65. 忘れない
ある日のこと。
魔導車に積まれた荷物を降ろす。ホワイト家の庭で僕とルチカはマリーの引っ越しを手伝っていた。
いや、引っ越しと言うよりは帰宅と言うべきか。三年前からマリーは聖騎士のスピネさんに師事する為に、彼女の家に滞在していた。基礎的なことは全て習得し終え、この度実家であるホワイト家に帰ってくる事となった。マリーの才能には僕も最初の一年で気づいていたので、この成長速度には驚かない。
「……これで終わりかな?」
「はい、ルチカさんもありがとうございました」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「うん……ただいまです」
やっぱり二人は仲が良いな。ルチカはこの屋敷に来て以来、身を粉にして働いてくれた。マリーも彼女には感謝しているのだろう。
ずっと使われていなかったマリーの部屋に生活感が戻る。ルチカが定期的に掃除をしてくれていたみたいで、清潔感を保っていた。
思い立って、亡き父の書斎も覗いてみる。正直、僕があの書斎の椅子に座るビジョンは思い浮かばない。騎士になるならば仕事で使うかもしれないが……多分、その未来は訪れない。
書斎の扉を開くと、そこにはマリーが居て、壁の一点を見つめていた。
そこに立て掛けてあったのは、父の騎士剣。聖騎士の紋章と、ホワイト家の家紋が入った剣だ。狂刃に敗れた父の血だまりから拾い、磨き上げたものだ。
「お兄ちゃん」
彼女は入って来た僕に視線を移し、それからまた騎士剣に視線を戻した。
「この剣、今の私にはまだ使いこなせない。剣はあんまり得意じゃないし、お兄ちゃんが持った方がいいかも」
当然のことだが、聖騎士の紋が入った騎士剣は、聖騎士にしか扱う事が許されない。
やはり、彼女はこう思っている。僕に騎士となり、父の誇りを継いでほしいと。
「マリー、決めたことがあるんだ」
「……うん」
誇り。大切なものだ。
霓天の使命。忘れてはならないものだ。
妹は、強くなった。まだ未熟ではあるけど、精霊と契約もしたし、弓も聖騎士が認めるレベルになった。強さの探求が復讐の為であろうとも、僕は彼女の邁進を称えたい。
その上で、伝えたい。
「僕は騎士にならない」
「──」
「今の仕事、楽しいんだよ。バトルパフォーマーは多くの人を笑顔にできるし、傭兵の仕事も困ってる人を助けられるし刺激的だ。きっと父さんも母さんも生きていたら、僕の選択を尊重してくれたと思う。君は君のために、僕は僕のために強くなろう……そうやって生きたいんだ」
マリーは少し、言葉に詰まった。
それから笑って、
「……いいと思うよ。じゃあ、この剣は私が継ぐね」
彼女は決意した。傍目に見てもはっきりと分かるような、強い意志が瞳に在った。
「ああ、たしかに剣術の才能は君にはないかもしれない。けど、それだって努力で補えるんだ……僕が教えることもできるし、騎士の方々に教わっても良い。ヤコウさんとか、父さんの剣術には詳しかった筈だよ」
「そういえば、ヤコウさんにお兄ちゃんって最近何してるのか聞かれたよ」
あー……僕がバトルパフォーマーをしていることはリンヴァルス国外には殆ど知られていない。ネット等で一応発信はされているが、僕のことをわざわざ調べないと分からないだろう。
ヤコウさんがそこまで他人に興味を持って調べるとも思わないし、なんならディオネ国民もマリーに夢中で、大半の人が僕の職業が無職だと思い込んでいる。ディオネ国内とリンヴァルス国内でアルス・ホワイトの評価が雲泥の差なのは、それが原因だ。もう少し自分を喧伝するべきなのだろうか。
かといって、有料のパフォーマンスをネットで公開する訳にはいかないし……有料配信にするとしても、映像越しだと何をやっているのか分からないのだ。
「……そうだ、ちょっと待ってて」
一旦自室に戻り、四枚の紙を持って戻ってくる。
「はい、これ」
「チケット……」
「僕が出る試合のチケットだよ。一月後だ。研修騎士は長期休暇の期間だったと思うし、ヤコウさんもどうせ暇だろうから誘ってみてよ」
僕も昔と比べて成長した。思えば四年前に師匠の元から帰って来てから、王城へは殆ど赴いていないし、父の友人の方々にも葬式以来会っていない。ヤコウさんには何度も訓練に付き合ってもらったし、成長の成果を見せたいという思いもある。
「うん……分かった。バトルパフォーマーってよく知らないんだけど……」
ディオネにはバトルパフォーマーという職業はない。比較的新しい職業であり、先進的な分野に理解のあるリンヴァルスだからこそ広まったともいえる。
パフォーマー同士の戦闘やフロンティアの攻略を通して、エンターテインメントを提供する職業だ。大切なのは勝利はもちろんのこと、派手な演出や分かりやすい戦闘によって観戦者を楽しませることだ。
「まあ、見れば分かるよ」
いつまでも兄の仕事が分からないと、マリーも不安だろう。
僕がそう言うと、彼女はチケットをじっと見つめた。
ーーーーーーーーーー
「ルス兄、腹減った!」
部屋から出ると、突然そう叫ばれた。
この家に住むことになったのはマリーだけではない。この男、タナンも住む……というよりは、たまにふらっとやって来ては飯を食べたり、勝負を挑んできたりする。
「まだ夕食には早いよ。おやつでも食べるか?」
彼が興味を抱くのは、戦闘と食事のみ。空き時間や、僕らが寝ている時間に何をしているのか聞いてみれば、フロンティアへ魔物狩りへ行っていたりする。
「おう、買いに行くか!」
「いや、待て。たしか贈り物の林檎があった筈だ。僕がアップルパイを作ろう!」
「おお、ルス兄の料理か! 食ってみたいぜ!」
レーシャから教わった林檎料理は数知れない。彼女の好物らしく、一緒に料理しようという話になった時には、大半が林檎料理になる。
そのおかげもあって、お菓子料理の知識がだいぶ偏ってしまった。
一階に降りると、ルチカがお茶の用意をしていた。
「ご主人様、先程レーシャ様がいらっしゃいました」
よく見ると、来客用のカップだった。
ちょうどいいタイミンでレーシャが来たな。あまり現実世界に彼女が居ることは少ない。一度現実世界に出現したら、そのまま暫く滞在しているらしいので今回もディオネを見て回っていたのだろう。
なんでも、人間から創世主に戻ると現実世界に行く気が無くなるとか。
「こんにちは、レーシャ」
「アルス君、お邪魔してます」
彼女はまるで我が家のようにだらしない姿勢でくつろいでいた。このままずっと家に居てくれたら嬉しいんだけど。
「これからアップルパイ作るんだけど、どう?」
「お、一緒に作ろう!」
先程までの気怠さはどこへやら、勢いよく立ち上がり目を輝かせるレーシャ。
思わず笑みが零れてしまう。やっぱり彼女を喜ばせることが一番の幸せだ。
「んじゃ、俺は終わるまで庭で訓練してるぜ」
タナンはそう告げて家から出て行った。
「私もお手伝いいたしましょうか?」
「いや、ルチカは休んでて。二人でやるよ」
「承知いたしました」
マリーとタナンが入居し、最近は家事も増えた。彼女の負担も増えているだろうから、少しは休んでほしい。今度長期休暇を設けよう。
----------
さて、この行程も慣れたものだ。
林檎を小さく切り、砂糖やバターで煮込み、水風魔法で水分を取り……
「今回はカスタードクリームも入れよう!」
「うん、いいね」
レーシャの提案でカスタードクリームを入れることに。
彼女は卵黄と砂糖、バニラエッセンスを冷蔵庫から取り出し、どういう理屈なのか……一瞬でカスタードクリームを作り出した。
何度見ても魔法の無駄遣いである。いや、便利だけどさ。
パイシートを切り分け、引き伸ばす。そこにレーシャが切り込みを入れ、林檎のコンポートとカスタードクリームを投入。
上からパイシートを乗せ、水魔法で閉じる。あとは表面を卵黄で塗って、焼くだけ。
「レーシャ、卵黄」
「…………」
黙って余ったカスタードクリームを差し出された。
「???」
……それ卵黄じゃないよ?
「全部使っちゃった。てへぺろ☆」
彼女はそう言いながらウインクした。
「よしかわいいからゆるす」
一瞬可愛さで意識が飛びそうになったが、どうしようか。
カスタードクリームがやけに余っている時点で気づくべきだったか。たしか前にも同じことがあったな。
「ご主人様、こちらに予備の卵がございます」
悩んでいると、ルチカが別室の冷蔵庫から卵を持ってきた。
有能。
「おお、ありがとう。でも、なんでこんなに都合よく?」
「……以前も同じことがありましたので」
なるほど。でもこの事態を想定して準備できていたというのが凄い。
僕は何度もレーシャのやらかしを見ているのに、対策出来ていなかった。
「まあ、こうしてルチカちゃんが用意してくれていることも想定してカスタードクリームを多めに作ったんだよ、うん」
「流石です、レーシャ様。私には到底真似できません」
「うんうん、そうでしょ?」
ルチカ、絶対皮肉だよね。
なお、レーシャは皮肉だと気付いていない模様。
「よし、焼こうか。お願い」
僕は繊細な魔法が苦手なので、レーシャが担当だ。
卵黄を塗って、彼女に火魔法で焼いてもらう。僕がやると十五分ぐらいかかるのだが、彼女がやると三十秒で終わってしまう。
「はい、完成!」
……という訳で、アップルパイのできあがり。
僕らの林檎料理にハズレなし。みんなに食べてもらうとしよう。
ーーーーーーーーーー
「おお、クソうめえ!」
「わあ、おいしい!」
タナンもマリーも大絶賛だ。
僕もレーシャにお菓子を作ってもらって初めて食べた時、美味しさで震えたものだ。
口へ運ぶと、ふわりとした生地の中に、甘美なる林檎とカスタードクリームの風味が広がる。
やはり、食事は良い。食事を必要としない神族や魔族が食事をするのも、この瞬間のためだ。
レーシャも幸せそうにパイをほおばっている。
──ああ、この瞬間が僕の至福だ。
「うん、良いねアルス君。お互いの幸せな顔が見れるのは」
どうやら彼女もまたこちらを見ていたみたいだ。
「……そうだね」
この日常がずっと続いてほしいものだ。
──どんな未来がこの先、射し込んだとしても。
僕はこのひとときを忘れない。
3章完結です!




