46.新婚旅行のおしまい
その後すぐに、ヴィクトリア号の隠し部屋に閉じ込められていた女性たちは全員が無事に救出された。
船長から出航の合図があっても、機関士たちがボイラーの故障を理由に足止めしていてくれた。そのおかげで女性たちの救出作戦はたやすく完了したらしい。
女性たちはランチェスター公爵家が定宿にしているホテルに運び込まれ、医師が手配され、全員の健康状態に問題なしと診断された。
そして案の定、女性たちはマートルの街で攫われた人間だけではなかったらしい。全員に自宅へ戻れるように旅券が手配され、リンのように身寄りがない者については速やかに行き先が世話されることになった。
全てが終わるまでには一週間ほどかかってしまった。けれど、その翌朝、帰り支度を終えたエイヴリルは少し屈んでリンに目線を合わせる。
『リンさんは母国の孤児院に行かれることになったのですね』
『うん。本当はエイヴリルがいるランチェスター公爵邸で働いてみたかったんだけどな……言葉がわからないし、さすがにまだ子どもすぎるってそっちのイケメン公爵様に断られちゃった』
『……今すぐに働く必要はないだろう。もし、孤児院が合わなかったらうちに来てもいいが、まずは自分の力で頑張ってみろ』
ディランの言葉は突き放しているようでいて、優しい。それを聞いていたエイヴリルはリンの頭を撫でて微笑んだ。
『ふふふ。公爵様はリンさんの将来のことを考えたのですよ。もう少しゆっくり子ども時代を過ごして、大きくなったら我が家に来ればいいのです』
『はーい。エイヴリルって、なんかママみたいだね』
『……ママ?』
思わぬ言葉に、エイヴリルは目を瞬いた。
エイヴリルにももちろん母親がいた頃の記憶はある。けれどその後の継母の記憶が強烈すぎて、自分が母親のようだと言われてもピンと来ない。首を傾げてしまったエイヴリルに、リンは無邪気に教えてくれた。
『そう。わたしはママの記憶ってあまりないけど……でも、髪を結ってくれたり、変なところを褒めてくれたり、面倒見がいいんだけど……なんかお姉さんぽくなかった』
遠回しに変わり者だと言われているようだが、リンが自分のことを怖がっていないのはわかるし、母親との思い出が少ないエイヴリルにとって何よりの褒め言葉のようにも思える。
(悪女扱いされたり、ママ扱いされたり、とっても不思議な船旅のおしまいですね。でもうれしいです)
そう思って『ありがとうございます』と礼をすれば、最後にリンが思い出したように付け足す。
『あ、でもこんな変わったママ、やっぱりちょっとなぁ。いろいろかっこよかったけど、不安はあるよね。……でも、さすが悪女だったよ!』
『……ありがとうございます?』
悪女として褒められたのに、褒められた気がしないのはなぜなのか。若干不思議な気持ちになりながら、エイヴリルは船旅で自分の国に帰るリンの背中を見送ったのだった。
リンの背中が小さくなったところで、ディランが軽く笑った気配がする。
「エイヴリルをママ、か」
「……ディラン様、少し笑いましたね?」
ほんの少し遠い目をしたエイヴリルの肩を、ディランが優しく抱いてくれた。
「いや、向いていないとかそういう意味じゃない。俺が知っている母親とはちょっと違ったタイプの母親になりそうで、楽しく思えただけだ」
「……そうですね。私も、ディラン様は私が知っているお父様とは違うタイプのお父様になる気がします……」
「ああ、だろうな」
港に船が出航する合図の汽笛が響きわたる。
髪の毛をふわりと揺らしていく潮風の匂いは、王都にはないものだ。青くきらめく水面を客船がゆっくりと進みはじめ、エイヴリルは手を振る。
(ずっと見てみたかった海……。はじめて、心穏やかに眺められた気がします)
こうして、エイヴリルの新婚旅行は幕を閉じたのだった。




