58. 敗北の運命
「敵わない……? それは、大きな間違いだな」
蒼き悪魔は、マリーの言葉を否定した。
兄に届き得る事はないと……無意識に口から洩れた言葉。それが間違いだと言うのならば、マリーは兄と肩を並べる程の実力を手に入れられるという事になる。
峡谷を進みながら、彼女は悪魔の声に耳を傾ける。
「渇望──生物の根幹を成す魂の内の一つだ。貴方の魂からは、はっきりと力への渇望が透けて見える。……本来ならば、我々悪魔種の恰好の獲物だ」
「……!」
冷徹な言葉に、思わずマリーは後退る。
自分でも強さに固執しているのは分かっていた。だが、この渇望の火を絶やす訳にはいかない。復讐を為す日まで。
「この世界を害さないというのが、使役者との契約だ。貴方を破滅に導くつもりはないので、安心すると良い。……尋ねよう、貴方が兄よりも優れている点はなんだ?」
「ッ……! それ、は……」
答えに窮する。
逡巡の末、彼女は答えた。
「……ありません」
「ああ、それだ。その思い込みが、貴方を閉じ込めている」
悪魔は冷徹ながらも、諭すような声で続ける。
「強者など、上を見たらキリが無い。この世界では、八重戦聖といいましたか……まさか貴方も彼らに勝てるとは思ってないでしょう。同様に、我が使役者も立場が、運命が貴方とは大きく異なる。……何故、貴方は全てにおいて彼に敵わないと考える?」
「全てに、おいて……?」
自分は、かつて兄の全てに……剣も、魔術も、神能も追いつこうとしていたのだと思い出す。
そうしなければ、狂刃を殺せないと思っていたから。
「貴方は、弓の扱いにおいても兄に負けるのか?」
「……あなたの言いたいことは分かりました。俗に言う、長所と短所ですね。人にはそれぞれできること、できないことがあって……自分にできることを伸ばしていく」
綺麗事だ。馬鹿げている。
「ええ、美しく言えば、まさしくその通りだ。だが、敢えてこう換言しよう。
……敗北の運命は生まれた時から決まっている。故に、諦めろと。だが、貴方は諦めるだけで終わっている。我が使役者にも、敗北の運命は無数にある。だから勝利の運命を貴方が見つければ良いだろう」
悪魔は『敗北の運命』に絶望する者を、獲物として見続けてきた。だからこそ、その絶望を払拭する術も熟知しているのだろう。
しかし、
「そう、ですか」
マリーは俯いたままだった。
彼女の反応に初めて悪魔は眉を顰める。渇望故の、劣等感。その行き着く先こそがマリーのような自棄だと彼は知っていた。
だが、眼前の少女は希望の欠片も見出していないようだった。
(渇望は表層に過ぎないのか……? しかし、これほどまでに強い力への渇望が偽りであるとも思えない。人間の心は熟知していると思っていたが……傲慢だったか)
悪魔は新たな観察対象として、マリーを見定めることにした。
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「…………」
沈黙の行進が続く。
峡谷を貫く川に沿って進むマリー。もはや彼女自身にも、どこへ向かっているかは分からなかった。
件の魔物は見えず、時折通常の魔物と遭遇するのみ。
「おや……人の気配です。向こう側から」
「……遭難者かもしれません、行ってみましょう」
人の手が加えられた舗装道を見つけ、歩くこと数分。
現れたのは、一軒の小屋だった。
「入ってみますか?」
「私は貴方に従うまでだ」
魔物が跋扈するフロンティアに居を構える者など滅多に存在しない。
相当な実力者か、観測員か、或いは──
「ヒッヒッヒッ……何か用かね?」
狂人。
家の扉を開け放つと、一人の老婆が座っていた。
それだけならば、何の変哲もない光景だ。だが、傍らにはいくつもの呪術の黒色魔法陣と、硝子管に入った得体の知れない液体。
即刻、マリーは老婆への警戒心を限界まで引き上げる。
「私はディオネ神聖王国、研修騎士階級のマリー・ホワイトと申します。……短刀直入に聞きましょう、あなたが『壊霊』ですか?」
「……壊霊、ベローズは儂の孫じゃよ。しかし、また霓天か。騎士団に我らの拠点が明かされるとは……そろそろ潮時かもしれんの。ヒッヒッ……」
老婆は不気味に笑い、二人の訪問者を見定める。
両者とも戦いの経験があるようで、隙はない。しかし不気味なのは青髪の男で、呪術の痕跡を目にしても一切の動揺を見せない。それどころか、常に老婆を軽蔑するかのような威圧感を放っている。
「あなたが壊霊に協力しているのならば、王国法の第十八項に抵触します。……まあ、呪術を行っている時点で拘束対象ですが」
呪術が禁じられている理由は様々だが……代償が大きい術であることが大きい。
神々が生命に授けた理内魔術に反して、人の手により編み出されたものが理外魔術である。回復魔術や建築魔法など、生活に役立つ理外魔術も存在するが、呪術は破壊によって力を引き出すものが多い。生き物の命や臓器を必要とすることから、多くの国では禁止されている。
石や樹木を砕くことでも発動する呪術はあるのだが、とにかく黒魔法陣の魔術は呪術として全て禁止されている。
「ヒヒヒ……拘束すると言われて抵抗しない程、儂も耄碌してないのう」
老婆は手を翳し、マリー目掛けて呪術を行使する。
『触空の魔霧』。吸い込んだ者の身体を蝕み、生命活動を停止させる霧が噴出された。マリーと老婆の距離であればその霧からは逃れられない。
「ッ……!? え、え……?」
筈だった。
「なんじゃと……」
霧の凶手はマリーに触れず、散っていった。
悪魔が瞬時に動き、マリーを遠ざけたのだった。
「ヒヒ、やはり男の方が警戒すべきじゃったか」
「……ありがとうございます。私は呪術師を捕えますが……これは私の仕事なので、補佐だけお願いします」
「了解した。あの呪い師は中々に練度が高い。貴方が命の危機に晒される瞬間は度々あるだろうが……その時は今のように、私が手を出させてもらう」
「お願いします」
マリーは悪魔に譲ってもらったことに感謝しつつ、老婆に注意を向ける。
一方でブルーカリエンテは、この戦いを通して少しでもマリーを見極める事にした。使役者のマリーを守るという命令は絶対遵守だが、戦わせていけないとは言われていない。彼女の不可思議の心は悪魔でも解せないモノであり、それを理解する為には十分に観察する時間が必要だと判断したのだ。
「おやおや……そこの男は攻撃してこないのかい? ヒッヒッヒッ……ありがたいねえ」
「ディオネ騎士として、あなたは見逃す訳にはいきません。……いきます!」
(さあ、見せてもらおうか……戦いを通して、貴方の真価を)




