154. 逃げて想って苦しんで、壊れた
小さいころから、少しだけ運が悪かった。
ぐるぐると回る観覧車、落ちていくジェットコースター。夜闇に煌めく光が世界を照らす。
ルフィアの大きな遊園地、その高台で。
俺はカシーネと向かい合っていた。魔神討伐から一か月も経っていない頃のことだった。
「カシーネ。伝えたいことがあるんだ」
「うん」
直前までずっと迷っていた。
この想いをぶつけてもいいのか。俺は忌子だ。
運が悪くて、生まれだって貧しい人間。
神能も俺の悪運を補うように、運を補正する『幸招』という代物だった。
でも……俺らは魔神戦役を生き残った。四英雄、ひとりも欠けず。
「俺は……」
だから、もう許されたんじゃないかな。
俺の悪運は……消えたんじゃないかな。きっと一緒にいる人を不幸になんてしない。
旅の果てで、俺は俺の納得できる姿……『普通の人間』になれたのかもしれない。だから、俺は今から叶わなかった願いを叶えたい。
普通の人間になったら、次は幸せだ。俺は幸せになりたい。
「俺は、君が好きだ」
幸せになるためには、彼女が傍にいる必要があった。
最初に出会った時からずっと……カシーネに恋をしていたのだと思う。人を思いやる綺麗な心が、屈託のない笑みが、純真無垢な瞳が、綺麗に揺れる赤髪が好きだ。
暗闇の中、カシーネは驚いたように目を見開く。
俺では駄目だろうか。
「……えっと、」
言葉に詰まっている。
ああ、やはり……
「その、嬉しい……私もね。オズのことが好きだよ。最初に会って、私に生きる道をくれて……楽しかった。一緒に旅をしてよかった」
「……! それじゃあ……」
「う、うん……不束者ですが、よろしくお願いします」
この瞬間、一瞬が。
俺を呪縛から解き放った。
俺はもう……運の悪い忌子じゃない。
たった一人の、幸福な人間だ。英雄の名誉も、力も、何もかも要らない。ただ彼女との日々があればよかった。
よかった、のに……この瞬間は俺を呪縛から解き放つと同時、新たな呪いをかけた。
~・~・~
『…………』
くるり、くるり。観覧車が。
がたん、ごとん。ジェットコースターが。
回る、回る──回り続ける。
かつての残影、追憶。延々と魂の中で……死の瞬間と、かつての幸福が再生され続ける。
誰か止めてくれ。この地獄を終わらせてくれ。
呪いの権化、怨霊となった俺を終わらせてくれ。
「──」
「──」
「──」
五月蠅い。
遊園地を這いずる人間の声が煩わしい。
誰も俺を見ない。見えやしない。
当然だ、亡霊など誰が見ようか。この遣り場のない憎悪、怨恨、呪詛をどこへ向ければ良い?
眼前で笑う人間を皆殺しにすればいいのか?
英雄の俺がそんな真似を……いや、俺は英雄じゃない。『黒天』はマーキス・ティズだ。オズなんて英雄は存在しなかった。
遊園地で四英雄を讃える演劇が行われている。俺はステージの隅に立ち尽くし、演劇を見つめた。
「おのれ魔神! 『黒天』マーキス・ティズの名にかけて貴様を討つ!」
ああ、面白い。
面白過ぎて……反吐が出そうだ。
無知な猿供が笑っている。嘲笑か、失笑か。
他人を信仰して寄生するしか能のない人間供が。
『…………』
嗚呼、分かってしまう。
俺はこんなことを思う人間ではなかった。だが、どうして正常でいられようか。
延々とかつての惨劇と幸福が頭の中でループし、怨恨を原動力として生き続ける俺が。
どうして正気を保っていられる?
ステージへ踏み込んで、『黒天』マーキス・ティズの仕草を真似してみた。
とても立派な英雄になれた気がした。誰も俺の姿は見えない。人間も、魔族も、精霊も、神族も、誰も視認してくれない。どうして俺は存在し続けるのか。
~・~・~
『………カシーネ』
ナージェント家の一室は今日も暗闇に満ちている。
カーテンが閉まり、ずっと部屋に籠っている少女がいた。
かつての花のような笑顔は見る影もない。俺が事故で死んだと聞かされた日から、彼女は部屋に籠り切りだ。事故なんて嘘で、本当は暗殺なのに。
怨霊となった俺でも、彼女だけは幸せにしてやりたいと思う。
でも、誰にも見えないこの身にできることなんて……
『せめて、』
せめて、俺に力があれば。
怨霊でも世の中を揺るがせるほどの力があれば。彼女を幸せにしてあげられるかもしれない。たとえ俺がいなくても、彼女を幸せにしてくれる人が──
「──見つけた」
『……?』
声が、聞こえたような気がした。
でも部屋にはカシーネ以外いない。彼女は一言も喋っていないのに。
「見つけたぞ、黒天。……哀れな姿だな? 力が欲しいと渇望したか、恨みを晴らしたいか?」
『誰だ……?』
どこから声が届いているのか分からない。
カシーネには聞こえていないみたいだ。上から、下から、左右から。どこからでも聞き取れるし、どこからも聞こえない声が。
「良かろう、お前の願いを叶えてやる。──神を、創造神を壊せ。我が身が加護をくれてやる。そして……暗黒の帳を晴らしてくれよ、英雄?」
『……ッ!!』
──痛い!
魂が、割れるように痛む!
自分の根源が、どす黒い何かで染め上げられていく……!
やめろ、俺は……!
『英雄じゃない! やめろ、カシーネ……ッ!』
手を伸ばす。
届かない。
もう、一寸先は闇だった。
かつて愛した人の姿は見えない。何も無い。
無だ。
いや、違う。この身が……呪いだけが残っている。
『……………………』
俺は──誰だ?




