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無能才女は悪女になりたい~義妹の身代わりで嫁いだ令嬢、公爵様の溺愛に気づかない~(WEB版)  作者: 一分咲
六章

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1.

 ベル・アムールの朝は遅い。


 昨夜、突如として現れた義妹コリンナによって寝室を奪われてしまったエイヴリルは、使用人の部屋で目覚めた。


「おはようございます……」


 年季を感じさせるベッドの上で伸びをすれば、同じ部屋で休んでいる使用人たちの穏やかな寝息が聞こえてくる。


 カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいて、外は『一般的な朝』だということが推測できるが、このベル・アムールはまだ明けていないのだった。


(それはそうですよね。後片付けが終わって、眠りについたのは明け方――数時間前のことでしたもの)


 王宮でのお茶会で、キトリー・ボードレールに嵌められて誘拐され、この娼館に売られてしまったのは二日前の昼のこと。


 エイヴリルにとって、今はベル・アムール三日目の朝だった。すうすうと眠っている皆を起こさないように気をつけながら、素早く着替える。


(ディラン様は私をきっとすごく心配していることでしょう。このようなことになってしまって申し訳ないです)


 過去、エイヴリルが似たような目に遭ったときは、ディランは普段の冷静さが信じられないほどに心配していた。それを思うだけでやりきれない気持ちになる。


 自分自身のことはなるようにしかならないとは思う。けれどディランを悲しませないためにも、できる限り早く、しかも無事にここを脱出する必要があるだろう。


 しかしこの館も街も、エイヴリルにとっては全く馴染みのない場所だ。焦っては良くないのもまたわかっていた。


(とにかく、慎重に行動しないといけませんね。私を誘拐したキトリー様は、サミュエルの兄フェルナン・ブランドナー様の婚約者。何か勘違いがあって、このような手段に出られたのだと思いますが……)


 これまでは周囲の状況を把握するだけで精一杯だったのだが、三日目ともなれば頭は冷えてくる。今は、自分が置かれた状況を冷静に分析するだけの余裕が生まれつつあった。


(キトリー様のボードレール侯爵家とフェルナン様のブランドナー侯爵家はそれぞれ名門ですが、そこまで関係が深いものではありませんでした。しかし、ボードレール侯爵家は先代がお亡くなりになってから影響力が低下しており、それを補うためにブランドナー侯爵家と縁を結ぼうとした、がお二人の婚約の経緯なのでしょう)


 ところが、フェルナンは信じられないほどの遊び人で、キトリーのほうも貴族社会の慣例に従って不満を抱えつつもそれを許していた。そこに自分が登場し、なにか誤解の原因になってしまったのだろう。


 ボードレール侯爵家に、ブランドナー侯爵家に、ランチェスター公爵家。泣く子も黙る名門が関わっているトラブルとしては、近年稀に見る醜聞なのではないだろうか。


 一旦は収束した王位継承権のゴタゴタも手伝って、外ではどんなことになっているのか考えるだけで怖い。


(元はと言えば、ローレンス殿下からの無茶振りのせいもあるかもしれませんが……今は考えないでおきましょうか! ここでは品行方正に過ごし、ディラン様が助けに来てくださるのを信じるのみです)



 両手で頬を叩き、ディランへの信頼を胸に気合を入れたエイヴリルは、今日もお仕事を始めることにした。





「ロラさん、おはようございます!」

「ああ、おはよう……あんた、早いね……」


 一階のサロンを磨いていると、ナイトキャップをつけたままのベル・アムールの主人が新聞を片手に現れた。自分を除く誰よりも早く起きてくるところを見ると、彼女はああ見えて勤勉なタイプなのかもしれない。


 眠そうにぼうっとしているロラに向け、エイヴリルは汚れた雑巾を見せる。


「ご覧くださいませ! こんなにたくさんの埃が! 昨日も磨いたのに! つまり、ここにはそれだけのお客様がいらっしゃっているということですよね。皆の口ぶりからも把握していましたが、ここは本当にすごいお店のようですね」

「……朝から……埃の話をしてくる娼婦なんてあんたぐらいだよ」

「いえ、私はこの館の繁栄ぶりと、ここでお仕事をされている皆様の努力に感じ入っているのですわ。これはただの埃の話ではございません!」


 思わず力説したところで、主人の目はやっと覚めたようだった。サロンの端に置いてあるポットからコーヒーを注ぎつつ、聞いてくる。


「……で、あんたは昨日、五階の部屋を使わなかったようだね」

「あ、はい……」


 娼婦として働かず、いち従業員でいることを咎められるのを避けるため、さも『ずっと前からここの従業員で、掃除が得意です』の立場を確立しようと思ったものの、この館の主は誤魔化せないようだ。


(やはりそんな簡単にはいかないですよね)


 遠い目をしてため息をつくと、全てお見通しのロラはふんと鼻で笑った。


 昨日、エイヴリルが有名な悪女だということを知った彼女は、この館で最も上等な部屋をエイヴリルに与えてくれた。そこで接客しろということだったらしいが、ここがどんな場所なのか理解したてのエイヴリルにとっては、最大のピンチだった。


 けれど、いろいろあって、今その部屋では義妹のコリンナが休んでいる。


 ちなみに、昨夜コリンナが落とした男は、明け方満足げに帰って行った。見送りをする際、エイヴリルは彼が来た時に身につけていたカフスボタンと時計がなくなっていることに気がついたが、何も触れないでおいた。


(これまで、いろいろなところでコリンナの噂を聞いていましたからね……)


 せめて、その宝石や時計が本人のきちんとした同意のもとにコリンナの手に渡ったことを祈るばかりである。


 そんなことを考えていると、呆れた目でエイヴリルを見つめていたロラはあっさり核心をついてくる。


「あんた、有名な悪女なんかじゃないんだろう」

「え」

「最初からおかしいと思ってたんだよ。外見は評判通りだけど、あまりにも言動が悪女らしくないし、不思議とメイド服が似合いすぎるし」


 思わず自分の胸元から靴の先までを見下ろした。まさかそんなに似合っているとは。



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