2.
「長年慣れ親しんできた格好ですから、それはもう」
「は?」
「いえ、何でも」
いけない。つい思ったことが口に出てしまうことがあるのはエイヴリルの悪い癖だった。慌てて否定すると、ロラはまじまじとエイヴリルの顔を覗き込んでくる。
「……ふふん。昨日、五階の部屋に消えていった女の方が本物の悪女エイヴリル・アリンガムだね」
「さすが、よくおわかりですね」
「この世界に長くいれば、大体のことは察しがつくよ。ただあんたは公爵夫人と悪女という両方の肩書をもっていたせいでこの目が鈍っちまった」
ロラはコーヒーカップをカウンターに置くと、煙草に火をつけた。先から立ち上る煙が、サロンの高い天井へと消えていく。
「事情は詳しくは聞かないし喋るんじゃないよ。こっちの経営に関わるからね。逆に何も言わないなら、生かしたままただの従業員としてここに置いてやってもいい。あんたの身代わりになっているあの女は稼いでくれそうだ」
ぷはっ、と吐かれる煙とともに、あまりにも恐ろしいことをさらりと告げられてしまった。そして、殺気を含む声に、やはり彼女はいつも本気なのだと悟る。
(下手に動いて殺されたら困りますね。ディラン様が見つけてくださるまでは耐えたいところです……)
おそらく、自分の捜索にはローレンスも手を貸して国家権力を使うことになっている気がする。となれば普通なら問題なく見つかるはずなのだが、問題はこの場所だ。
ブランヴィル王国では人身売買は許可されていないし、重罪である。それなのに自分があっさりここに売られてしまったということは、十一区にあるこの娼館街は、国の法律が本当の意味で届かない特別な場所なのだろう。
たとえ目星が付けられたとしても、捜索は難航するのではないだろうか。やはり、状況がわかるまでは、下手に動かない方がいいだろう。
そう判断し、エイヴリルはにっこりと笑みで応じるのだ。
「承知いたしました。私は何も喋りませんわ」
「ふん、全然驚かないし怖がらないんだね。それが公爵夫人の器ってことかい」
エイヴリルの反応を楽しむように見つめる館の主人の顔には深い皺が刻まれる。意地の悪さと同時に、どこか哀愁を感じる笑みだった。そうして続ける。
「いいよ。あんたは裏で働けばいいし、五階の悪女も稼いでさえくれれば自由に過ごしていい」
「ありがとうございます」
慎み深く頭を下げかけたエイヴリルだったが、正直コリンナに関しては何か誤解があるような気がする。
(コリンナは確か……パトロンを探すと言って自分からここに乗り込んできましたよね……?)
この十一区の重鎮であるロラが持っている常識からも、当然エイヴリルの常識からも遠くかけ離れて、コリンナは進んでここに居たいのだ。
別に目先のお金がほしいわけでもなく、大きな借金――はもしかしたらあるかもしれないが、少なくとも無理やりここに売られてきたわけではない。
おそらく彼女の最終的な目的は、アレクサンドラの実家であるリンドバーグ伯爵家を脱走した後、養ってくれる裕福な男を探すことなのだろう。
もう貴族令嬢ではないコリンナに人脈を広げる手段はないが、高級娼館であるベル・アムールならそれが叶う。特に、トップの位置をもらったコリンナなら遊び相手を選び放題のはずだった。
(コリンナはこういう部分に関しては、本当に諦めないし突拍子もない発想を見せてくれますね)
とにかく、いろいろと信じがたい部分はあるが、コリンナのモチベーションはここにいる他の誰とも違うもののはずだ。
それを今ここで説明してもいいのだが、あいにく自分はコリンナがいるおかげで娼婦としての接客を逃れている。その助けがなければ、ディランが助けに来てくれるまで乗り切れる自信がない。
(コリンナへの誤解はこのままにしておきましょうか……)
どうしようか決めかねていると、ロラは意味深に微笑んだ。
「あの本物の悪女の方はそのうち貴族サロンでも稼いでくれるかもしれないね。思いがけない収穫だったよ」
聞きなれない言葉に首を傾げた。
「貴族サロン、でしょうか?」
「ああ、そうだよ。お貴族様が集うお遊びの会に、うちで働いている女たちを派遣するんだ。そこで出会った客がままうちの常連になってくれることもあるから、ベル・アムールにとって重要な仕事なんだよ。まあ、派遣するのはごく一部の少数精鋭だけどね」
「なるほど……」
コリンナのあの活躍ぶりなら、そのメンバーに選ばれるのは自然な流れだろう。
(あら? 私とコリンナの外見はよく似ているわ。ということは、コリンナがその貴族サロンに派遣されれば、この件が自ずとディラン様のお耳に入るのでは……⁉︎)
娼館にいるという噂でディランには心配をかけてしまうかもしれないが、ここから脱出する最短の方法を見つけた気がする。そんなことを考えた途端、ロラは女主人の顔に戻るのだった。
「妙なことを考えるんじゃないよ。あんたたちは一心同体だ。どちらかが脱走しようとすればどうなるかはわかっているね? 許さないよ」
「……はい!」
命の危険があるのはもちろん気になるところだが、それ以上に、自由すぎる義妹と一心同体扱いというのが新鮮すぎる。
これまで差をつけられて生きてきたエイヴリルにとっては、初めての事態だった。




