103話 別れと夏の始まり
灰川の実家に来て3日目の朝、少ししたら東京に帰らなければならず、にゃー子と一緒に誠治は早めに起きて郵便受けを見に行った。
「今日はぶっ刺さってるにゃ!」
「おっ、鬼突き、今日はぶっ刺さってから寝ちゃってるなぁ」
鬼突きにとっては門柱に嘴が刺さって抜けなくなるのは慣れっこで、今日は灰川家の門に刺さってブラリとしながらリラックスして寝てしまっていた。
「起きたにゃ、誠治をチラチラ見て抜いてくれるの待ってるにゃ」
「お前はいっつも刺さってるなぁ、おっ、今日はモチモチした感触だぞ。栄養足りてる証拠だなっ」
鬼突きをムンズと掴んで嘴を握って柱からスポっと抜く、今日の鬼突きの感触はフワフワよりモチモチに寄った感触だ。美味しいエサをたくさん食べれたのだろう。
「次に帰ってきたら、また抜いてやるからな~」
「にゃー子もたまに抜いてやってるにゃ」
鬼突きは今日も元気に門に刺さり、きっと明日もどこかの家の門に刺さってる。そんな日常がここでは微笑ましく進んでくのだ。
またしばらく鬼突きや猫たち、にゃー子と会えなくなるのかと思うと少し寂しくなる。だが今の誠治には東京に支えてくれる人や仲間が居るのだ、寂しさなんてすぐに吹き飛ぶ忙しい日々になるだろう。
そんなセンチメンタルな気分に浸ってると、まだ誠治の手の中に居て休んでた鬼突きが「きぃー゛!」と啄木鳥と同じ独特な鳴き声を上げた。
「鬼突きが鳴いたにゃ! 縁起良いにゃ!」
「おおっ、お前が鳴くのは砂遊が陽呪術に初めて成功した時以来だな! 宝クジでも買うかなぁ!」
鬼突きが鳴くと縁起が良いとこの辺りでは言われており、近所の家でも鬼突きを門から抜いて鳴いたら病気が治ったなんて話も聞くくらいだ。
砂遊は誠治の年の離れた妹で、今は陽呪術の修行中の身だ。無理のない範囲でのびのび頑張ってるそうで、今は学校の合宿行事で家には居ない。
「あっ、飛んだにゃ!」
「またなー、暑いから体に気を付けろよ~」
少しの間だけ誠治の手の中でトコトコと遊んでいき、小さな妖怪鳥は山に帰って行った。きっとまた灰川家の門にも刺さって、灰川家の誰かに抜いてもらうのだろう。
むしろ人間の手の感触が好きでワザと刺さってるのだろうか?なんて思ったりもする、今日で東京に戻ってしまう灰川を見送りに来てくれたのかもしれない、どちらにせよ微笑ましい田舎の一幕だ。
やがて皆が起きて来て朝食を摂り、東京へ戻る準備をする。その間も空羽を始め桜も由奈も市乃も懐いてくれた猫たちにベッタリだ。
特に空羽はオモチとにゃー子へのご執心が半端ではなく、暇さえあれば2匹を抱きしめてる。にゃー子はそこまで空羽に懐いてる訳ではないのだが、空羽にとって にゃー子は何か好みにストライクな猫であるらしく、オモチと共に文字通りに猫可愛がりしてる。にゃー子だって別に空羽が嫌いな訳では無いから、嬉しい事には嬉しいようだ。
「ギドラ、また来るから良い子にしてるんだよー?」
「「「にゃー、にゃ~、にゃあ」」」
「テブクロ、福ポン! 寂しくなったら誠治のお父さんに言って破幡木ツバサの配信を見せてもらいなさい!そしたらいつでも会えるわ!」
「きゅー、きゅーん」
「にゅーん、にゅーん」
バスの時間が近づいて市乃と由奈がギドラとテブクロ、福ポンにお別れの挨拶をする。2人は本気で動物たちを連れて帰れないか悩み、由奈は貴子さんに狐と狸を飼いたいと相談したが、もちろんダメと言われて諦めたと言ってた。市乃はマンションがペット禁止なので諦めるしかなかったらしい。
市乃と由奈は灰川に頼んで、たまにで良いから実家の父や母にギドラたちの動画や写真を撮って送って欲しいと伝えてくれと頼まれた。今度にゃー子か家族にテブクロたちの写真を送ってもらうとしよう。
もうそろそろ家を出ないといけない時間だが、まだ少し余裕はある。荷物もまとめ終わり、後は家を出るだけなのだが問題が発生した。
マフ子と仲良くなりすぎた桜が、別れるのが辛すぎてマフ子を抱きしめたまま動きが止まってしまったのだ。マフ子も桜を心配して尻尾をギュと腕に巻いてあげてる。
「桜、そろそろ行かないとバスの時間になっちまうぞ」
「マフ子~、離れたくないよ~…」
「にゃ~…」
桜は今まで動物と触れ合う機会は極端に少なかったそうだ、猫なども触った事はあるし以前にも可愛いと感じた事はあったが、まさか離れるのが辛くなるほどに絆が出来てしまうとは思ってなかった。
こんなに懐いてくれるとも思っておらず、優しく首に尻尾を巻いて温めてくれるマフ子の事が大好きになってしまい、別れが辛くなりすぎて感情の制御が効かなくなって、震えるほどに悲しい気持ちになってしまったのだ。
「ぐすっ…灰川さん~… マフ子つれてっちゃダメ…?」
「ダメだって、桜もマンション住まいだろ、ペットも禁止って言ってたし」
「う~……マフ子~…」
「にゃ~、にゃ~…」
マフ子も寂しそうだ、しかし飼う事が出来ない環境なのだから諦めるしかない。実はシャイニングゲートの配信者専用邸宅で飼えないかとか考えたそうだが、もちろんそちらも禁止である。猫アレルギーのVtuberも何名かいるらしいのだ。
「また会いに来れば良いさ、そうしたらまた一緒に遊べるからよ」
「うん……でも、寂しいよ~… ぐすっ…」
桜は目が見えないため写真や動画を送ってもらっても見る事は出来ない、声は聞こえるだろうが物足りなさは大きいだろう。マフ子の特徴は何と言っても尻尾の感触だ、思い出す度に寂しい気持ちになってしまうかもしれない。
灰川としては少し浮世離れした性格の桜は、そこまで動物に思い入れはしないだろうと考えていた。それは完全に誤りでヒホーデンとの別れの時も少し泣いてたし、今も仲良くなって懐いてくれたマフ子との別れを強く惜しんでる。
だが連れてはいけないし、桜もそれは分かってる。せめて時間ギリギリまで一緒に居させてあげようと思い、別の所に灰川は目を向けた。
「うぇ~~んっ! オモチ~!にゃー子ちゃ~ん!みんな~! お別れしたくない~!」
「にゃ~、なゃ~」
「にゃ~ん」
横の方では空羽がギャン泣きしながら猫たちとの別れを悲しんでる、本当に動物が好きでたまらないらしく、灰川家の動物たちと触れ合った結果、別れが悲しくて感情が大爆発してる。動物が絡むと空羽は性格や情緒が変わってしまう事が今回の旅行で判明した。
灰川としても普段は落ち着いた雰囲気の空羽にこんな一面があったなんて少し前なら考えもしなかったが、今は何となくこうなるんじゃないかと思ってた。にゃー子も「やっぱりこうなったにゃ…」と言ってる。
むしろこういう一面があるからこそ、何かに夢中になってトコトンまで感情を注げるからこそ、エンターテイナーとして成功したのかもしれない。
「空羽先輩っ! 帰らなきゃダメですって!」
「ナツハ先輩! 高校3年生なのにみっともないわよっ!」
「みんな連れて帰りたいよ~! オモチと一緒に暮らしたい~! うぇ~~ん!」
当のオモチは別れが悲しいとかより、何の騒ぎだ!?みたいな顔してる。
「ほら空羽、そろそろ時間だからオモチとにゃー子を放しなさい、うわっ、バカみたいにがっちり抱き着いとるっ!」
「ばかじゃないもぉぉ~~んっ゛!! うぇ~~ん!」
そんなこんなでしっかりと別れを済ませ、それぞれが名残惜しさを感じつつ灰川家を後にしたのだった。
ちなみに桜はマフ子をしっかり何分も抱きしめた後に大人しく放して「またね、マフ子~」と涙を堪えつつ挨拶して、マフ子も「にゃ~…」と返してお別れを済ました。
空羽は最後まで「オモチ~!にゃー子ちゃん!うえ~~ん!」と抵抗したため、皆で引っ張って連れて行った。きっと東京に戻ったらペット可の物件を探して、オモチとにゃー子と一緒に暮らす作戦を立てるかも知れない。そういう行動力があるから空羽はナンバーワンになれたのだ。
そうなったらオモチ達の意志を優先させるつもりだが、にゃー子は「止めとくにゃ」と言いそうだ。灰川もにゃー子とお別れの挨拶を一応はしたかったが、にゃー子は自撮りとか送って来るから別に大丈夫だ。
灰川は心の中で故郷にしばしの別れを告げる、故郷の青空には朝日が輝き『がんばれよ』と励まし、送り出してくれたような気がした。今日も暑くなりそうだ。
その後はバスに揺られて電車に揺られ、新幹線に乗り東京へと戻ってく。桜と空羽もまだ引きずってるが時間が経つと落ち着きはしたようで、今は新幹線の座席で疲れからか眠ってる。市乃と由奈も寝てしまっていた。きっと今頃は夢の中でギドラやオモチたちと楽しく遊んでるだろう。
この出会いと別れを通して彼女たちは大事なことを学んだ筈だ、ペットではなく家族として動物を見てる人達の気持ちや、動物との触れ合いを通して優しさや慈しみというものを何かに与える、何かから与えられる意味、そういった精神を心の何処かで理解した筈だ。
それに灰川としても彼女たちがこんなに楽しんで、心を動かしてくれた事は嬉しかった。自分の故郷が市乃たちの心に残ったであろう事も嬉しいと感じてる。
やがて冬が来れば故郷は一面の雪景色になる、その雪野原で猫や狐やタヌキ、果てには座敷童のスミレや雪ん子妖怪のユキが楽しく皆で駆け回って遊んでる姿も見せてあげたいなと感じて、少しだけ灰川の口元に笑みが差したのだった。
そんな折にスマホに着信が入る、電話の主を見るとシャイニングゲートの渡辺社長で、話し声で皆を起こさないように車両通路に行って話をする。内容は案の定で仕事の話だったが、その総量たるや予想を超えたものだった。
やがて新幹線が東京に近付いた辺りで皆が起き出し、先程に聞いた夏休み期間の仕事の話をする。あの後にハッピーリレーからも電話が来て、夏休み期間の仕事予定がスマホに送られて来たのだ。
「おはよう、これから忙しくなるぞ、皆も覚悟しとけよな」
「おはよー、ふぁ~よく寝れたー」
「誠治、明日から仕事があるのねっ? どんなのかしら?」
「配信の企業案件かな~? がんばるよ~」
「私は明日は配信とグッズの会議の予定があるよ、他にもやんなきゃいけない事が多いかな」
4人は今は猫たちとの別れの悲しさはあるだろうが、それを感じさせずにプロ配信者としての振る舞いに戻っていた。慣れ親しんだ都会の空気に触れて心が引き締まったのかもしれない。
「シャイニングゲートは夏休みの期間を利用して学生年代のVtuber育成に力を入れるし、既存Vtuberたちの大型企業案件が一気に増える。芸能界進出も動きがあるだろうって話だ」
「そっか、気を入れ直さないとねっ、頑張らなきゃ」
「私にもお仕事来るかな~、来たら全力でやるよ~」
空羽と桜はヤル気充分だ、さっきまでメソメソしてた雰囲気は今は無く、むしろ仲良くなった動物たちに恥じない活躍をしようと心を入れ替えたようだ。
優れたメンタルの自己マネジメントが出来てる証拠であり、ナンバーワンのナツハはもちろん、か弱い雰囲気の桜も本来はシャイニングゲートのナンバー3に位置する優秀な配信者なのである。
「ハッピーリレーは既存の配信者の周知に力を入れつつ、見込みのある人材の獲得にも力を入れるらしい。企業案件も色々あって増えてるからな」
「そうなんだ、やっぱり宣伝にはもう少し力を入れて欲しかったしねー」
「企業案件なら任せなさい! 私が思いっきり宣伝してあげるんだから!」
市乃も由奈も気合OK、この旅行は良い刺激になったようで精神はリフレッシュ出来たらしい。
2人は懐いてくれた動物たちとの別れは悲しかったが、その気持ちもパワーに変える心を持っていた。今はちゃんと心が前に向いている。
「俺も忙しくなりそうだなぁ、うへぇ~、仕事したくねぇ~」
「そんなこと言わないの灰川さん、にゃー子ちゃんに笑われちゃうよ?」
「そーだよ灰川さん、ミナミも灰川さんのこと頼りにしてるんだからね」
灰川にも色んな仕事が組まれてる、シャイニングゲートのアカデミー生の選出の助役とか、渡辺社長が経営する旅行会社のホテルや旅館に渡すお札作り。
ハッピーリレーの仕事だと各種の帯同や配信者達のスケジュール管理、夏になりホラーが流行る時期に打ち出すホラー企画の付き役などだ。
他にも金名刺を使わなければならないであろう仕事も可能なら頼みたいという事を、それとなく仄めかす言葉も入ってる。
どうなるかは分からないが、忙しくなりそうなのは間違いない。
「まぁ、皆でぶっ倒れないよう気を付けながら頑張ろうや、これからもよろしくな」
「うん~、よろしくね灰川さん」
「誠治が倒れたら看病してあげるわ!」
こうして5人の小さな旅行は終わり、配信者達にとっては視聴者を伸ばすチャンスである夏が本格的に始まった。
夏は多くの人にとって大きな思い出が残る季節だ、今年の灰川たちはどうなるのだろうか?
Vtuberたちの青春の夏が始まる、灰川の新たな人生の夏が来る。車窓から東京の空を見上げると、ビルの隙間に太陽と青い夏の空が見えた。
今年も暑くなりそうだ。
灰川の田舎の話はこれで終わりです、初めて動物とかをメインにした話を書きました。慣れない感じや知識不足な部分が出てたと思いますが、書いてて楽しかったです。




