130話 大企業のビル 3
「これか…分厚い会議資料みたいな感じだな…」
灰川が集中して室内を感知すると、床下に隠されてた霊媒物を発見した。何かが書かれた多数の書類を纏めた物であり、強い念を感じる。
書類束をめくって中身を確認すると中には千人以上にもなろうかという人数の名前が書かれてる、それを見た矢野はビクンと反応した。
「これ…ジャパンドリンクにリストラされた社員たちだ…っ、他にも会社や上司から酷い扱いを受けて辞めさせられた人やクビにさせられた人も…っ」
「って言うか俺の名前もある…灰川誠二っ! 那須蔵倉業の派遣出向社員、完全に俺だ…!」
「誠治も入ってるのか、そういえば傘下企業に居たもんな」
「僕も知ってる名前がありますね、父がお世話になった先輩社員の方の名前があります。聞いた話だと部署異動で良くない扱いを受けたとか…」
この書類にはジャパンドリンクから酷い扱いを受けた職員や、強い恨みを持つに値する人の名前が書かれていた。灰川も書かれてる事に矢野は驚いたが、事情は知ってるので深くは聞かない。
ページをめくると次は記載された名前の順に、会社からどのような扱いを受けたのか、どのような道を辿ったのか、どのように人生が変わってしまったのかが書かれてる。
「どうやらジャパンドリンクには追い出し部屋があったようですね、他にも相当に悪質なやり口の晒し者仕事とかも」
「……はい、ありました。先代社長の時は職員の追い出しが酷かったですから、今の岡島社長になってからは是正されてきましたが…」
矢野が話し始める、どうやら室内に満ちる悪念の気味の悪さに灰川とタナカの説明を少しは信じたようで、会社の内情や先代社長が居た4年前までの事を聞く。
今のジャパンドリンク社長は人の話をよく聞いて仕事に反映させる手腕が高い人物だ、社員の声を聴き、客の声を聴き、取引先の声を聴いて社内改革に取り組み、社長就任から4年かけて今のような昔の悪い風潮を徐々に是正していき、企業利益と株価を底上げした。
社員から話や意見を聞くのも簡単ではない、社長や上司相手だと委縮して正直な声を引き出す事が難しいが、岡島はそういう部分を非常に上手くやれる人物だ。
いくら意見を仕事に落とし込む事が上手くても、正直な声を引き出せなければ意味がない。そういった意見を出せる雰囲気や社内風土を作るのも経営者の役割であり、才能や手腕が問われる部分でもある。
「今の岡島社長だって全てが良いわけでは無いですが、少なくとも職員の声や意見をしっかり聞いてくれる経営者です」
「僕も父から先代社長は不況を乗り切った実績はあるけど、人としては評価したくない性質の人間性だったと聞かされてます…」
前社長は世の中が大企業の倒産が相次ぐ恐ろしい不景気だった時代という事もあって、とにかく会社利益の保守だけを求めて最悪の事態にならないよう奔走した結果、会社内の風土を悪化させた。
時代が悪い、高度経済成長期の経営が尾を引いた、経済を悪化させた国や政治家が悪い、そもそも海外の巨大証券会社が倒産しなければ……そんな理由もあるが会社の風土が悪化した責任は社長にある。
苦境は乗り切ったが前社長は社内の環境に目を向けなかったし、自身も忖度の連続で成り上がったから問題視しなかった。その結果として生まれたのがお土産のルールや追い出し部屋という負の遺産だ。
会社の事は考えるが社員や人の事を部品としか思っておらず、要らなくなれば捨てるし気に入らない奴は重用しない。会社あっての社員としか考えず、社員あっての会社とは一切考えない人だった。
下は上に従うべし、それが絶対のルールとして染み付いていたからパワハラ、セクハラ、モラハラ等の労働問題など眼中にも無かった。クビしにしたい社員が居れば容赦なく追い出し部屋送り、イジメや密告が当たり前になり有能な職員でも何か文句を言ったら不穏分子扱いだった。
そのため社員の精神性は悪質性を帯びるようになり、陰湿で卑劣な事が行われても関心も興味も無かったし改善もしない、長年の仕事や人生経験が悪い方に作用した性質の社長だった。
「誠治が大学を卒業した時には今の岡島社長だよな? 先代の宮崎社長は退任してたはず」
「灰川さんが那須蔵倉業に在籍してたのは3年前ですね、まだ岡島社長も社長職に完全に慣れてない上に、先代社長のやり方や考え方が濃く残ってた頃の時期です」
書類を見ると灰川の事も細かに書いてある、灰川が就職したころは今の社長も労働意識が低く以前のような経営法を続けていた。
しかし灰川が仕事場から逃げ出した直後くらいからブラック企業問題が表出化し、そこから社内改革が始まったのである。当時は岡島社長も職員使い捨て方式の経営を問題視して無かったし今も反省は薄い。
今でこそ社員の話をよく聞く経営者だし、昔から後輩などにも好かれるよう努めた人物だが、社長就任直後はその部分は薄かったという訳だ。人間なんて誰しも良い人悪い人の二元論では語れないものだ。
「誠治も酷い目に遭ってるな…土下座にサービス残業強要、給料は実質最低賃金以下…。あ、職員の残業代は払った事になってるけど、社長の懐に全部入っちまってるみたいだぞ」
「あのクソ社長マジか…トコトン腐ってやがる…!」
書類には悪質労働被害の詳細が裏の事に至るまで書いてある、灰川に関する事も今まで知らなかった内容が出てきた。
「どのページ見てもヒデェこと書いてありやがる…」
「会社のマイナスの歴史ですね…」
当時の重役に意見して追い出し部屋に送られ来る日も来る日も重役への謝罪と反省文を書かされた千葉総務課長、無意味なルールに違反してイジメられて会社を辞めさせられた山中さん、他にも非道な扱いをされた内容がページを捲るごとに出てくる。
「内容が後に行くほど陰惨になってますね…矢野企画本部長、これ全部本当なんですか?」
「鹿野君、認めたくないが本当なのだと思う…私も知らない内容が多いが、知ってる内容は全部本当にあった事だよ」
中には会社を辞めさせられて一家離散した人、苛烈な追い出しをされて精神を病んで今も苦しんでる人、最後の方のページには自ら人生を終わらせる決断をしてしまった人の記録も記されていた。
この書類には会社への恨みや憎しみが記載されており、とても強い念を放ってる。これが霊媒物になって怪異を形成してるのが理解出来た。
「………」
「………」
「……」
「……」
4人は押し黙った、こういった悪質労働被害に遭った人たちがどんな思いを抱くのか、人生やそれまでの努力を否定された人たちが、会社に対してどれほどの憎しみを抱くのか改めて知った。
裏切り、騙し、弾圧、人類が始まってから今に至るまで数え切れないほど繰り返されてきた行い、その本質の一端を垣間見る。
灰川もその被害を受けた一人であり名前が記載されてる、自分のジャパンドリンクへ向ける恨みの念もこの場所を構成する一つの要素だが、そこに霊能力の強さなどは関係ない。純粋な恨みの念だけが集められてるようだ。
灰川は思う、自分より遥かに酷い目に遭わされた人達が大勢いる、中には取り返しが付かないほど人生が壊れてしまった人たちも居る、そんな事をしてきた所を助ける価値なんてあるのか?
「誠治、分かってるな?」
「ええ…分かってるっすよ、これを祓わなきゃ酷い被害が広がってしまう。国家超常対処局が動いても遅れちまえば被害を完封は出来ないっすから…」
闇部屋の被害は誠治が見た文献によると恐ろしい物だった、完成怪異となった闇部屋の被害に遭った人たちは、とにかく報われない最後を迎える事が予測される。出れない部屋に閉じ込められて狂った最後を迎えるのだろう、そんな事が許されて良いはずが無い。
放っておけばジャパンドリンク以外の人達にも被害が及ぶ、それは回り回って自身の大切な人に被害を及ぼすかもしれない。風が吹けば桶屋が儲かる、その理論は不幸や禍にだって適用されるのだ。
「すぅ~~……はぁ~~……」
灰川は先程にタナカが実践したボックス呼吸法をして心を落ち着ける、それから昔に教わった事を思い返した。
誰かを助ける事に価値を見出してはいけないと灰川は教わった、恩が返ってくる事も期待するな、たとえ恩が仇で返ってこようと悪しき性に傾くな、呪いを使役する者は常に無意味にこそ意味を見出せと教わったのだ。
禅の心という何事にも動揺しない心を是とし、物事の分別に過度に捕らわれる事無く、仏教における無分別という物事の真理を見れる状態になれるよう努めろと言われた。それらは『悟り』と呼ばれる物であり、生涯を懸けても獲得できない事が大半だ。
「仏性は万物に宿るが、それに捕らわれる事なかれ、仏を特別視する心こそが悟りから人を遠ざける。悪念も悪意も同じなり、俗世にはあって当然のもの」
「灰川家の教えか? 禅宗の教えに似てるな」
「いや、宗派の違う地元の和尚から教えられた事っすよ、昔は意味が分からなかったけど今は少し分かる気がするっす」
意味も価値も善も悪も人が作り出す、そこに捕らわれ過ぎれば物事の本質を見失う。今この場での本質は『放っておけば誰かが悲しむ』という事だと灰川は判断する。
「祓います、この恨みたちを晴らします」
「そうか、手は要るか?」
「いえ、この祓いはタナカさんの経歴だと難しいでしょう」
灰川は恨み辛みの書かれた書類を部屋の真ん中の机に載せる、そこから少し離れた場所に綺麗に順を守って正座した。
この怪異は恨みを晴らしたいがために生まれた怪異だ、それ故に恨みの対象を襲い不幸に陥れる。だが結局はそれでも恨みは晴れないのだ、復讐を果たしても悪念は消えない。
決して晴れない恨みを晴らそうとして被害を広げ、その内に無差別に人を不幸にする怪異と成り果てる。ではどうすれば恨みが晴れるのか、灰川が出した答えはこれだった。
「ジャパンドリンクの労働被害にあった皆さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございます」
「皆さんの尊い苦労と努力の積み重ねでジャパンドリンクは存続し、そのおかげで紛争地帯の多くの人達が救われました」
「皆さんのおかげで罪のない多くの子供達が助かりました、妊婦の方が無事に赤ん坊を産めました、疫病の蔓延が防げました」
「私もブラック労働の被害者です、だからこそ皆さんの恨みが分かります。皆さんの耐えた苦しみが分かります」
「それでも皆さんの苦しみによって救われた大勢の人達が居ます、どうかその事を誇って下さい、皆さんの働きは無駄でも無意味でも無かったのです」
灰川は悪念に語り掛ける、背筋を伸ばして正座し、霊力を込めて彼らの働きによって救われた人たちが居る事を伝える。
一見すればブラック労働の被害を受けただけのように見えても、その働きによって救われた人たちや支えられた人たちが確かに居るのだ。
労働とは働いて対価を受け取るという事だ、その対価とは誰かを支えて助けた証であり、決して無意味な物では無い。ブラック労働は対価を払わず非人道的な扱いをする事だ、誰かを助けた人を無下にする行為であり恨んで当然である。
その恨みを晴らすにはどうすれば良いのか、悪念に金は受け取れない、人身御供を差し出す事も出来ない。ならば彼らが本当に欲しかったもの、自分でも気づけなかった本心にソレを伝えるしかない。
灰川は正座した正面の床に綺麗な動作で手を付き、静かに、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、多くの人達の助けとなり支えとなった皆様の先に、どうか多くの幸があらんことを」
正座礼、いわゆる土下座である。この礼作法は現代では情けない格好や屈辱の代名詞みたくなってるが、本来は深い感謝や謝意を示す正しき作法である。
灰川の正座礼は美しく、感謝と良念が強く伝わり、タナカも矢野も鹿野も見惚れるほどであった。正座礼は灰川家では強い恨みを持った悪念に対する祓いの方法の一つであり、何度も練習させられたから今もしっかりと出来ている。
感謝を示す、それは『報われる』という念を悪念に与える儀式の一つだ。ただ恨むしか道が無かった悪念は、灰川の強い陽の霊力が籠った正座礼と感謝の言葉により、今まで報われてこなかった辛さが報われて救われた事によって浄化されたのだった。
「えっ? ド、ドアが開きました! 絵じゃなかったのか!?」
「これで出られるんだ! 助かった!」
灰川が顔を上げると部屋の中に机も書類も無く、事務資材がそこら辺に置かれた倉庫の中だった。
「誠治、立派だったぞ。この祓いは兵士として戦場に居た俺では無理だったろうな」
「いえ、タナカさんの話を聞いてなかったら上手く払えてなかった可能性が高いっすから」
タナカは過去に戦場に居たし裏社会に身を置いてた事もあり、人には言えない事をやって来た可能性が高い。そういう人物ではこういった祓いは難しいのだ。
「不思議な事って本当にあるんですねぇ…こんな経験は初めてでしたよ」
「今回の怪現象は非常に稀なものですよ、普通は人生で一回だって遭遇するような物じゃないです」
「田中さんは父と知り合いなんですか?」
「え、あ~まぁ、そんな感じですかねぇ」
部屋から出ると、入る前は追い出し部屋と書かれてた札には『事務倉庫』と書かれてあり、やはり怪現象が発生してた事が伺える。
「そういえばこの部屋は、何だったんでしょうか? やっぱり以前は追い出し部屋として使われてたとかですかね…」
「鹿野君、今回あった事は職員には口外しないで貰いたい、出来れば君の父さんの鹿野海外事業部長にも」
矢野が言うには実はあの部屋は過去に追い出し部屋として使われてた事があったらしく、過去にはあの部屋が職員の恐怖の象徴みたいな場所だった事もあったらしい。
そこに恨みの念が蓄積して増幅して、あのような事になったのかも知れないが真相は今回も完全には分からない。
「灰川さん、ありがとうございました。今回の件は本当だったと実感しています」
「そうですか、でも別に無理に信じる必要はないですよ」
「いえ、あの書類を見た時に元同僚の事が書いてあったのですが、そこに元同僚と私しか知らない事が書かれてましたので」
矢野は灰川に頭を下げる、もう灰川の霊能力を疑ってはおらず、鹿野も同様に頭を下げた。
「最後に4人で部屋の前で礼をして行きましょう、タナカさん音頭お願いします」
「俺で良いのか? まぁ分かったよ」
4人が並び立ってドアに向き合う、礼の指揮はタナカに任せる事にした。かつてジャパンドリンクに救われた彼が適任だと感じたからだ。
「総員気を付け! かつて苦難に遭いつつも、ジャパンドリンク社員として大勢の命を救い支えた方々に! 敬礼!」
まさかのお辞儀方式ではなく、軍隊形式の敬礼だった。タナカにとっての礼とは敬礼なのである。
それぞれ映画やドラマで見た形を真似て敬礼を捧げる、タナカ以外は少し不格好だったが4人の感謝の念は伝わった事だろう。
誰かを助けた事はありますか?貴方が助けた誰かが他の誰かを助け、その人が大勢の誰かを助けるのかも知れません。
矢野に案内されて灰川は3社合同会議が行われてる企画会議室に来た、タナカと鹿野は仕事に戻ってる。
最初に挨拶とかをしようと思ったが、ジャパンドリンクの社長が灰川に向かって来た。
「初めまして灰川さん、ジャパンドリンク代表取締役社長の岡島で…」
「こんにちは、灰川コンサルティング事務所の灰川です、このクソ……この度はどうも」
喉元まで出そうになった言葉を灰川は飲み込む、額には青筋が浮かび瞳孔は収縮して、何処からともなくビキビキッ!という音が聞こえそうな雰囲気すらある。隠しきれない灰川の雰囲気に岡島はたじろいだ。
ビルの怪異は祓ったし、悪念も浄化された。だが別に会社がやって来た事の罪が消える訳でもないし、被害に遭った人たちの根本的な恨みが消える訳でもない。
灰川だって同じだ、悟りの境地に至った訳でも無ければ、恨みが消えた訳でもない。それはそれ、これはこれといった感じだ。
内心では「お前が俺をあんな目に遭わせた元凶かぁぁ~~~!!」という思いがある。




