川の事を話には聞いた事があるか顔を知らない生徒が多く、呼ばれる声は小さかった。
「皆さんお疲れさまです、急に呼び出してすみませんでした。ですが皆さんの今後に関わる重要な話があるので呼び出させてもらった次第です」
渡辺社長がよく通る声で喋る、講義机の椅子に座るアカデミー生たちは重要な話と聞いて少しざわついた。
「まずはこちらの方、シャイニングゲートの企業外部顧問を務めて頂いてる方の1人、灰川さんです」
「灰川誠二と言います、よろしくお願いします」
「「よろしくお願いします!」」
シャイニングゲートの外部企業顧問は灰川だけじゃない、顧問弁護士や顧問公認会計士などが居るそうだ。
灰川は一応はコンサルタント名目だが取締役の意思決定のために必要な知識の補填などは出来ず、実態は『人脈目当て顧問』であり、こういった目的で有力者と外部顧問契約をしてる会社は意外と多いらしい。
もちろんアカデミー生にそんな事は伝えない、彼女たちは会社の経営や内情などは極力は触れないよう講義してるそうだ。ナツハくらいになると話は別になる。
「今日は急遽、2名のアカデミー生がデビューする事になります」
「「「!!?」」」
この言葉を聞いた瞬間に100名近い受講生たちの目の色が変わる、中学生から成人まで年代は様々だが皆が一様に体に纏う気が強くなったのが見て取れた。
ここに集まってる者達は本気でデビューを目指して日夜の努力を欠かさない者達だ、中にはアカデミー生になって時間が経ってしまった者も居る。
毎日トークを磨き、ボイストレーニングを行い、歌唱のトレーニングも欠かさない、流行に乗り遅れる事無くアンテナを張り続け、いつデビューしても良いよう鍛えてる。
「質問を良いでしょうか社長!」
「はい、どうぞ堀川さん」
「デビューの時は該当者が呼び出されて伝えられるって聞いてたんですが、今回は違うんですか?」
「ああ、言い忘れる所だったね。今から説明するよ、ご指摘ありがとう」
早合点してしまったアカデミー生を嫌味とか無しに窘めつつ社長が笑いを交えて伝える、こういったいなし方に人間的な魅力が光っていた。
「今回は灰川顧問が2名を選出します、その2名にはジャパンドリンクのネットCM出演と単独広告の出演も約束されます」
「「!?」」
これは四楓院へ灰川を重用してますという姿勢を見せるためだ、こうする事によって得られる資本や信頼や人脈は計り知れない。経営者からすれば安い買い物なのだ。
「そ、それって特別扱いってことなんじゃ…!」
「すごいっ! そんなの前に正規デビューしたリュンちゃん達より待遇良いよっ」
「絶対に選ばれなきゃ…! こんなチャンス無いって…!」
「ここで受かればCMっ、しかもジャパンドリンクのCMってナツハ先輩とか、れもん先輩と同じステージっ」
アカデミー生からすれば千載一遇のチャンスである、降って湧いた話は都合の良い待遇、こんな事はまずない。
「その他にもプロモーションアニメの制作をミドリアニメーションに依頼、当社刊行の雑誌媒体書籍のVstyleでの表紙モデルも務めて頂きます」
「「!!」」
生徒達の驚きが止まらない、ミドリアニメーションは質の高いアニメを作る事で有名で依頼は簡単には出来ない会社だ。しかもシャイニングゲート刊行の自社Vtuber雑誌の表紙モデルも出来る。
これらは会社が強く押してくと言ってるような物だ、ナツハや小路ほどではないが強く支援するという事である。人気商売には贔屓も特別扱いも普通の事だ、それをデビュー時から受けられる恩恵は余りにも大きい。
尋常じゃない何かがあるのはアカデミー生たちにも伝わった、真剣さが段違いの空気が張り詰めている。
どういう展開にするか迷いましたが、こういう感じになりました。




