126話 恨みと恩
「そりゃ酷い目に遭わされたな誠治」
「だからちょっと嫌な気持ちになっちゃったんすよ…」
灰川がタナカを知り合いですと社長達に軽く紹介してから、2人でカフェの外に出て少し話をしてる。
「傭兵やって闇霊能者やってたタナカさんからすれば、俺の体験した事なんて大したもんじゃないでしょうけどさ」
「いや、戦場で感じる辛さと社会生活で感じる辛さは種類が違う、終わりの見えない地獄なんてそうそう耐えられるものじゃない」
タナカは灰川の事情を聴いて同情してくれた、身近に居る者達に終わりなく絶え間なく悪意を向けられ続けられるのは簡単には耐えられない。
軍隊の厳しい訓練は仲間と支え合い、ゴールが見えてるからこそ耐えられる。戦場だって気を抜く事は出来ないが戦いっぱなしなんて事は滅多にないし、敵地の民間人に悪意を向けられる事はあるが、融和策や食糧支援など倫理に基づいた解決策はあるのだ。
しかし灰川が置かれていた状況は『悪意を向ける事そのものが目的』という状況、つまりはイジメである。解決策は無いし逃げるしか方法がない。
戦場であれば殴ったり証拠を残さず後ろから撃つ事もその気になればタナカは出来る、そもそも軍規が機能してる軍隊であれば懲罰対象となる。しかし一般社会はそうじゃない事はタナカだって知ってる、普通の人はそういう状況に立たされたら精神的にも対処は出来ない。
「そういうのは完全にやられ損の世の中だからな、法律に訴えても時間も金もかかるし、大体は証拠不十分とかで起訴にならないか端金しか取れん」
「俺も訴訟を考えたけど、やっても意味がないって知って泣き寝入りっすよ…仮にニュースになったとしても会社にダメージなんか無いし、慰謝料が取れても数十万っすから」
「今も似たような職場で苦しんでる人は多いんだろうな、気分の悪い話だ」
学校や職場でのイジメや悪質労働の問題は今だって多い、表に出てない悪い話もゴマンとあるのだ。そんな中で灰川と同じ目に遭ってる人達も居るだろう。
「俺は正規軍隊に居た事は無いが、傭兵部隊では勝てない敵から逃げる事は恥じゃないと教えられた。もちろん場合によりけりだが、対応策が無くて依頼者や守備対象に被害が出ないなら逃げるのが正解だ」
「そうですかね…」
「敗北が決まってる以上は重要なのは逃げ方だ、誠治の失策を挙げるとするなら撤退の判断に時間を使い過ぎた事だな、そのせいで自身への精神的な被害が広がってしまった」
「……っ」
「よく戦場は地獄だと言われるが、平和な社会生活だって地獄になる事がある。どちらにせよ生き残る事が大切だ、誠治は限界まで戦ったんだ。胸を張れ」
タナカは戦場の論理を灰川に押し付ける事はなかった、ヤバくなったら逃げる事も大切だと説いたのだ。傭兵は金で動く、割に合わないと思ったら仕事は受けないし、依頼者が嘘を付いてたら任務は放棄する。そう灰川に語った。
同時に『逃げるべきでない』と自身が感じたなら直感に従えとも言われた。
タナカは過去に大規模紛争難民キャンプの護衛を国連軍が来るまでの期間、貧しい国から依頼され任務に就いたが、最後の1か月分の依頼料を払えないと言われた事があった。
続々と民間軍事会社が期間いっぱいで撤収していくなか、タナカ隊を含む少数の傭兵部隊が隊員たちからの訴えもあり、飢えや病、家族を失った悲しみに耐える人達を見捨てられないという理由で自費残留してキャンプ護衛に当たり、武装勢力や敵対勢力から守った事があったのだ。
「逃げたら自分の正義が失われると感じた時は逃げるなよ、善悪の彼岸を渡ってしまえば誠治のような奴は必ず後悔する」
「そんな事があったんすね…少し元気が出たっすよ、ありがとうございましたタナカさん。でも何でここに居るんすか?」
「ああ、すまんが任務の内容は例え相棒であっても~~……」
タナカがここに居る理由を喋るのを拒否しようとした瞬間、企画本部長で灰川接待役の矢野が近づいて来た。
「おい、そこの警備員! その方は大事な客人だぞっ、怪しい所は何も無いからさっさと戻れ! は、灰川さんっ、当社の警備員が大変失礼を……」
「タナカさんは俺の相棒みたいな人ですよ、仕事の邪魔をさせてしまったようですみません」
「えっ? ええっ!!?」
「すいません矢野企画本部長、誠治…知り合いが見えたもんですから挨拶をと思いまして、すぐ戻りますんで」
矢野は社長と副社長から、すぐに警備員を引きはがせと言われて来たのだが、まさか灰川が警備員と知り合いだなんて思わなかった。普段ならそう思ったかもしれないが、今は精神状態が普通じゃないから焦って高圧的な言い方をしてしまった。
四楓院家に絶大な信頼を置かれる灰川が相棒と言った警備員に雑な口を聞いた、またしてもマイナス行動を取ってしまったのだ。しかし灰川とタナカにも職務中に場を離れたという負い目があったから気にしてないが、業務委託してる他企業の者にこういう口を聞いたのを見て良い印象は持たない。
「準備が終わったんですね、皆を呼んできますんで」
「は、はいっ、お願いしますっ」
灰川はタナカと話した事によって少し元気を取り戻し、顔色もさっきよりは良くなった。今は空羽たちの大型案件や自分の仕事をまっとうしようという気持ちになれてる。
しかし矢野はそっちの仕事はどうでも良いと思ってる。Vtuberに頼むCMの内容はほとんど決まってるし、灰川に頼む除霊なんてウソっぱちの仕事なのだ。
本当の目的は灰川に取り入って四楓院家の信用を戻す事だったが、今はどうやって灰川の機嫌をこれ以上損ねずに、せめて少しでも良い印象を持ってもらう事になっていた。
「田中さんと言ったね、灰川さんと仲が良いなら着いて来て欲しい! 特別手当も出すと約束する」
「え、まぁ本部長が言うなら良いですけど」
こんな話がされてる間に灰川が社長達を連れて来て事が進む、ここからはVtuber企業案件組と灰川とタナカに分かれて仕事をすることになった。
既にCMの内容や話はまとまってるとはいえ、ジャパンドリンクの要望やイメージを聞かなければならない。社長達はVIP扱いだが、仕事に関しては妥協はされない。そこに関してはジャパンドリンク社長も副社長も、宣伝部や企画部に言い付けてある。
灰川にはちょっと除霊させてから、今まで多くの要人を籠絡してきたジャパンドリンクの『一級政治家級接待』の更に上、会社の全てを懸けた前代未聞の『リミット解除・極限接待』をして灰川に取り入ろうと画策している。
「じゃあ灰川さん、また後でねっ」
「顔色良くなって安心したっす!」
「早めに終わって体調が良いようだったら、僕らの方に合流してもらいたいな」
Vtuber組とはいったん別れてそれぞれの仕事に当たる、灰川は矢野とタナカと一緒にジャパンドリンク本社の中を案内されつつ怪現象の原因を突き止める事となった。
「矢野さん、ここでどういった事が起こってるんですか?」
「それはですね、実は~~……」
矢野が話したのは本社内で起こってるとされる出来事だった。
何も無い部屋
ここ最近のジャパンドリンク本社では、どこかの部屋に入った社員の数名が体調と精神に異常をきたして退職したり、長期休職したりする事が相次いでいた。
その部屋は入った者が言うには何も無い部屋らしく、部屋を間違えたと思ってすぐに出るが、その後に体調に異変が出たと同じように話したのだ。
後から探そうとしてもその部屋は見つからず、何処にあったかも思い出せないと口を揃えるように言い、入った時は何も感じなかったが後で思い出すと怖くてたまらないとも言っている。
最初は単なる噂話程度にしか誰も思ってなかったが、同じような話が接点も何も無い複数の社員から出た。寺の住職を呼んでお経を上げてもらったが、まだ社員の体調は回復しておらず、その後にも入ってしまったという社員が出た。
「このような話なんですが、解決できそうでしょうか?」
「う~ん、まだ何も見てないから何とも言えませんね」
調子を戻した灰川が少し考えるが、この話だけでは判断が付かない。
矢野は説明はしたが実際には信じておらず、社長たちもお経を上げたのだから格好は付いてるし、怠け者が休む言い訳に噂を利用してるくらいにしか思ってないのが現状だ。
しかし会社幹部で20年以上も真面目に勤めて来た会社幹部、社長を初めとした多くの人が信頼する販売部本社部長が、同じ事を言って休職しており「まさか…」という空気が広がりつつあるのも事実だった。
「誠治、ちょっとトイレに行きたいんだが、お前は行かないか?」
「えっ? あ、じゃあちょっと行って来ます、すいません矢野さん」
「いえ、そこにありますので、ごゆっくりどうぞ」
タナカにトイレに誘われ着いて行く、トイレの中は大企業らしく清潔で清掃の行き届いた内部だ。そんなトイレでタナカから話を聞かされた。
「実はな誠治、さっきの話は本当で既にシャレにならん被害が出るかもしれん兆候がある」
「えっ…? どういう事なんすかタナカさん」
「さっき局に連絡を取ってお前に会った事を話したら、任務の概要を話して了承したなら協力を要請せよと言われた。話を聞くか…?」
「聞くっすよ…何が起こってるんすか…?」
タナカの表情は至って真面目だ、この建物の中で何か予想もしない事態が発生してるらしい。国家超常対処局が出てくるという事は表には出せない何かという事だ。
灰川は既に国家超常対処局の準協力者として認知されており、任務内容を話す許可が下りたのだ。
「この場所で発生してる怪異は伝染拡大型怪異だ、正直言うと俺一人の手に負えるかどうか怪しくてな、対策を考えてた所なんだよ」
「伝染拡大型…全国単位で被害が出かねないって事っすか…」
このタイプの怪異は過去に『都市伝説:幽霊列車』として広まり、何人もの行方不明者を出した型の怪奇現象で、ここで発生してる怪異も同じ種別の物だとタナカは言う。
非常に危険度が高い怪異種別だが、まだ本格的には発生してないから対処は可能だとの話だ。しかしジャパンドリンク本社は警備員として潜入しても行ける場所が限られ、夜勤などで人が少ない時の隠密行動でも動きが制限されて思うように事が運んで無いらしいのだ。
しかもこの任務はタナカは絶対に失敗できない理由があるそうで、それを灰川に話してくれた。
「さっき難民キャンプの話をしただろ、国に金がなくて国連軍が来るまで傭兵を雇えなかったってよ」
「ええ、それがどうしたんすか?」
「あの時に難民キャンプに最後まで食料と清潔な水や栄養飲料を届けてくれたのは、ジャパンドリンクだけだった」
「っっ!!」
その難民キャンプでは食料も水も不足していた。金が払えなくなって食料も水も届かなくなったが、ジャパンドリンクだけは国連が介入するまで、大金を使って難民キャンプに清潔な食料と水を届けてくれたのだ。
水も食料もタダではないし多額の輸送費も掛かる、特に清潔な水など望むべくもない即席難民キャンプであり、汚染された水で命を落とした人たちが多数居た。そんな中でジャパンドリンクだけは残留した傭兵たちの必死の要望に応え、支援を続けてくれた。他の団体は全て支援継続を断ったにも関わらずだ。
キャンプの守備勢力が居なくなり輸送人員の安全が確保できず、国際NPOも支援継続を断る中で、ジャパンドリンクは自費で護衛を付けて物資を運んでくれた。紛争地域や法律が機能して無い場所では、身の安全は高い金を出して買う物なのだ。金があっても国際的な理由で護衛を雇えない場合などもあると言う。
そのおかげで助かった難民は多い、ジャパンドリンクが届けてくれた清潔な水のおかげでタナカがキャンプで知り合った妊婦が無事に出産できた、それを知った時は涙を流しそうになったという。
餓死寸前だった子供が助かった、国際法を犯して医薬品を隠して持って来てくれて、そのおかげでコレラや破傷風などの感染症に対策できた。今でも感謝の念は尽きない。
「その時に大変に世話になった鹿野さんって人が被害を受けた、放っておけば鹿野さんも、その家族も不幸な目に遭う可能性が高い。あの時の恩を返すため、俺は命に代えても任務を果たす」
タナカは過去にジャパンドリンクに恩があった、その時の恩人を助けるために命をも懸けると言う。
誰かが恨む存在は誰かの恩人かも知れない、誰かが憎む存在は誰かの救い主かも知れない、ジャパンドリンクにトラウマを持つ灰川にとっては複雑な思いが押し寄せた。




