61. 霓天マリー・ホワイト
「四葉──『炎天矢』!」
無数の炎が束になって降り注ぐ。神能によって作り出される矢は、マリーの魔力が続く限り絶える事はない。
高速の矢の雨を障壁によって防ぐ呪術師は、緩やかな動きでマリーへと近づいて行く。神能による攻撃は極めて高威力。一矢を障壁で防ぐにもかなりの魔力を消費することから、呪術師の魔力は相当なものだと分かる。
「ヒッヒッヒッ……老体には堪えるのお。もう少し優しくしてくれんかの?」
反撃に呪術師は土魔術を放つ。
地面の岩が隆起し、槍となって勢い良く射出される。
「風よ!」
呪術師が放った魔術は威力こそ高いが、隙が大きい。並の速度ではマリーに攻撃を当てることは不可能。彼女は風魔術によって高く舞い上がり、再度矢の雨を浴びせる。
一見すれば彼我の実力差は明白。一介の呪術師と霓天では、どちらが勝つのか……という問いは愚問だ。
しかし、戦闘を見つめる悪魔の眼は警戒の色を解かなかった。
「……ヒッヒ」
ふと、呪術師が不気味に笑う。
マリーが岩に着地した、その時。
「ッ!?」
黒き霧が、足元から噴出した。
「ふむ、設置型の呪印ですか。ここら一帯に張り巡らされているようだ。お気を付けて」
瞬時にマリーを救出したブルーカリエンテによって、その黒霧が彼女を襲う事はなかった。
触れた瞬間に生命を蝕む黒霧が噴出する呪印がそこかしこに設置されている。その事実がマリーの俊敏な動きを鈍らせる。
「ふむ……やはり男から潰すべきじゃの。傍観しているとはいえ、そう動かれてはどうにもならん」
呪術師の昏い瞳が悪魔を捉える。
「ほう……貴方如きに、私をどうにかできると?」
「ヒヒヒ……伊達に百年以上生きておらんわ。貴様が人外であるのは察しがついておる。こんな時の為に対策は用意してある……」
呪術師が懐から取り出したのは一つの宝玉。
黒く鈍い光を放ち、艶麗な美しさを感じさせる。
「なるほど、封霊の宝珠ですか。珍しいものをお持ちで……いえ、この世界ではそう珍しい代物ではないのだろうか?」
「……知っておるのか?」
封霊の宝珠は、神気或いは邪気を持つ存在を封印する宝具。封印できる対象は使用者の魔力に左右されるが、この呪術師が使えばブルーカリエンテすらも封印できるだろう。
「良いだろう、封印されようではないか」
「え!?」
予想外の悪魔の答えにマリーは驚愕の声をあげる。
呪術師も流石に表情を硬くし、構えを取った。
「呪術師よ。私が守る所為で彼女を倒せないと思っているのならば、大きな間違いだ」
悪魔はマリーと視線を交差させる。
「私など居なくても、貴方は死なないし、呪術師に敗北することはない。貴方を見守る者は私だけではないのだから。……己の強さを証明してあげると良い」
「え、ええっと……はい、負けるつもりはありませんが……」
突然自身の力を認めたかのような悪魔の態度にマリーは当惑する。
兄は悪魔にマリーを守るように命令した筈だが、封印されていては守ることなどできない。
「ふん……後悔するでないぞ」
「ええ、勿論。……さあ、封印するがいい」
どうやら彼は本気のようだ。
悪魔は契約を違えることは決してない。故に、マリーが導き出した結論は一つ。
「……本当に、私の勝利を確信しているのですね。分かりました、任せて下さい」
「ヒッヒッ……舐められたものじゃ。それ、闇に閉ざされよ!」
宝珠から魔手が伸びる。それは悪魔の身体を包み込み、宝珠の中に閉じ込めてしまった。
宝珠の封印は使用者の魔力が切れることで解かれる。マリーの勝利こそがブルーカリエンテの解放条件でもあるのだ。
「ヒヒヒ……厄介払いは済んだぞ、お嬢さん。これでお主を守る者はもういない……」
「構いません。あれ程の猛者が、私の勝利を約束してくれたのですから」
マリーは静かに矢を番えた。
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「封印されるのは久々だ。……さて、見せてもらいましょう」
永遠の暗闇に落とされた一点の青。
彼は静かにマリーと呪術師の戦いを眺めていた。主から与えられた任務は、マリーを守る事。その点に関して言えば、憂いは欠片もなかった。
「先程、設置された呪印に掛かりそうになった時。大いなる存在の加護が見えました。私と同程度の格……邪気は無かったので、恐らく精霊でしょうか。彼の者の加護がある限り、呪術による敗北はあり得ない」
ブルーカリエンテは、この戦闘で彼女を見極める気でいた。悪魔の経験を以てしても見極められぬマリーの難解な感情。人間の感情を手玉に取る悪魔にとって、人の心を掌握できないという事はあるまじき事態なのだ。
「精霊は通常の人間に加護を与えない……それは大体の世界でも普遍の法則のはず。純潔すぎる心、狂気的な心、不遜な心……特殊な心を持つ者に精霊は加護を与える。だとすれば、彼女の特異な心が精霊を惹きつけたのか……?」
精霊の加護は、当人が自覚することで強く発揮される。マリーは未だに加護を受けていることに気付いていないようだ。
「彼の者の力がどの程度かも気になるな。……彼女が気づいてくれれば良いのだが」
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「くっ……」
マリーは苦戦を強いられていた。
序盤は優勢を保っていたが、呪印があると判明してからは思ったように動けない。ブルーカリエンテの補助が消えたというのも大きい。
だが、彼女は勝ちを確信していた。悪魔の言葉と、見えない何かが背中を後押ししてくれていたからだ。
「ヒヒヒ……どうじゃ、我が魔術は」
土魔術によって作られた土槍がマリーを狙う。
呪印を警戒しつつ、回避する。
「魔法弓雨!」
無数の属性矢が降り注ぐ。
呪術師はそれらを障壁で防ぎながら右回りに移動する。
「チッ……神能は厄介極まりないの。じゃが……」
計画通りだ。
呪印を複数設置した箇所にマリーを誘導できている。回避はまず不可能、その地点にさえ誘導できれば呪術師の勝利だ。
そして、その瞬間は目前。
「土大破」
呪術師が高威力の土魔術を放つ。
マリーの右側から土石流が持ち上がり、それが爆ぜる。
彼女は魔術を回避しようと左手へ跳ぶ。其処は、陥穽。
「ッ、しまっ……!」
「ヒヒヒッ! さらばじゃ霓天の子!」
黒き霧があらゆる方向から噴射される。
不可避の理不尽が、彼女を包み込んだ。
「……死んだか」
黒霧を見つめ、呪術師は安堵する。
いかに未熟な若者が相手とはいえ、神能を持つ者だ。少しでも油断を許せば、射抜かれていたに違いない。実際、危うい場面は幾度もあった。
呪術師がその場を去ろうとした、その時。
「むっ……!?」
焼けた鉄板に何かを乗せたような音。
水蒸気の発するような音が、背後から聞こえた。
「なんじゃ?」
振り返り、黒霧を凝視する。
黒き壁を引き裂き、溢れ出したのは、水。
螺旋状の水柱が連なり、黒霧を薙ぎ払う。呪いが霧散した後に、其処に立っていたのは、
「……言った筈です。私は負けないと」
──霓天、マリー・ホワイト。




