146. キセキ
青き霧が一筋、暗黒の天に舞った。
巨獣の咆哮が高波を巻き起こす。
『オオオオオオオオッ!』
邪神ダイリードの太腕が力任せに振り下ろされる。当たれば即死は必至。
対するアルスは天空で翻り、青霧で自在に強力な攻撃を往なしていく。両者は共に八重戦聖に名を連ねる神族。勝負の行く末は誰にも分からない。
「彗嵐の撃、穿神──『青霧荒月』」
ただ一撃、爆発的なエネルギーが生じ世界が歪む。
ダイリードは比類なき青霧の攻撃を真正面から受け止めた。時間を斬り裂く攻撃は防ぐことができない。彼の腕を斬り裂き、魂を裂く。
しかし……
『ォ……オオオオ……オオオオッ!!』
再度、咆哮。
強引に傷を神気で修復し、アルスに吶喊する。彼の神能、『混沌の衝動』は純粋な能力強化。凄まじい力を得ると共に、理性を蒸発させるもの。混沌の神能でありながら、秩序の神能と同様に理性を崩壊させる。
「君は……っ! そこまでして破壊神の為に戦うのか!」
『無……論! ワレは……我はッ! あのお方以外ニ、信じるモノなどないのだからッ!』
創造神の力になるべく創られ、創造神の為に死ぬべく創られた哀れな神……ダイリード。
彼の存在意義を最も固定しているのは、他ならぬ彼自身だ。自らの意思など関係なく、彼はひたすらに主の為に突き進む。
では、彼と長年を共に過ごした仲間はどうか。
今ダイリードと戦うアルスは何を思うのか。
「違う! 君は君だ……ダイリードだ! 創造神の右腕は一つの顔に過ぎない。私は君を知っている。誰よりも仲間を想い、動物を愛していて、天体観測が好きで……六花の将、私たちの仲間だ! そんな個としての君を私は知っている!」
『っ……』
崩壊する理性の中、ダイリードの動きが鈍る。
アルスの言葉はたしかに彼の心へ届いた。衝動を押し止めるほどに深く。だが、未だに残る欠片の理性は絆を否定する。自分の存在を認知しているからこそ、彼は拒絶する。
『黙れ……! ワレは……もう、良い……! もう……オオオッ!』
海を割る打撃がひたすらに振り下ろされる。掠め手はなく、純粋に高い破壊力と速度。
神域に至る武は全てを強引に捻じ伏せる。完全なる暴威のダイリードに対し、技巧を兼ね備えたアルス。
互いに互いが一歩も譲らない。
『──嗚呼、アルス……マモナク、破壊が来る。全てを終わらセよ。ナンジ、ワレ……どちらが勝ろうともッ!!』
「私は……君を殺したくないよ。アリスも、リグスも死んだ。ゼロも敵に回った。だからもう……これ以上、私から友を奪わないでくれ」
しかし、必ず終わりは来る。
勝利とは即ち魂の終焉。
勝つのはどちらか。
~・~・~
「勝つのは拙です。『夢集爆撃』!」
七色の極光が爆ぜ、天魔ソウムの肉体を包み込む。
しかし効かない。相変らず天魔は空中へ浮遊して余裕を保っている。防御術式すら発動せず、ただ其処に佇んでいるだけの仮面の者。
『天魔ソウムは敗北しない』……それが改編された世界の事象。これを『天魔ソウムは勝利する』に改編しただけで、全てが終わる。
「どうして無駄だと分からないのですか。諦めた方がよろしいかと」
「いいえ。魔導は不可能を可能にする。いつか天魔の干渉をも打ち破り、勝利を収める瞬間を拙は信じている」
「理解不能です。しかし、同時に魔導の奇跡を見てみたくもある。もしも我が干渉を貫く法則が存在するのであれば、把握しておかねばならない」
可能性はゼロではない。今この瞬間に魔導が進化し、天魔を屠る可能性もまた。
同時にリリスは一種の諦念も抱いていた。自分は所詮、アルスやアビスハイムたち英雄が勝利するまでの時間稼ぎに過ぎないのだと。期待と落胆を織り交ぜ、彼女は魔導を行使し続ける。
「『夢祝大爆撃』!」
持ち得る最高峰の魔導を。あらゆる因果を収束させる可能性の刃が、ソウムの肉体へ迫る。
さらり──さらりと。刃が消え失せる。まるで風に吹かれる砂のように。
光景を見た瞬間、リリスの瞳から光は消えてしまう。
やはり自分は勝利できないのかと。魔導の可能性はここまでなのか……と。
「もう結構。リリス・アルマ。ここで退けば命までは奪いません。その努力を認め、厄の世で生き永らえることを許可します」
ソウムはリリスに憐憫のような……無形の感情を湛える。完全に上位存在からの情けだった。
「……ハッ」
しかし彼女は笑う。希望を失ったが、誰が信念を失った等と言ったか。
常に魔導の道を突き進んできた者の矜持がある。
「舐めるな。拙の魂は、お前如きに負けはしない!」
百の魔導──爆ぜる。
リリスは己が全魔力を消費し、持ち得る全ての可能性を編んだ。これまでの過程から勘案しても、この全霊の一撃が届かないことは分かり切っていた。
だから何だと言うのか。
壁があるのならば壊すまで。壊せなくとも、挑戦したという歴史は刻まれる。
「──では、さようなら」
『リリス・アルマは敗北する』……干渉が世界に刻まれた。
刹那、彼女の魔眼に刻まれた光景。
ゆったりと視界が流れ、地面が近付いていく。暗黒の天に浮かぶ不気味な仮面が、斃れるリリスを俯瞰していた。
~・~・~
離島内に渦巻いていた魔力の奔流が途絶。
アルスは咄嗟に振り向く。
「リリスッ!」
天魔の無機質な気配の下、倒れゆく魔導の徒。
同胞が傷付くことこそ、アルスにとって最大の弱点であった。
『オオオッ!』
気を取られた彼は、背後から迫るダイリードの爪撃をまともに喰らってしまう。急加速して吹き飛び、彼は離島の大地へ転がっていく。なんとか体勢と軌道を立て直し、倒れるリリスの下へ。
彼女の様子を確認したアルスは束の間の安息を得た。
まだ呼吸はある。しかし……
「もう彼女は助かりません。多勢に無勢。いくら鳴帝といえども、干渉を持つ私、そしてダイリードの二名には敵わないでしょう」
天空より睥睨するソウム、海より迫り来るダイリード。
ソウムを抑えていたリリスが倒れた今、アルスは両魔将を同時に相手しなければならない。そしてリリスを救うことも同時に成し遂げなければならない現状。
逡巡する彼の耳元に、消え入りそうなか細い声が届く。
「アルス殿……拙のことは……捨て置きなさい。あなたの凄さは認めています。邪神も、天魔も……ええ。きっと、あなたならば……何とか、してくれる……」
「……いや。私が困難を乗り越える時は、常に誰かが傍にいた。全ての奇跡は仲間がいなければ成り立たない。人任せにせず、君にも生きてもらわないと困る」
「…………ありがとう。ええ……ここまで素直に、感謝を伝えられたのは始めて……です。素敵な、世界の英雄……」
リリスは瞳を閉じる。
──ああ、いつもこうだ。彼の周囲の仲間はいつもこうして去っていく。
だが、また同じにさせるものか。
全てを救い、全てを背負う運命を決めたのだ。救済の名を背負いし者──立ち向かう者は止まらない。
「駄目だ、生きろ。死ぬな。簡単な命令だ」
「…………」
ソウムは哀れんで英雄を見下ろしていた。
天下無双を誇る英雄もここまで弱いのか……と。心を抉られれば立ち上がれない。
……だが、同時にソウムは違和を感じる。
なぜアルスの戦意は途切れないのか。なぜ死にゆくリリスを抱えてなお絶望しないのか。
「不可能を可能にする……『夢が詰まったステキなもの』。魔導とは良いものだ。僕もまた、その可能性に縋ってみようと思う」
彼は懐に触れる。
一枚の紙を取り出した。複雑怪奇な紋様が刻まれた、魔導王より賜った召喚札。デルフィを召喚したものとは違う、もう一枚が残っていた。
「英霊召喚──」
「……! 干渉を指定、『召喚術式を拒否』」
危機を察知したソウムは、咄嗟に法則を否定する。
召喚術式が法則ごと破棄され、アルスの祈りは無駄に……ならない。
「なぜ……!? 『召喚術式を否定』! なぜ術式が破棄されない!?」
ソウムは何度も、何度も干渉を試みる。
しかし中空に浮かび上がる紋様は消えず、魔力の奔流はますます強くなっていく。淡い白光が明滅し、人影が一つ。
「……それはね、僕がこの世界線の存在ではないからだよ。天魔ソウム」
混沌の力が満ちる。
一瞬、黒き大空が灰色に染まった。
「君、は……」
アルスは呆然と人影を見上げる。
純白の髪と瞳、掴みどころのない気配。
アルスと道は交わらず、かつて敗れた安息の主。
「──リフォル教皇……ああ、この名を騙るのも恥ずかしいな。名をAT。世に救済を齎すため、喚び声に応じた。さあ……反撃を始めよう」




