108話 病院の魔導書の噂
「異常は無いですね、疲れてたんでしょう。念のため一日入院して明日に何も無ければ退院という事で」
「分かりました、ありがとうございます先生」
灰川は昨日に空羽のマンションで倒れて病院に担ぎ込まれ、特に異常は無いが昨日の記憶が曖昧なため念のため一日間だけ入院する事となった。
気を失ってから10時間以上も眠ってたらしく、空羽から『ごめんなさい』というメッセージが来たが『なんのこと?』と返して昨日の事を覚えてない旨を伝えると、覚えて無いならそれが良いと思うな!と返って来る。
とりあえずは灰川以外にも何も異常は無かったらしく、一日だけゆっくり過ごして復帰しようと考える。
市乃や史菜たちからも心配するメッセージが来たし、お見舞いに行くというメッセージも来たのだが、何も心配ないから大丈夫だと伝えておいた。
灰川が居るのは大学病院で、病室は一般病室の多人数相部屋だ。入院患者も通院患者も多いし内科や整形・形成外科はもちろん耳鼻科や眼科など殆どの医療課がある大病院である。
こういう病院には大概は町の病院から紹介状が無ければ受け付けてもらえないが、昨日は事情が事情だったため受け付けて貰えたのだ。ベッドが空いてたのも運が良かった。
灰川は特に誰かがお見舞いに来るような事は無いが、隣のベッドからはお見舞いに来てる人達の声が聞こえる。
暇を潰そうと思うがスマホは充電器が無いから触りたくない、皆の配信でも見たい気分だったが仕方ないだろう。テレビも無いから見れないし本なども無い、どうしようかと思ってた所にまさかの見舞があった。それは家族や市乃たちではなく以前に会った人だった。
「灰川さん、昨日に運び込まれたそうだが大事はないかね?」
「えっ? 岡崎先生?」
灰川の病床に見舞いに来た人物は、以前に四楓院家で会った医者の岡崎先生だった。大学病院に小児科医として勤めており、忙しい中を縫って一般病棟に来てくれた。
なんでも四楓院家から灰川が入院したという知らせを受けたらしく、英明と陣伍から忙しくて見舞いに行けない謝罪と、無事を確かめて欲しいと連絡が来たそうだ。
「カルテを見させてもらったが特に問題は無さそうだ、疲れで倒れてしまったらしいな」
「そうみたいですね、昨日の記憶があやふやなんで詳しい事は自分でも分からないんですけどね」
検査結果は健康体で問題は見つからなかった、長く寝たから体力も回復してる。
「岡崎先生ってここの病院の先生だったんですね、偶然にしても驚きましたよ」
「息子は個人で町医者をやってるんだが、私には経営は向いとらんかったのでな、こうして今も勤め医者をやってる訳だよ」
岡崎先生は過去に親の個人病院を継いで病院経営をしてた。医者としての腕前や信用は何一つ問題なかったのだが、経営方面の腕前に大きな問題があったらしい。
保険請求作業や資金繰りなどの方面でやってはいけないミスを連発し、病院経営が立ちいかなくなってしまったそうなのだ。優秀な医師ではあっても、優秀な経営者ではなかったと語る。
「そうだったんですか、波乱の人生ですね」
「かも知れんな、だが結果的には良かったと思っとる。私にはこういう病院の方が性に合ってたと今なら思う」
岡崎先生は優れた小児科医だが、その腕は小さな病院では全力では振るえなかったろう。町の病院には導入できない高額な医療機器や大型医療機器、手術機器などがある場所でこそ生きるタイプの腕前だったようだ。
その後も岡崎先生は四楓院家の八重香ちゃんを診察して異常は無かった事や、灰川も八重香ちゃんに会ったけど何も異常は見られなかった事など話し、あの時は大変だったとか笑い話に変えたりしながら雑談していった。
岡崎先生はオカルトに対しては今も懐疑的だが、実は夜の病院は怖いと思ってるなんて話してくれたり、灰川も実は幽霊を見るのは怖いなんて話をしたりした。
厳しい部分も見え隠れする先生だが、灰川には岡崎先生が長年に渡って小児科医をしてる理由が分かった気がした。下らない話でも真面目に聞いてくれるし、言葉の端に優しさが見える気がする。
「ところで灰川さん、相談があるのだが聞いてはくれんかね?」
「え? まあ俺で良ければ、でも病気の事とかは無理ですよ」
「流石に病気の相談なんてせんよ、相談したいのは小児科病棟に流れてる噂の事でな」
岡崎先生によると最近、小児科病棟の患者児童たちの間で何やら変な噂が流れてるそうなのだ。今までも時たまにそういう事はあり本来なら放っておくらしいが、今回は医療業務に差支えが出るくらいに噂が広まってるらしいのだ。その噂の内容とはこんな感じだ。
病院の魔導書
国立東京住倉医学大学病院の小児科病棟は多忙な現場である、特に入院児童の病棟は患者児童の数も多いし、年齢的に聞き分けの良い子ばかりでは無いから大変だ。
そんな大学病院の小児科病棟には最近になって一つの噂が流れてる、それは病院内に『マジクの書』という魔法の本が隠されてるという噂だ。それを見つけた子は病気が治り学校にも行けるようになって、家でお父さんやお母さんと一緒に暮らせるようになるという噂だ。
岡崎先生が言うには「そんな物が本当にあるんなら是非とも譲ってもらいたいものだな」と皮肉を言った。長年に渡って小児疾患と戦い続けて来た岡崎先生には、実在するなら喉から手が出るほど欲しいだろう。
もちろんだが、そんな物は病院内には存在しないし、この世に存在しないと先生は言う。しかし病に苦しむ子供たちにとっては信じたい話なのだろうとも言った。
問題は噂自体ではなく噂の出所だ、最初は夏休み期間に入ってはしゃいだ通院児童が入院児童にテレビゲームの話でもして、それが元になった話だと思ってたそうだが違うらしい。
ある子は看護師さんが話してたと言い、ある子は隣のベッドから話し声が聞こえて来て知ったと言う。他にも噂の認知の方法を色々な子に聞いたが、偶然に誰かから聞き及んだという話が多かった。
もちろん看護師や医者は誰もそんな事をしてないと言うし、子供たちも嘘を言ってるようには見えなかった。小児科病棟の医師や看護師は子供の嘘には敏感だ。
「まあ、ただのありがちな噂話じゃないですか? 噂の出所なんて調べても分からんもんですよ」
「やはり、そうなのだろうな」
その他にもある程度は調べたそうなのだが何も分からなかったらしい。
今は患者児童が病室から抜け出してマジクの書を探したり、倉庫などに入ろうとする子が出たりして大変だと言う。
「灰川さんに頼みたい事というのは、マジクの書という噂は有名なのかどうかという事なんだが、聞いた事あるかね?」
「無いですね、マジクの書ってのもマジックの書みたいな安易な名前に聞こえるし、魔導書とかの噂ってのも日本じゃ聞き慣れないですよ」
「そうか、そうだろうとは思ってたがね」
子供の間に流れる噂としては魔導書なんて内容はインパクトが薄いように思える、病に苦しむ子や長い入院生活での孤独感から来る小児科病棟特有の噂話のように感じられた。
「子供は嘘を本当と思い込む事があるし、夢と現実の区別が付いとらん場合もある。だから噂話も放っておいたら事故に繋がってしまうかもしれない」
「そういうもんですか、確かに俺が子供の頃も心当たりありますね」
岡崎先生は長年の経験で子供の話す事を信じ過ぎたり甘く見たりすると、危険な事故などに繋がると感じてる。本人は本当の事を言ってるつもりでも、真実じゃない事は多くあった。
頭が痛いと言って病院に来た子を調べたら頭部に異常は無く、盲腸炎だった事があるそうだ。神経伝達が痛みや体の異常で混乱を起こして、中枢神経が頭部の痛みの信号を発してたかららしい。
咳が止まらなくて病院に来た子に問診をしたら心当たりは無いと答えたが、検査の結果で家の近所の工場内で使用されてる気化薬品の成分が検出された。勝手に工場に入って遊んだが怒られるのが怖くて喋らなかったのだ、その時も嘘を言ってるようには見えなかったと言う。
このような事があるからこそ子供の話は荒唐無稽な話であっても真面目に聞くし、まずは言う事を信じるけども信じ込まない事が大切だとも言う。難しい事だろうが、信じてないという感情が出れば子供はすぐに気付くらしい。
子供は大人とは違うからこそ様々な噂や怪談が子供の間で流行って来たのだ。今回の噂もその一つでしかない、岡崎先生はそう判断してると語った。
「一応の説明ですが、魔導書というのはグリモワールと言われ、古くは12世紀から中世ヨーロッパ時代に巷で流行った本です。黒魔術とか魔術儀式、降霊術などの方法、それらに使う魔道具の作り方とかが書かれた本なんですよ」
人を呪う方法に始まり、惚れ薬や万能薬などの魔法の薬の作り方、悪魔の退治の仕方や天使の呼び出し方など内容は様々で、中にはアジアの呪術などを記した魔導書なんかもあったらしい。
しかし内容の真偽は言わずもがな低い、昔は宝探しのために必要だとか、魔導書を持ってれば不運から身を守れるとかの噂が流れる度に買う人が居たりして粗製乱造が繰り返された。いわば内容は嘘八百のペテンの書がほとんどだ。
魔女狩りが行われた時代は魔導書は廃れたが、それでも魔術の需要はあったらしく地下で隠れて取引されてたなんて話もある。魔術は昔は洋の東西を問わず人気コンテンツだったのだ。
少し試せば嘘と分かるのになぜ流行ったか、それは本当に効果がある薬の作り方とかを『魔法』として載せて信憑性を持たせたという説がある。商売と喧嘩はハッタリ7割、腕3割とはよく言った物だ。
魔導書の内容や効果の話には尾ヒレが付く事が多かったそうだ、死者蘇生の魔導書を手に入れた人が読んだら犬と喋る魔法が書いてあったなんて聞いた事もある。他にもゾンビの倒し方とか、ドラキュラの追い払い方とか、胡散臭い内容が多い。
「つまり魔法の本など嘘っぱちという事か、信じてはなかったがね」
「ほとんどはそうです、でも中には危険な本もあったと言われてます。もっとも俺は見たこともないし、仮に本物が売られてたとしたら逆立ちしたって買えない値段でしょうけどね」
「そうか、少なくとも病院にあるような代物では無いな、興味本位で聞くんだが危険な本とは~~……」
会話を続けようとした所で『小児科の岡崎先生~、至急診察をお願いします~』という院内放送が掛かり、見舞いの時間は終わりになった。
「ああ、すまんね灰川さん、顔色も良いし安心した。今日はゆっくり休んで疲れすぎないように頑張ってくれたまえ」
「そうしますよ、岡崎先生も疲れでぶっ倒れないよう気を付けて下さいよ」
「医者になってから既に10回以上ぶっ倒れとるよ、気付いたらエレベーターの中で寝てた事もあったぞ」
「ははははっ! そりゃ難儀っすね!」
そんな話を少しの時間楽しんで岡崎先生は帰って行った、今日も病院は小児科に限らず大忙しのようだ。わざわざ時間を縫って見舞いに来てくれた事に感謝しつつ、灰川は一日限りの病院生活を過ごす。
体調に異変は無いので病室から抜けて、売店なんかがあるエントランスに行ってみると、なんと病院内にコンビニが出店してる。他にも入院患者が利用するであろう理髪店や、小規模な本屋などもあり、ちょっとした商業施設みたいだ。
流石は大学病院、必要な物は敷地内で全て揃うようになってる。バリアフリーも行き届いており、視覚障碍者用の点字ブロック床もあるし、体調が悪くなった人のために休憩スペースもあちこちにある。手すりや杖が滑りにくい床も完備だ。
灰川は暇潰しのために雑誌でも買おうと思い本屋に立ち寄る、財布を持って家から出たようで良かったと思う。
何かないかな~と適当に見回る、こんな時にエロ本はあるのか?なんて探してしまうのは男の性なのだろうか。もちろん病院内の本屋にそういう本はなく、雑誌や小説やエッセイ等が主だ、少しばかり健康本が多い気がするが病院ならではだろう。
「おっ、オカルト雑誌あるじゃん、Vtuberの雑誌もあるな」
どちらも灰川からすれば興味を魅かれる内容だ、少し前まではVtuberに興味は薄かったが今は違う。市乃は数日後の登録者100万人突破耐久配信があるし、ミナミも声優として出演したアニメの放送が控えてる。
オカルトはもちろん灰川の趣味だし、夏という事もあって怖い話系の特集が組まれた本が多数ある。その中からオカルトとVtuber特集の雑誌を購入して病室に戻ろうとするが、エントランスから親子の話し声が聞こえて来た。
「タケシがマジクの書を見つければ病気が治るって言ってたよ、本当にあるのママ?」
「そういう噂が流行ってるようね、ママも昔は魔法の本とか憧れた事があったわ」
灰川はベンチに座ってスマホを触るフリをしながら耳を立てる、噂話は思ってたより広がってるようで、入院してる子供の家族らしき親子が話してるのを聞いた。内容としては特に目新しい物は無い。
噂話とは基本的に人の気を引く何かが無いと広まらない物だ、恐怖を煽る話だったり、幸せになれるお呪いだったり様々だ。
それらに比べるとマジクの書の噂は聞いた限りでは稚拙で荒唐無稽、子供でもウソと分かる内容だし噂が広がる要素は薄い。早く元気になりたいと思う子供が大勢いる病院だからこそ流れた噂だ。。
噂を信じてるのは子供の年齢にもよるだろう、幼稚園くらいの子だったら魔法とかも信じるだろうが、小学校高学年とかだと単なる噂だと分かりそうだ。そこらへんは小児科病棟に入院してる子たちの年代も知らないし、詳細な話も知らないから考えても無駄だ。
灰川は詮索は止めて病室に戻り、あまり美味しくない病院食を頂いてから雑誌を読んだりして時間を潰す。
「なんだか新しい噂だと今は使ってない建物の中にあるって言ってたよ」
「その話はママは聞いてないわね、小児病棟から行ける旧病棟のことかしら?」
親子が話した続きは灰川の耳には入らなかった。
一般病室で過ごす午後の時間は普段より暇に感じる、いつもは仕事が無い日でもスマホやパソコンを触ってるし、暇という感覚を感じるのは久々だった。
オカルト特集の雑誌には灰川好みの怪談が複数載ってて面白い、Vtuberの雑誌には大きく自由鷹ナツハや染谷川小路といった顔が並んでる。エリスも載ってるしツバサやルルエルちゃんも『今から注目のVtuber!』というページに載ってる。
本からはネットからは得られない種類の楽しさや情報でいっぱいだ、普段は調べ無いような情報が載ってて面白みの種類が違うのだ。
「灰川さん、少し良いかね?」
「うおっ、なんだ岡崎先生ですか、どうしたんです?」
午後になってからまた岡崎先生が来た、何か忘れ物でもしたのかと思ったら灰川の予想外の言葉が出てきた。
「実は例の噂の件で子供が薬品保管庫に入ってしまう事故が発生した、そこでオカルトに詳しい灰川さんに魔法の本など無いと子供たちに説明して欲しいんだ」
どうやら灰川が思ってたよりも噂は深刻らしく、大事にはならなかった物の子供が病棟の受付センターに入り込んで、鍵を持ち出して侵入する事故があったとのことだ。もちろんその子はコッテリと怒られたらしい。
「今日は小児科病棟で夕方から子供向けのイベントがある、そこで子供が興味を引く話を交えながら注意喚起をして欲しい」
「マジですか…いや、でも…」
「困ったもんだ、子供は今も昔も好奇心の化け物なんだ。そんな子供たちが好奇心のせいで危ない目に遭うのは見てられん、頼めんかね?」
「う~~ん…」
正直に言うと灰川は子供向けの話はあまりした事が無い、上手い事やれるか分からないし、そう都合よく子供たちを納得させる話が出来るとも思えない。
こういった大きな病院だと長期入院してる患者のためにイベントを開く事がある、それがたまたま今日だった。
「そのイベントって他の病棟の患者が行っても良いんですか? ほら、俺って一応は入院患者だし」
「今日は院内の医者による子供向けの色んな話の催しだから問題ない、娯楽が少ない入院児童たちも楽しみにしてくれてるし、私が一声掛ければ良いだけだ」
「そうなんですか、上手く行く保証は無いですけど受けますよ」
子供が危ない遊びをするのは仕方ない事だ、しかし病院となるとそうはいかない。危ない薬品もあるかも知れないし、薬品棚を触って薬の配置がおかしくなったら大変な医療事故に繋がる可能性だってある。
それを見過ごす事は出来ないし、自分が何かの役に立つなら協力したいとも思う。
「すまないな灰川さん、礼は何かの形でさせてもらおう」
「でもどんな話が良いかな、夕方まで少し考えておきますよ」
その後に参加する児童の年齢や人数、その他の情報を聞いてから灰川はどうするか考えを纏める。
病室の窓からカーテン越しに夏の日差しが照り付ける。自分は子供の時はどのような話なら教訓を納得しただろうか、長い入院生活の中で娯楽に飢えた子供たちはどんな話なら聞いてくれるか。
そんな事を考えながら自分の知る話を思い出しては纏めてく、なんだか少し楽しみな気持ちだ。
子供に向けた教訓を交えた魔導書の話、一応は心当たりがあるので灰川はそれを子供向けにして話す事に決めたのだった。
今回は少し趣向を変えて、ちょっとした全年齢向けコズミックホラーに挑戦します。
上手く書ける保証はありませんが、お付き合い頂けると嬉しいです。




