3.
ベル・アムールでは朝食と昼食の時間が一緒になっている。
朝が遅い娼婦たちにとって、この時間は夜の仕事までの束の間のリラックスタイムになっているらしく、広い食堂は賑やかだった。
ドレスに着飾る前の、あどけない外見をした女性たちが楽しげに会話をしながら朝食を食べている。
「昨日のガレットもおいしかったけれど、今日のパンもおいしいわね。なにこれ、バゲットとは違うけど歯応えがすごいわ? でも噛むと不思議な味がして、やみつき」
「そうなのです。バゲットをキッチンに放置しないでも噛みごたえのあるパンを作れないかと、試行錯誤した結果こうなりました。異国で食べられているという、プレッツェルというものです。ディップもたくさんありますので――」
すっかり板についたメイド姿で説明をしていると、後ろで冷ややかな声が響く。
「ふぅん。あんた、どこにいても使用人みたいな仕事がぴったりよね」
振り向けば、寝間着姿のコリンナがいた。
今起きてきたばかりのようで、ボサボサの頭にすっぴん姿で、立ったままぐびぐびと果実水を飲んでいる。
化粧をせず、髪もセットしていないと、ますますエイヴリルそっくりに見えた。食堂にいる皆がそのことに気がついてざわざわとする中、エイヴリルは笑う。
「おはようございます。ですが、コリンナもお掃除なら得意になったと聞いているわ? アレクサンドラ様がしっかり鍛えて少しはましになったと――」
「あ……っ、あれは、必要に迫られてやっていただけよ⁉︎ 私には掃除なんて似合わないんだから!」
そう喚き散らすと、コリンナは食堂の中央の椅子にどかっと座る。
昨夜突然やってきて、いきなり高額のお代を巻き上げたコリンナは、たった一晩でベル・アムール注目の的となっていた。この部屋にいる皆が、彼女の振る舞いに注視しているのが痛いほど伝わってくる。
すぐに給仕係がエイヴリルの作ったプレッツェルとディップ、フルーツサラダの朝食を運んできた。コリンナは周囲の視線をものともせず、もぐもぐと食べ始める。
文句を言う様子はない。どうやら、きちんとおいしいようだ。
(コリンナはこういうところ、本当に変わらないですね……)
この環境に見事に適応している義妹に、拍手を送りたい。自分がどうなのかという問いは置いておいて、エイヴリルはシンプルにそう思う。
実家にいた頃、コリンナは自分が丁重に扱われることを至極当然に思っているようだった。物心ついた頃からそうだったので、エイヴリルとの扱いの差を疑問に感じることすらなかったのだろう。
生来の図太い性格も手伝って、コリンナは自分さえ満たされていれば多くのことに疑問は持たないようだ。
現に今も、初めての環境で臆することなく朝食を食べ続けている。周囲から向けられる興味津々の視線でさえ、まるで気持ちいいとすら感じていそうだった。
義妹の向かいの席に座ったエイヴリルは、彼女へと頭を下げた。
「昨夜はありがとうございました。まさかそんなはずはないと思ったのだけれど、念のために確認を。……もしかして、コリンナは私を助けるためにあんなことをしたのかしら?」
「は? 何のこと? あの客は私のだから。私に顔が似ているからって、勝手に手を出したら承知しないからね。私は養ってくれるお金持ちをゲットするためにここへ来ているのよ?」
「やはりそうでしたか。どこにいてもコリンナはコリンナですね」
「はぁ? 当たり前じゃない。これ何の話?」
予想はしていたものの、やはり彼女は個人的な願望からエイヴリルに声をかけていた客を奪い、個室まで自分のものにしたらしい。
コリンナが自分のために動いてくれている可能性を先に封じたエイヴリルは、次の問いを投げかける。
「あの、コリンナはどうしてリンドバーグ伯爵家を脱走したの……?」
「え? あの堅物女が結婚で家にいなくなったから、警備が手薄になった隙を狙ったに決まってるじゃない」
「なるほど……ではなく、いえ、私が聞いているのは脱走した理由の方で」
「は? あの環境から脱走するのに理由がいる?」
醜悪に歪んだ、自分とよく似た顔を前に、エイヴリルは本気で首を傾げることになった。
「だって、アレクサンドラ様は衣食住を保証したうえで、お仕事までくださったわけでしょう? アリンガム家は没落しているし、コリンナは他に行くところがないし」
エイヴリルがそこまで言うと、コリンナは鼻でフンと笑う。
「リンドバーグ伯爵家で床磨きさせられるのがお仕事? 私、そんな地味な生活をするぐらいなら死んだほうがましだわ。地獄だったもの」
「地獄」
エイヴリルとしては、それはかなり楽しいご褒美生活のような気がするのだが、コリンナにとっては不愉快な毎日だったらしい。
半分血が繋がっているはずなのに相容れない義妹は、もぐもぐと朝食を食べ終え、席を立つ。
「昨日の客、なかなか素敵だったわよ? またお金を持ってきてくださるかしら……! そうそう、私、お肌の調子がイマイチなのよね。お湯に浸かってマッサージでもしようっと」
呆気に取られる娼婦たちを尻目に、コリンナは上機嫌の我が物顔で食堂を出ていったのだった。
ナチュラルにこれまでの習性で「それならば私はお湯の準備を?」とうっかり立ち上がりかけたエイヴリルのもとに、会話を聞いていた皆が一気に飛んでくる。
「ねえ、あの女何者なの?」
「あっ⁉︎ その」
「たった一晩で貴族のお坊ちゃんからすごい金額を巻きあげたって聞いたわ? しかも、わずか数秒で落としたって」
「あの、ええと」
あわあわとしていると、昨夜「五階の一番奥、ね」と意味深な笑みを見せていた淑女にしか見えない娼婦がエイヴリルの耳元に唇を寄せた。
巻き毛のブロンドを無造作に結い上げた彼女の、色っぽい大人の眼差しと香水の香りにどきりとする。同性なのに、うっかり彼女についていってしまいそうだ。
「まず確認しておきたいんだけど、あなた、すごい悪女だって聞いていたけれど、あれは嘘よね?」
「はい……」
エイヴリルが自信を持って答えられるのは、この問いだけだ。自分が義妹の身代わりで悪女扱いになったことを話せば、それはランチェスター公爵夫人にも繋がる。
つまり、この館の主人であるロラとの『命は保証する代わりに余計なことを言わない』に反してしまうのだ。
(ディラン様が助けに来てくださるまで、殺されないように大人しくしているしかありません。幸いお仕事も与えられたし、言われた通りにしていれば悪いことにはならないはずです……!)
そんなことを考え、余計なことを言わないようにしおらしく頷く。
一方、よく似た顔の二人がこの食堂に揃った時点で真実を察していたらしい皆は、何やら決意を固めた表情で目配せをしあった。
「何となく事情はわかったわ。私たちがあなたを守ってあげる」
「え?」
思わず目を瞬くと、一人が大真面目に話し始める。
「私たち、あなたが作る朝食と果物とチーズの盛り合わせ、揚げた芋に助けられているのよ。会話だけで満足して帰ってくれる客も出てくるっていうか。あと普通においしくて好き」
一人が言うと、皆が朝食を食べる手を止めて次々に続き出す。
「そうなのよ、あの揚げた芋! 少し濃いめに味つけているのはわざと? おかげでたくさんボトルが入って、昨夜はアルコールの売り上げがすごく良かったのよね」
「あたしも思った! 芋まじうまいって」
「あんたが味わってどうすんのよ。でも、揚げた芋は守りたいし、昨日のガレットも食べたいわ。なかなか手の込んだメニューって出ないんだもの」
まさか、こんな話題になるとは思わず、ただ目を瞬くばかりのエイヴリルだったが、皆はさらに続ける。
「実はね、ここで出る料理があまり美味しくないって話題なのよ。舌の肥えた客が多いから仕方がない、って思うでしょう? でもね私たちも本当に残念な味だと思ってるのよ」
「そうそう! 使ってる食材は良いらしいんだけど、シェフの味覚がイマイチみたい」
「ロラさん、ケチだもん。噂によるとあのシェフ、前の仕事は御者だったらしいわよ」
「御者って、御者?」
皆が会話で盛り上がっている中、エイヴリルは目を泳がせる。
実は、そのシェフの料理はエイヴリルも食べた。確かに、焼きすぎていたり形が悪かったりして『一般的においしいとされる料理』と違っているのはわかる。
(ですが私はおいしかったです……とは言わない方がいいですね、きっと)
そんなことを考えつつ、思いがけず称賛されてしまったエイヴリルは、照れるばかりである。
「あ……ありがとうございます? ではこれからも、皆様のために努力させていただきます……!」
「お願いね。私はフレイヤ。私たちの朝食と、まともな料理を守るために頑張るわ」
そう言って手を差し出してきたのは、巻き毛のブロンドを結い上げ、エイヴリルが悪女ではないことを見抜いた娼婦だった。
淑女のような上品な笑顔の向こうに、並々ならぬ決意が見えるのは気のせいだろうか。
どうしてこうなったのかはわからない。
しかしとにかく、エイヴリルは同僚たちから守ってもらえることになったようである。




