幕間2. 揺蕩う者
ソレイユを出国する前夜。
アルスは夜風に当たっていた。この夜闇も、先日の戦いで見た暗黒と比べれば嘘のように明るい。
王城から見渡す景色は一面の更地。この国はもう一度ゼロから文明を築くのだ。
「ああ、ここにいたのか。ようやく見つけられた」
ふと背後から声がかかる。
厄滅の最中にアルスが呼び出した英霊……AT。
「アルス、僕はもう消えるよ。世界を護るという使命は果たしたからね」
「……もう行ってしまうのか? これからの世界は気にならないか?」
「うん。僕は蜃気楼のように揺蕩う存在。役目を終えれば消えるものさ。また別の世界線では君と戦うことになるのかもしれない」
AT──彼はなにゆえ世界を護ろうとするのか。
彼が元々何者であったのか、アルスは先の戦いで気が付いていた。しかし彼はアルスの知るあの人とは大きく違う。だからこそ、あの人と彼を同一視して呼ぶ気にはなれない。
「君に破れて死んだ僕がもう一度世界へやってきて、因果が消える瞬間を観測できた。これはまさしく奇跡だ。僕を呼んでくれたアルスとアテルには感謝してもしきれないな」
「AT、君の目的は世界を護ることだそうだな。では、その先にある最終目標は何だ? 世界を護って何がしたかった?」
返答によっては、アルスは再びATを拒絶しなければならない。
リフォル教と呼ばれる非道な組織まで組み上げて為そうとした悲願。世界の守護の先に彼が見据えるものとは……
「……僕は自分が何者であったのか、正直なところあまり覚えていないんだ。だけど、どうしても忘れることがない記憶がある。僕はその一瞬を取り戻すために……藻掻こうと決めたんだ。世界を護ること……だけが僕の本質という認識は誤謬であり、すべての世界線を護るということが僕の最終目的。……だったはずなんだけど」
「はずなんだけど?」
「うん……なんだかアルスに会ったらどうでもよくなってきたかな」
ATの語る『一瞬』。
それはアルスにとってもまた、大切な瞬間だった。
しかし、アルスは止まれない。
「ATはAT自身が目指す目標に向かって行けばいい。そして僕もまた、最後の目標に向かって歩き出そうと思う」
「……最後の目標か。その目標は君が共鳴者であることの本懐を果たす、ということかな」
「おそらく、たぶん、きっと。僕に残されたただ一つの役目があるはずだ」
まだ一つだけ、アルスを除いて世界には因果に囚われた存在がある。
新たなる世界の幕開けを完全に告げるには、残された因果を払拭する必要があった。
「うん……そうか。では僕は消えるよ」
「ありがとう。AT、君とは色々あったが……最後に話せてよかった」
終わりよければすべてよし。
かつていがみ合った敵とも、最終的には手を取り合えばいい。
「…………帰るべき場所へ、どうか帰ってあげてね」
声に振り向いた時、ATは蜃気楼のように消えていた。
もうアルスが彼と出会うことはないだろう。
~・~・~
出立の時は来た。
これよりアルスは故郷ディオネに帰国する。
ユリーチ、シレーネはルフィアへ。
ジークニンド、ダイリード、ナリア、サーラは楽園へ。
同じように祖国へ帰るために車に乗り込む面々を眺めながら、彼は別れを告げるべき人を探した。しかし探し人は見当たらない。見送りのリリスだけが車の傍にいた。
「……アルス? どうかしたの?」
サーラがアルスの袖を引く。
仕方ないと割り切り、彼は車へ乗り込もうと歩き出す。
「いや、なんでもない。行こうか……とは言っても、君たち楽園組とは別の車だな」
彼はユリーチ、シレーネと共にルフィアへ向かい、そのまま北方のディオネを目指すことになっていた。
南下する楽園往きとは進路は異なる。
「そうそう。でも、またすぐに楽園に来てくれるよね?」
「もちろんだ。ダイリードの話によると、この百年で楽園はかなり荒廃してしまったらしいからな。壊れた建物の再建、瓦礫の除去、植林など……かつての姿に戻すのはだいぶ骨が折れるぞ。復興は皆でがんばらないとな」
「掃除かあ……」
サーラは露骨に嫌そうに顔を顰めた。しかし気を取り直して頑張ろう、と拳を握り締める。
彼女も弟のゼロを喪って心を痛めているはずだが、悲痛な素振りはまったく見せない。昔の本能的な無邪気さとは違う、成長ゆえの朗らかさ。
既に魔導車には他の面子が乗り込んで出発を待っている。
サーラもまたジークニンドたちが乗る車へと乗り込んだ。
「霓天殿、どうかお気をつけて」
「リリス殿。見送りありがとうございます。あなたもこれから先、大変だと思いますが……がんばってください」
「もちろんです。ソレイユは亡国となり、魔導王が退位されたとはいえ……拙はこの国の立派な魔導士です。世に『夢が詰まったステキなもの』を溢れさせるために、拙は奔走し続けましょう」
いつか彼女の魔導は実を結び、奇跡を実現するだろう。
偉大なる魔導士リリスに送られ、英雄たちは結界の外へ駆け出した。
~・~・~
「……ふむ、挨拶もせずに別れて良かったのか? ノアよ」
小さくなっていく車を王城から見下ろしながらアビスハイムは問うた。
同じようにオッドアイの瞳でノアは彼らを見つめている。
「ええ、いいのです。私にはまたやらねばならないことができましたから。それに……再びアルスさんには会うつもりですし」
「やらねばならないこと? なんだそれは」
「まー恩返し、でしょうかね。この世界は大きく変わりました。おそらくですが、因果が消滅した影響は魔術や魔法にもあるはずです。色々と研究をここで重ねて、アルスさんには恩返しをしようと思いまして」
「ほう、おもしろいではないか! 我も奴には恩返しをせねば気が収まらん! 協力させよ!」
掴み取るは無限の可能性。
因果が消えた今だからこそ、法則に縛られずに魔術を発展させることができるかもしれない。
ノアはまだ見ぬ可能性への高揚と、調停者という責務から解き放たれた自由に酔っていた。
そして未来への道を突き進む。




