109話 業界2位所属の子
小児科病棟での入院児童向けイベントの時間が来て、灰川は岡崎先生に案内されて病院内を歩く。ちゃんと白衣に着替えて医療関係者に見える服装だ。
「ここから小児病棟だ、私はいつもここで働いてる」
「思ってたより広いですね~、流石は大学病院だなぁ」
病棟内を歩くと内装も子供向けに目に優しいグリーンやピンクの色合いで、動物やキャラクターの描かれた医療ポスターなどが貼ってあり、一般病棟とは雰囲気の違いが見て取れる。
「岡崎せんせー! 夏やすみお話し会どんなお話しするのー!?」
「せんせー! 今日ねっ、ケーキとアイスたべたんだよー!」
「おお、そうかそうか、美味しかっただろう? 今日は楽しいお話しや、ちょっと怖~いお話が聞けるんだぞ、良い子で待ってるんだよ」
「「うん!!」」
普段は病院着を着てるであろう入院児童が、今日だけはお母さんが持って来てくれた浴衣姿で院内を歩いてる。子供たちは満面の笑顔を浮かべ、普段は病魔と闘い続ける悲壮感は無かった。
「元気な子たちでしたね、岡崎先生も好かれてるみたいですし」
「ここに入院してる子たちは皆、私の子供同然だ。注射の時は嫌われ者だがね」
「注射は子供の嫌いなもの第一位でしょうから、そこは仕方ないっすよ」
そんな話をする岡崎先生はどこか嬉しそうに、少しだけ自慢気に子供たちを見送る。やはりあの子たちを先生は本当に自分の子供のように思ってるのだ。
「死に瀕する小児疾患は稀だが、マジクの書か…本当にそんな物があれば良いのだがな」
「なら岡崎先生が治してあげりゃ良いんですよ、四楓院さんも岡崎先生を頼りにしてるんですし」
「そうだな、四楓院家で灰川君には心意気を学ばせてもらった。それに院内には私以外にも優秀な小児科医が並んどるからな」
国立東京住倉医科大学病院の小児科は日本小児医療の砦の一つとすら言われる場所だそうだ。
小児悪性新生物治療の権威の宮川医師、小児重篤アレルギー治療の第一人者の乃木塚医師、仕事で稼いだ金をそのまま小児医療研究に注ぎこむ田宮医師、自分より才能も努力も熱意も遥か上の部下たちが揃い踏みしてると岡崎先生は言う。
「じゃあ安心っすね、会った事もないのに頼りになるって分かりますよ」
「ふふふっ、その分、一癖も二癖もあって苦労も多いがね」
そんな話をしてるとスタッフルームに案内された、中は意外と狭くて荷物とかも置いてある。患者たちから見えない所は普通の職場という雰囲気だ。
「こ、こんにちわ、今日はよろしくお願いしますっ」
「よろしくお願いします、あれ? 子供…?」
スタッフルームに入ると中学生くらいと思われる女の子が居た、制服を着てるから患者じゃないのは分かる。夏休み中だが部活とかだったんだろう。
「ああ、すまない灰川さん、この子は乃木塚先生の娘さんでな、四楓院家に来たあの子と同じVtuberという奴をやってるそうなんだ」
「ええっ? そうなのっ?」
「は、はいっ、よろしくお願いしますっ、乃木塚 愛純ですっ」
かなり緊張した面持ちで挨拶された、灰川も名前を名乗り自分は医者じゃなくて患者だけどイベントに協力する事になったと話す。
愛純は母親がここで医師として働いており、そこからVtuberとしてイベントに参加して欲しいとお願いされたそうだ。
「愛純君、灰川さんはVtuber関係の仕事をしておるんだ、確かハッピーリレーと言ったかね?」
「えっ? 灰川さんって、もしかしてっ…あの灰川さんですかっ?」
「まあそうだね、今はシャイニングゲートも取引先だけどさ」
どうやら愛純は灰川の事を知ってたようだ、もしかしたら界隈で少しは名の知られる人間になったのかなと、ちょっと凄い奴オーラを出しながらシャイニングゲートの名前も出してみる。
「灰川さんのお名前はライクスペースでも、滝織キオン先輩のストーカーさんだって有名ですっ」
「ちょ! 愛純ちゃんライクスペースの子なの!? うわぁ~~、俺ってそんな感じで名前が広がってんのかよぉ! 勘違いなんだって!」
過去にライクスペースで起こした問題の誤解を解いたりして、勘違いだと説明が終わった時には互いの事をある程度は話せてた。
「そんな事情があったんですね、霊能力者さんなんですか、変なこと言ってごめんなさいっ」
「いや、こっちこそ悪いって、ライクスペースさんに気持ち悪がられるのも無理はないって思ってるから」
愛純は中学1年生で、つい先日にライクスペースからVtuberデビューを果たしたそうだ。まだド新人で学ぶべき事は多いようだが頑張ってるらしい。
花田社長から聞いた話によるとライクスペースは企業としての迷走が始まってるらしく、明らかに未熟な者をデビューさせたり、配信者への締め付けや圧力が強まってると聞いた。かつてのハッピーリレーのようになって来てる可能性がある。
もちろんそんな事は愛純には話さない、憧れであろうVtuberデビューが叶ったのだ。その嬉しさに水を差すような真似はしたくないし、確定情報でもないのだ。
「愛純君は以前はここの患者だったのだよ、今は使われてない病棟の頃の話だがね」
「はい、岡崎先生にはお世話になりました、おかげで今は元気です」
明るい声で言う愛純に入院してたという雰囲気はない、病気は完治したそうで今は岡崎先生も認める完全健康体だそうだ。
「ところでVtuber名は何て言うの? せっかくだから知りたいんだけど」
「えっと…でも会社があまり人に話すなって…」
「あ~、そっか、そうだよね。ゴメンゴメン」
ハッピーリレーもシャイニングゲートも同じような体制を敷いており、ライクスペースも同じようだった。
「愛純君、イベントの時に名前は知られるんじゃないかね?」
「あっ、た、確かにそうですねっ」
どの道に名前は知れてしまう、灰川も絶対に人に漏らさないと約束した上で教えて貰う事になった。その時に岡崎先生はイベント準備に呼ばれてスタッフルームから出て行った。
「私のVtuber名は薙夢フワリです、まだまだ駆け出しですが、覚えて頂けると嬉しいです」
「おう、今度シャイニングゲートとハッピーリレーの社長つれて、ライクスペースに引き抜きに行くぜ!」
「あははっ、そうなったら大騒ぎになっちゃいそうですっ」
冗談を交えつつ会話していくと、愛純は凄く優しい子なんだと分かる。声が柔らかくて安らぐし、言葉遣いや言葉選びも丁寧だ。丁寧で優しい雰囲気と言えば灰川の中では北川ミナミが先に来るが、ミナミより雰囲気は幼く無邪気な感じがする。
可愛い子だなと灰川は思う、セミロングの髪形も似合ってるし笑顔が優しい。どこか安らぐ雰囲気を感じさせる子なのだが、何か独特な雰囲気も感じる子だ、その何かはまだ分からない。
「ライクスペースさんも色々やってるよね、最近もデビューする子も増えてるみたいだしさ」
「はい、私も願黄夜ノンさんと黒須歩フルクさんと一緒にデビューさせてもらいましたっ」
どうやら愛純も最近のゲリラデビューを果たした一員のようだ、ライクスペース運営は最近は利益アップに拘ってると聞いたが、その一環の動きなのだと感じる。
「灰川さんは患者の子たちの前で普通にお話しするんですよね、どんな話をするんですか?」
「ああ、俺はちょっと魔法の本に関する話だよ」
「魔法の本というと最近、ここで流行ってるっていうマジクの書でしたっけ? その注意を含めたお話しですか」
「えっ、良く知ってるね。そういえば愛純ちゃんはお母さんがここの医師なんだっけか」
そうでなくとも愛純はここに入院してた経験があるのだから、何らかの話で知ってても変ではない。
「私は本当にどんな病気でも治る魔法の本があったら良いなって思います、私も入院してましたから」
「そうだね、でもそのせいで子供が危険な場所に入ったりしたら危ないから、夢と病気に打ち勝つ心を失わないように話すつもりだよ」
「お願いします灰川さん、一緒に病気と闘ってる子たちを元気にしてあげましょうっ、私も普段の配信の調子が出ないように気を付けますっ」
そうこうしてる内にイベント開始の時間が来る、大学病院小児科主催のワクワク子供お話し会の始まりだ。
既に参加児童は子供たちの症状に合わせて選んだお菓子やジュースを渡され、普段とは違うお祭り風の飾り付けがされた病棟ホールに集まってる。
症状が酷くて参加できない子も居るようだが、そういった子たちには後で絶対に埋め合わせをすると岡崎先生は語っていた。
「こんにちは、灰川です」
「よろしく、小児科医師の立山です」
「看護師の前田です、お噂はかねがね」
灰川の自己紹介もそこそこに今日に子供に向けて話を披露する人達が集まる。
「今回参加させて頂く乃木塚 愛純です。立山先生と前田看護師長は私のこと覚えてますか?」
「忘れる訳ないじゃないか、愛純ちゃんが退院した時は泣きそうになっちゃったよ。あの可愛い悪口が聞けなくなるのは残念だってね」
「そもそも乃木塚先生の娘だし、元気にしてるのは聞いてたけど、大きくなったわね」
愛純にとっては久しぶりの再会だ、病院の人達も覚えてるようで、見てて微笑ましい気持ちになる。
愛純の母親である乃木塚医師はイベントに参加できない児童たちを診る仕事があるそうで、イベントには参加しないようだ。
「じゃあ、そろそろ始めますよ。トップバッターは愛純ちゃんからだね」
「はい、では用意してきますので」
愛純はVtuberとして話を披露するのでスタッフルームで話して、ホールにプロジェクターで映すらしい。トップバッターになった理由は愛純が希望したかららしい。
最近は入院してる子たちの間でもVtuberの存在が知れて来て、楽しく視聴したり憧れたりする子が多いらしい。そこに目を付けた岡崎先生がここを退院してVtuberになった愛純を呼びたいと言ったそうだ。
灰川はホールを見てみると、浴衣を着た子や、少しお洒落をしてる子、症状などの問題で病院着のままの子、色々な子が居る。車椅子の子もいるし、点滴を下げた子もいる。
だが子供たちの顔に悲壮感は無い、いつもは病魔と闘う日々を送っていても今日は楽しいお祭りの日だ。美味しいお菓子にジュースも飲める!普段は注射を打ってくる怖い先生も、今日は笑顔で子供たちを楽しませる日なのだ。
「みんなー! Vtuberに会いたいかー!」
「「うん!!」」
「「会いたーい!!」」
「「ぶいちゅーばーになりたーい!」」
「そんな皆に今日はVtuberが会いに来てくれたぞー!」
ホールの中は子供たちの声でいっぱいだ、保護者の人達も自慢の我が子が普段と違って楽しい声を上げてる所を優しく見守ってる。
中には興味ないみたいなスレた態度の子もいるが、楽しい気持ちは感じてるようだ。娯楽が少ないこういう場ではイベント事は大小関わらず楽しまれる。
「今日来てくれたのは皆も大好きライクスペースのVtuber! 薙夢フワリちゃんだー!」
司会の陽気な看護師が名前を言ったと同時にプロジェクターが作動して、スクリーンに愛純こと薙夢フワリが姿を現す。
フワリの容姿はセミロングのライトグリーンの髪形に、水色などの優しい色を基調とした衣装の姿だ。本人に感じる雰囲気を大事にデザインされた出で立ちだと感じる。
『こんにちわっ、ザコのみなさ……んんっ、げほっ、! こんにちわ! 薙夢フワリだよ、みんな今日はよろしくねっ』
「かわいいー!」
「初めて見たかもー」
「すごーい!」
先程の準備の間に灰川は少し薙夢フワリの事を調べた、視聴者登録は5万人と業界2位のライクスペースの新人としては充分な人数に見える。ライブ配信の回数は10数回で、動画も何個かあり切り抜き動画も作られてる。
その中のいくつかを少し見てみたが明らかに未熟だと感じる。だが才能を感じるのも確かだ、配信の中では視聴者を夢中にさせるゲームプレイや、面白い喋りを何度か披露してる。そもそもゲームが滅茶苦茶に上手い。
フワリは中学1年生だ、本来なら精神的にも経験的にも未熟で上手な配信が出来る年齢ではない。しかし薙夢フワリには他にはあまりない属性があるVtuberだという事が分かった。
薙夢フワリは中学1年生にして『超激甘・優しさ全開メスガキ』というキャッチコピーのVtuberだと説明されており、配信も少しそんな感じがしたから灰川は少し不安になった。このスタイルは母親はともかく岡崎先生は知ってるんだろうか?




