5.タウンハウスへの知らせ
それからしばらくは平和な日々が続いた。サミュエルはエイヴリルに付き従い、屋敷中のいろいろなことをすくすく吸収し、身につけていっている。
エイヴリルがこなす業務は多岐にわたる。
一般的に女主人の仕事とされる、ディラン不在時の代行業務や、手紙の代筆、使用人の統率などはもちろんこなすのだが、それだけでなくエイヴリル本人も掃除の列に加わり床を磨いたり窓を拭き上げたりする。
最初、それを見たサミュエルは驚いたように目をぱちくりとさせて固まっていたが、すぐに一緒に掃除をしてくれるようになった。
「屋敷で働く人たちの手本になるため、どんなことでもこなされるのですね」と解釈してくれたようだ。十歳の片腕は敏腕で頼もしかった。
一方、ディランもサミュエルのことはよく気にかけて可愛がっている。
本来、行儀見習いであれば、屋敷の管理についてをメインに教える場合が多い。けれどディランはそれだけでなくサミュエルを書斎に招き入れ、領地経営や自分の側近であるクリスの仕事内容について解説することもあった。
平和で満ち足りた日々。ブランドナー侯爵家の大切な令息を預かっているというプレッシャーにやっと慣れてきたエイヴリルだったが、そこで思わぬ事件が持ち込まれることになる。
サミュエルが滞在するようになって一週間ほどが経ったときのことだった。
その日、朝から夜までの予定で外出していたはずのディランが昼過ぎに戻ってきた。ちょうど、サミュエルに庭の手入れについて解説していたエイヴリルは、馬車を降りて屋敷に入っていく声をかける。
「ディラン様⁉︎ どうかなさったのでしょうか? ずいぶん早いお帰りでは?」
「午前中に会った商談相手に妙な噂を聞いて、予定を変更し、急ぎ戻ったところだ。――フィッツロイ伯爵夫妻が亡くなったらしい」
「フィッツロイ伯爵夫妻というと、先日、アレクサンドラ様が主催されたガーデンパーティーで噂になっていたあの?」
エイヴリルは、自分に挨拶をしてくれたのに、世間話で応じたら、逃げるようにして目の前からいなくなってしまったフィッツロイ伯爵家の令嬢の姿を思い浮かべた。
驚きに目を瞠ると、ディランは周囲を気にする様子を見せながら屋敷内へと入っていく。エイヴリルとサミュエルもそれについていく。ロビーを抜け、階段を上がり、書斎へと足早に向かいながらディランは続けた。
「ああ。しかもその娘――あのパーティーに列席していたジェニファー・フィッツロイが病に倒れているらしい。これは確かな筋の情報だ」
「ディラン様は新しく治療困難な病が流行しているのではと気にされているのですよね? ですが、市井ではそのような情報はありませんわ。普通、流行病は街で広がるのが先ですよね?」
そこまで話して、エイヴリルはフィッツロイ伯爵家の家業について思い出した。フィッツロイ伯爵家の特徴といえば。
(あ。公共事業への出資や運営……!)
今、国が進めている公共事業の多くは貧しい地域の救済を目的に進められている。公共事業で街を整備し住みやすくすることが最終的な目標でも、地域の人々との関係を築きスムーズに進めるため、奉仕活動を合わせて行う場合もある。
フィッツロイ伯爵家の主な活動先として知られているのは、王都の中でも特に貧しい二十四区と呼ばれる地域だった。国も対策をしているものの、資本主義社会である以上貧富の差はどうしても出てくる。
その結果存在する貧しい地域は、治安が悪く、衛生状態もよくないし、医者にもかかれない。もし病があれば一瞬で蔓延してしまうのだ。
エイヴリルの表情から、自分が言わんとすることが伝わったのだと判断したらしいディランは瞳に厳しさを滲ませた。
「昼に王都の二十四区に隔離命令が出た。すでに病が蔓延しているらしい。一ヶ月ほど前から兆しはあったらしいんだが、爆発的な広まりはなく、普通の風邪だと思われて特別な報告はなかったようだ」
「フィッツロイ伯爵夫妻は二十四区を奉仕活動のために訪れていたと。そのせいで、病にかかったのですね」
「そうだ。幸い、ガーデンパーティーに列席していた貴族で病に倒れているものはジェニファー・フィッツロイの他にいないが、王都の貴族たちはみな、念のためタウンハウスを空けて領地に戻るようだ。避難の意味合いもあるが、領主としては万一移動に制限が設けられたとき、領地にいないと困るからな」
「!」
それだけの事態だということに気がついて、エイヴリルの全身に緊張が走った。一方のディランは、エイヴリルの隣で口を引き結び真剣に話を聞いているサミュエルに目線を合わせ、問いかける。
「緊急事態だ。さっき、帰りにブランドナー侯爵夫妻のところに相談に行ってきたんだが、ブランドナー侯爵家は王宮や国家機関に勤めている人間が多く、領地に下がれないのだそうだ。夫人には、ランチェスター公爵家が領地入りするのなら、サミュエルも連れていってほしいと言われたんだが、どうする?」
サミュエルは一瞬だけ考えた後、真っ直ぐに答えたのだった。
「承知いたしました。僕も同行させていただいてもよろしいでしょうか、公爵閣下」
「もちろんだ」
ディランはこの場には不自然なほど優しい笑みを浮かべて、サミュエルの頭を撫でる。できるだけ安心させようという優しい仕草に感動しつつ、エイヴリルもすぐに準備を始めるのだった。
(おそらく、準備が整い次第ランチェスター公爵領へと出発することになるでしょう。急いで支度をしなければいけません……!)
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