42.悪女なので交渉します
少しずつ目が慣れてきたのでわかった。
箱の上からエイヴリルを覗き込んでいるのは、前公爵――ブランドン・ランチェスターだった。顔が煤だらけのエイヴリルを見て、『黒い』しか感想を持たなかったらしい。
それは当然だと思う。
(この黒さのせいで私がディラン様の婚約者のエイヴリルだと気がつかないでいてくだされば問題ないのですが。さすがにそれは無理ですよね)
悪女である自分が前公爵の好みから外れているのはわかっている。けれど、もしエイヴリルだと気づかなくても薄汚れた格好の自分はアウトだろう。
仮に、前公爵がエイヴリルを買うと言い出すことがあるとしたら、エイヴリルが誰なのか気がついて助けるためだ。しかし、悪女のエイヴリルは前公爵に嫌われている。
ブランドン・ランチェスターに売られると聞いた瞬間は焦ってしまったが、冷静になれば彼がエイヴリルを買うことはないのだ。
ランチェスター公爵家が犯罪者の集団に金銭を渡すことがあってはならないと思っているエイヴリルとしては、安心していられる気がした。
(前公爵様の時代がどうだったかは知りませんが、ディラン様が治めている今はそんなの絶対にだめですから!)
「……あっ、お前……!?」
煤で汚れたエイヴリルの顔をじっと見ていた前公爵は、やはりエイヴリルが誰なのか気がついたらしい。しかし、それでも想定の範囲内だ。
エイヴリルはすっくと立ち上がり、恭しく挨拶をする。
「はじめまして、エイヴリル・アリンガムと申します。田舎町では有名な悪女です」
「あっ……? はぁ……」
「私は夜遊びと火遊びが趣味でして、夜な夜な家を抜け出しております。今回も、抜け出して豪華客船のヴィクトリア号に遊びに行った結果、捕まりました」
「はぁ」
前公爵の呆けた顔を見ると、悪女のふりはいい感じなのではないだろうか。けれど、あっけにとられたまま相槌をうってくる前公爵の後ろ、ぽかんとしている女性を見つけてしまった。
先日、グレイスと一緒に前公爵に叱られていたメイドのシエンナである。
(シエンナさん……! 母屋のメイドの皆さんには嫌われているはずですので……問題ないとは思うのですが)
確かに叱られているところを悪女的な振る舞いで助けてしまった覚えはある。けれど、あのときはグレイスに「本当の悪女みたいでしたね」と褒められた記憶もあるのだ。
つまり、誤解を生んだ可能性もあったが今の自分の姿を見たら「あ、やはり悪女だったんだ」と思い直してくれるかもしれない。ということで、エイヴリルは斜に構えてにっこりと微笑んだ。
「さて、私はおいくらで買われることになるのでしょうか。決して安くはありませんわね。だって、遊び慣れたとっても有名な悪女ですもの」
悪女としては『自称有名な悪女』というワードのほかにもっと具体的なエピソードがほしいところだ。
しかしエイヴリルにはこれで限界だし、前公爵に『こいつは買わない。連れて帰れ』と言わせる分には問題ないだろうと思えた。
なぜか積極的に自分の値段を釣り上げようとしているエイヴリルを見て、台車を押してきた犯罪者たちもペースに飲まれたらしい。元の請求書を手書きで書き換えると、前公爵に突きつけた。
「そうだな。この女は見ての通り特別な悪女だ。この金額でどうだ」
「こ……この金額で……!?」
よほど法外な金額だったのだろう、前公爵は目を泳がせて固まってしまった。
(前公爵様が金額だけでも聞こうとしたことは意外ですが、支払うはずがありません。なにより、ディラン様と前公爵様の間には確執があります。その息子の嫁を助けるはずがありませんから)
「たしかに……この女がこの金額なら安いかもしれないな」
「!?」
ちょっと待ってほしい。




