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無能才女は悪女になりたい~義妹の身代わりで嫁いだ令嬢、公爵様の溺愛に気づかない~(WEB版)  作者: 一分咲
五章

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12.疑問

 その翌日のこと。


「……またここにいらっしゃっているのですか?」


 朝の掃除を終え、家令から今日の使用人たちのスケジュールについて報告を受け終わったエイヴリルは、自分の仕事を始めようと女主人の部屋に戻った。


 すると、そこにはサミュエルと並んで何かをしているブランドンの姿があった。何度も拒んでいるのに、全く諦めない義父の姿に、エイヴリルは少し頬を膨らませて続ける。


「ディラン様から公爵家の経営に関わる許可は出ていないはずです。どうぞご自分のお部屋にお戻りくださいませ?」

「手伝ってやろうと言っているのに、厄介者扱いしやがって」

「そこまでは言っていませんわ。ここにいらっしゃるのはものすごく迷惑だと申し上げているのです」


 元気いっぱいに笑って伝えると、ブランドンは顔を引き攣らせた。


「お、お前……無邪気にもっと酷いことを言っている自覚はあるのか」

「申し訳ございません、私は、思ったことがそのまま口に出てしまうこともありまして」

「今のはわざとだろう⁉︎」

「はい、わざとです!」


 義父であり前公爵といえば、本当はこんな扱いは許されないだろう。エイヴリルだって、普段は目上の人間にこんな言葉遣いはしないし酷いことも言わない。


 けれど、この相手はブランドン・ランチェスター――アナスタシアを冷遇し、ディランから母親を奪った人間なのだ。冷たくなるのも仕方がないことだった。


(サミュエルに会ってから、前公爵様は私たちを気にかけています。ご自身が家族を顧みなかったことを思い出されたのかもしれません。ですが、それとこれとは別の話だと思います)


 療養のために自然豊かなクラウトン王国に滞在し、心を癒していたディランの母アナスタシアのことを考える。


 長い時間をかけて少しずつ回復した結果、自分のことをわかってもらえるようになったディランは、感無量の様子だった。


 そもそも、ずっと気丈に振る舞っていたがディランだってこの男の被害者である。親子であり、前のランチェスター公爵を務めた男との縁は切れないが、だからといって許す必要もない。お互いに適切な距離を置いていくのが最善だと思う。


 それは、エイヴリルがアリンガム伯爵家を追い出されたときに感じていた感情と同じ類のものだ。


 諦めて受け入れないと生きていけないのならそうするし、一方で、どんなに環境が変わっても当時の怒りや悲しみは心の中に残り続ける。


(前公爵様にとっては、本当にただ単にサミュエルのお家とランチェスター公爵家が近づきすぎないように見張っているだけなのかもしれませんが)


 そんなことを考えつつ、エイヴリルは女主人の机について書類をばらぱらとめくるブランドンをじっと見る。一方、二人の様子を観察していたサミュエルは、はっきりとした口調で理解を示した。


「詳細なご事情はわかりませんが、エイヴリル様の立場はお察しします」

「ええと、ありがとうございます?」

「何事にも惑わされない公爵閣下の姿を内外に示しつつ、屋敷の中では前公爵様のお相手もしなければいけない。とても大変なことですね」


 どうやら、サミュエルにエイヴリルはまだ悪女を演じる必要があると思われているようだ。確かに、初めて会った頃のことを加味すればそうでないと筋が通らない。だが誤解である。


「あの、もしかして行き違いがあるかもしれません。私は本当に前公爵様を追い出したくて……サミュエルが考えているのとは違うのですよ、違う違う」

「行き違いではないな。王都でも有名なこの悪女に、私は酷い目に遭わされたことがある」

「前公爵様⁉︎」


 まさかブランドンがこの会話に乗ってくるとは思わなかった。けれど、彼は重々しく続ける。


「私も、使用人たちの前で厳しく叱責されたり、物を投げつけられたこともある。そういえば、人身売買の現場にも行かされたな。そのせいで警察に事情聴取を受けることになり、立場を失った」

「それは悪女ですね。興味があります。きっと、前公爵様も周囲も困惑されたことでしょう」

「まったくだ」


 二人が意気投合しているように思えるのだが、実際には、サミュエルはエイヴリルが悪女でい続けるのを手伝ってくれているだけだし、ブランドンが言っていることは一応事実だがとんでもない嘘も含まれているし、そもそも『困惑』の意味がわからない。


 そして、何より。


「前公爵様は、悪女のはずの私にどうしてそんなに構うのですか?」


 根本的な疑問を投げ掛ければ、彼はぼそりと言った。


「暇だからだ」

「ひま⁉︎ そんなことでここにいらっしゃるのですか……?」


「ああ。王都にかぶれた悪女がうるさいし、私はもう行く。ブランドナー侯爵家の五男はそいつに付き合ってやるといい」

「未熟者の僕では力不足でございます」

「ははは」


 穏やかなサミュエルの返答に豪快に笑ったブランドンは、そのまま部屋を出て行こうとする。


 そこで、彼は風通しがいい棚の上においてある二挺のバイオリンに目を留めた。


 これは、エイヴリルとサミュエルのもので、音楽祭の準備をしがてら、二人で演奏を楽しむために置いてある。ブランドンは問いかけた。


「これは……うちで受け継がれている楽器か」

「はい、大人用のものはそうです。ディラン様にお借りしています」


 エイヴリルが答えると、彼は懐かしそうな顔をする。


「私も使ったことがあるな。あれと演奏したことはないが」


 ディランのことを指しているのだとわかって、部屋の空気に緊張が混じる。ブランドンが、不満を口にする以外でディランに言及するのは稀なことだ。


 けれど、そのことに触れる前に、彼は部屋を出て行ったのだった。


 残されたエイヴリルは、ぽつりと呟く。


「あの方は、本当に一体何がしたくてここに出入りしているのでしょうか……」


 疑問しかない。けれど、サミュエルは理解を示すように大人っぽい笑みを見せた。


「きっとお寂しいのでしょう。代替わり前のランチェスター公爵はなかなか素行が悪く、一人ぼっちの老後を過ごしていると母に教えてもらいました。素行の詳細は聞いていませんが」

「それ、詳細を聞かなくて大丈夫ですからね……?」


 とにかく。ブランドンが出ていった部屋で、エイヴリルはサミュエルに向き直る。


「いいですか、サミュエル。ランチェスター公爵家の歴代当主が皆、女性と遊ぶのが好きだったり悪女好きだったり変わった趣味嗜好を持っているわけではないのですよ……?」

「エイヴリル様のお立場は理解します。ですが残念なことに、その説明は少し信用ができないかもしれませんね」


 申し訳なさそうにするサミュエルに、エイヴリルは頷くしかないのだった。


「私も今、自分で言いながらそう思いました……」


明日も更新します!

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