48.一日前のこと
時は、一日前まで遡る。
客間の確認をすることで十分な時間を過ごしたエイヴリルは、ディランやリステアードとともに軟禁場所である古い棟に戻った。
エイヴリルは、部屋がある階の入り口、廊下に立っている衛兵に「こんにちは」と挨拶をする。
衛兵は一瞬笑みを返しかけたものの、すぐに困惑したような表情になった。罪人とされる悪女に挨拶を返していいのかどうか迷ったらしい。
そして、エイヴリルの後ろを歩くリステアードの姿を見つけて、今度は緊張した面持ちになった。
「こ、国王陛下」
「変わりはないか」
「はい。ただ、少し前にアロイス様が面会に訪れたようです」
「そうか。ご苦労」
ニヤリと笑ったリステアードの言葉に続き、エイヴリルはもう一度会釈で衛兵にぺこりと挨拶をする。今度は、遠慮がちに挨拶を返してくれたのだった。
部屋に入ると、出ていったときとは明らかに違う空気が漂っている。
「……甘いですね」
ディランが怪訝そうな顔をしたので、エイヴリルはにこりと微笑んだ。
「はい! そういうアロマを焚いておきましたので!」
「出て行くときは、もっと違う香りがしていたように思いますが」
「そうだな。爽やかで柑橘を思わせる我が国の象徴となる花、レイルフラワーの香りだったような」
ディランとリステアードが不思議そうにしているのを見て、エイヴリルはクローゼットの荷物の中から小瓶を二つ取り出した。
「この二つの香りを混ぜて香炉に入れたのです。ですから、初めはレイルフラワーの香り、後半は違う香りになりました」
「? 二つを混ぜただけでは、混ざり合ってどちらの香りとも違ったものになるのではないか?」
リステアードの質問に、エイヴリルは香炉に残った皿をとり、手渡す。
「お茶会でエミーリア殿下からレイルフラワーのことを教わり、図書館で調べた際に知ったのですが、レイルフラワーの花から抽出されるアロマは、非常に揮発性が高い上に他の香りを寄せ付けないのだそうです。だからこそ、一瞬しか楽しめない香りは希少性が高く評価されていて、皆を楽しませるのだと」
「……悪女なのに知的好奇心が旺盛だな」
リステアードに突っ込まれてしまい、目を泳がせればディランがフォローに回ってくれる。
「エイヴリル様は、お金になりそうなことでしたら熱心にお調べになりますから」
「ほう? そうなのか」
「はい! 私はお金と高いものが大好きです」
慌てて悪女をごり押ししてみたのだが、伝わったかどうかはわからない。これ以上ボロを出せないエイヴリルのかわりに、全てを察したらしいディランが説明し直してくれる。
「後半に使われた甘いアロマは、これだけの濃い香りをしています。つまり、この部屋に置かれていたものには、匂いが移っていることでしょう」
「? 先に蒸発したレイルフラワーが後半の香りを弾いているのではないか? 他の香りを寄せ付けない特性があるのだろう?」
不思議そうにしたリステアードだったが、すぐ思い至ったようだった。自分の言葉に自分で続ける。
「……そうか。わかったぞ。この甘い香りがしているものがあるとしたら、レイルフラワーの香りが消えた後――最近この部屋に置かれたという証拠になるということか」
(そういうことです)
心の中でうんうんと頷くと、ディランが気づかないように視線で褒めてくれる。それがくすぐったい上に、説明しなくてもわかってくれる心強さが心地よかった。
「ただ、私は爽やかな香りとともにお出かけをした後、甘い香りに満たされるお部屋に戻ってきたかったのですわ」
別にこの部屋に誰かが何かを置くことなど想定していないし、ましてや罠に嵌めようという意図などはないです、とわかりやすく説明し直してみたが、リステアードにどう伝わったかは不明である。
ただ一つはっきりしているのは、想像した通り、香炉のそばに見知らぬ書類が置かれているということだった。それは二人も気がついているようで、しかも、狙った通りのようだ。リステアードの勝ち誇った意味深な笑みがなんだか怖い。
「そこの机の上に、不審な書類があるな。まるで、見つけてくださいとでも言うようだ。せっかくだ、見てやろう」
その瞬間、突然部屋の扉が開いた。
「⁉︎」
扉が叩かれず、予告なく開いたのでびっくりしてしまう。入ってきたのは、いつもこの部屋に食事を運んでくれている女官だった。
「……っ⁉︎ こ、国王陛下⁉︎」
リステアードは鋭い視線で女官を睨みつける。
「なぜノックもせずにこの部屋に入ってきた?」
「私はただアロイス様の命令で」
驚きのあまり、たどたどしく告げられる言葉は嘘偽りのない真実なのだとわかる。
(どうやら、アロイスさんはこの女官さんに何も伝えていないようですね)
困惑しているらしい女官だったが、目の前にいるのはアロイスの主でもある国王リステアードだ。何を伝えても問題ないと思ったのだろう。隠す素振りすらなく、ありのままを教えてくれた。
「今日、この時間に部屋の掃除をするようにと申しつけられまして……掃除の前に知らせると、証拠を隠す可能性があるから、ノックはせずに入室するようにと」
「……」
なるほど、アロイスはエイヴリルが不在の間に捏造した不正の証拠を置き、部屋に戻ったエイヴリルがそれに気がついてどうしようかとあわあわしているところを女官に通報させる算段だったようだ。
あまりにも用意周到で、ため息が出そうである。
「下がれ。アロイスにはうまくいったと報告しておけ」
リステアードの手に、不審な書類が握られているのを確認した女官は、エイヴリルと書類をじろじろと見比べる。
これが、アロイスが意図したものとは何か違うと言うことは理解したようだ。しかし国王相手に仔細を聞き出すこともできず、目を泳がせている。
そこへリステアードは追い打ちをかけた。
「早く行け。アロイスには余計なことを言うなよ」
「……っ。し、承知つかまつりました……!」
そうして、女官は弾かれるようにして部屋を出て行ったのだった。
女官が部屋を出ていく、二つ目の扉が閉まる音がした後。リステアードは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「――ディラン・シェラード。アロイスが証拠を捏造するに違いないという、貴殿の読み通りだったな。エイヴリル・アリンガムが罪に問われてすぐ、厳重に保管してある試験問題をダミーにすり替えておいてよかったよ。それだけで犯人は絞り込めたからな」
(やはり、これはお二人が仕組んだことなのですね。そして、アロイスさんは私を嵌めるつもりで逆に嵌められた、と)
エイヴリルも、ディランとリステアードが揃ってこの部屋にやってきた時点で、何か目的があるとは理解していた。全員で部屋をあけると言い出したときに、ぴんときた。誰かに対する罠を仕掛ける気なのだろうと。
(通常なら、私が過ごしていた部屋をわざわざ見に行く必要はありませんから。私不在で部屋をあらためるのが普通です)
だから、後から置かれたものに見えないしるしをつけるため、二種類の香りを焚いたのだ。
二人が試験問題の方に細工をしているとは思わなかったエイヴリルは、さすがです、と心の中で感嘆の声を上げる。すると、リステアードはディランに対して軽口を叩く。
「ディラン・シェラードだったな。貴殿はローレンスではなく私の下で働かないか? ちょうど、異国との関わりをひどく嫌がる宰相がひとり失脚するところだ」
「ご冗談を。ありがたいお話ですが謹んで辞退させていただきます」
「つれないな。国民からの反発を防ぐため、合格者を一人増やしてはという助言は見事だったぞ。おかげで、自然と異国との関わりを受け入れる流れができた」
「ローレンス殿下には個人的な恩がありすぎますので。不義理はできません」
エイヴリルが合格したせいで落とされた受験者はいないとするアピールは、ディラン起案によるものだったらしい。それは、リステアードを救うと見せかけて、エイヴリルを助けるものだった。
(ディラン様の機転はさすがですね)
加えて、リステアードからの本気の誘いを上品にかわすディランを見ていると、ローレンスとの絆の強さを感じる。
度重なるエイヴリルの依頼への怒りはあっても、深いところでは信頼し合っているのだろう。合わせて、子ども時代からディランを支えているというクリスのことも思い浮かんだ。
(ディラン様と、周囲の皆様の絆は本当に素敵です)
そんなことを考えしみじみとしていると、会話の矛先が突然こちらに向く。
「シェラード侯の活躍にも舌を巻いたが」
「?」
完全に油断していたため、んっ、となった。
「まさか、香りの細工で犯人を特定し尋問する手間が省けるとは思わなかったがな」
これはいけない。
「⁉︎ 偶然ですわ、偶然」
すかさず微笑むと、ははは、と乾いた笑い声が石壁の古びた部屋に響いたのだった。




