130. Act-Villain
ソレイユを守る最終防壁、通称『最後の壁』。
国を覆う結界とは異なり、純粋な魔鋼で急造された壁である。大森林と首都を隔てる壁が破られれば国は滅ぶ。
心神と命神が討たれる少し前、一人の魔導士が天を衝く『最後の壁』を見上げていた。
彼……スターチは周囲で巻き起こる兵士たちとエムティングの闘争には目もくれず進む。
「抗闇属性の魔鋼か……無駄な抵抗を。厭わしい人の世、全て沈んでしまうが良い。干渉空谷──『暗邪』」
闇が満ちる。スターチを中心にして深い暗黒が地に広がり、滔々と周囲の全てを呑み込んでいく。ソレイユの兵士も、戦車も、はては味方のエムティングまで。
広がる闇は壁の真下まで届き、魔鋼の魔力に押し止められる。
「沈め」
魔力を増幅させたスターチ。彼の闇は魔鋼の防御を貫通し、蝕み……壁の根元から徐々に侵食していく。
壁の上で戦場を指揮していた兵士は、ぐらついた足元に動揺の声を上げた。
「なっ……なんだこれは!? 壁が……沈んでいく!?」
闇の沼へ全てが沈む。一切合切の光を許容せず。
ねばつく闇がどこまでも深く、深く。
全てが沈もうかと思われた。抗う術はないのだと思われた。
一陣の風が吹く。微風、闇を穿つ。
「黒嵐絶──『災剣』」
瞬間、雷が弾け。一拍遅れて暴風逆巻く。
スターチの其が纏わりつく闇だとすれば、吹き荒れた其は弾ける闇。黒き嵐が暗黒の沼を消し飛ばした。
戦場に舞い降りた男……アリキソン・ミトロンは剣呑な眼差しでスターチを見据える。
「貴様、スターチ・ナージェントか。邪道に堕ちるとは所詮は人間だな」
「君は……他の神々から聞いているよ。たしか異界から召喚されたアリキソンだったね? 私の知る彼とはずいぶんと雰囲気が違うようだ。彼は勤勉で正義から外れようがない男だったと認識しているけれど」
「こちらの台詞だな。俺の故郷の世界線では、貴様は最期まで立派な輝天の男であった。まさか闇へ堕ちるなど……互いに糾弾できたことではないのかもしれんな」
アリキソンは故郷の世界を滅ぼし、そしてスターチもこれから同様の結末を辿ろうとしている。互いに闇へ落ち、同じ状況にある。
しかしアリキソンには気掛かりなことがあった。何故スターチは『天魔』となったのか。
「アリキソン、そこを退いてくれないかい? 私は闇が好きだ。君にはある種のシンパシーを感じている。黙って退いてくれれば見逃そう」
「……スターチ・ナージェント。貴様はなぜ闇を求めた。これ以上進むのならば……後戻りはできなくなるぞ。もしも……もしも貴様がユリーチを想うのならば、まだ間に合う。でなければ俺と同じ地獄を見るぞ」
彼の言葉にスターチは不意をつかれる。
まさかこのアリキソンが他者のことを気に掛けるとは。彼は確かに闇へ落ち、凄まじい殺意を湛えている。染み付いた血の匂いと罪過はスターチにも感じ取れた。そんな彼が他者を諫めるなど不可解極まりない。
「いまさら戻れるとでも? そもそも……君はなぜ私が力を求めたのかも、『天魔』となったのかも知らないだろう?」
「大方の予想はついているがな。俺の故郷の世界は……俺の手によって滅んだ。無論、ナージェント家にも攻め入り、貴様と妹のユリーチを殺した」
「…………」
「しかし。俺がユリーチを裂こうとした刹那、貴様は俺の前に出て妹を庇って死んだ。その自己犠牲の行動と今際の言葉から推測するに、貴様はたしかに家族を守ろうと最後まで戦い抜いた男だ。簡単な理由で闇へ堕ちるとは考え難い。それとも何か? 俺の故郷のスターチ・ナージェントと貴様は決定的に異なると?」
アリキソンの問いにしばしスターチは瞑目する。
あくまで彼は己が道を放棄するつもりはない。故に冷静に己を俯瞰して答えた。
「この世界のアリキソンが君と大きく異なるように、私もまた異なる世界線では善良な人間だったのだろう。説得など無為だよ。もう後戻りはできない。私は『天魔』スターチ。ナージェントの名を捨て、此処に人類の敵として立つ」
「なるほど、貴様の意志はよく分かった。蒙昧で、自分が何者であるのかも認識せずに踊らされている愚者よ。俺がお前の闇を裂く」
もはや言葉は不要。嵐が如くアリキソンは敵を斬り捨てる決意を固めた。
風音と共に、両者の衣服の裾が巻き上がる。気温と気圧の急激な上昇。木々がざわめいた。
「黒嵐颶風之太刀」
白雷のフラッシュが開戦の狼煙。
禍々しい剣身を鞘から滑らせると共にアリキソンは足を運ぶ。相手の動き出しを捕捉したスターチは退かない。通常の魔導士であれば剣士とは距離を取るのが常だが、彼は魔将。理は通じない。
黒き雷を宿した剣閃がスターチの喉元へ届く寸前、術式が発動。
「干渉空谷──『黒闇』」
雷へ闇が纏わり付き、四方に引き千切る。
スターチが天魔となって新たに得た能力、『干渉空谷』。周囲のあらゆる事象を闇と接着させ、理不尽なまでに歪曲させる。無尽の力を持つ暗黒が全ての法則を呑み込んでしまう。
アリキソンは彼の術式を視認した瞬間に地を蹴って方向転換。中空を疾走して剣を地面へ突き刺した。
「干渉空谷なる技。やはりそうか……」
突き刺した剣を足掛かりに、彼はスターチへ無手で迫る。雷に迫る凄まじい速度で懐へ潜り込まんと疾走するが、攻撃は同様に防がれてしまう。スターチの闇によって。
「無駄だよ。君の攻撃は届かない」
「それはどうか。此方も見せてやろう。干渉空谷──『虚無』」
「っ!?」
スターチが展開した闇の壁を、アリキソンの拳に宿された闇が穿ち抜く。
同様の技名、作用、闇の深さ。彼はスターチと全く同質の術を使って見せた。
振り抜かれた拳を咄嗟に回避し、初めてスターチは後退する。現実を疑う事態に思考が追いついていなかった。秩序の『干渉』の神能……それは世界に一つしか存在しない。スターチが破壊神より授かったもののみ。
しかしアリキソンは別の世界線の存在。まさか別世界では秩序の『干渉』の継承者が彼だとでも言うのだろうか。
「なぜ……君がその術を?」
「干渉の力は俺の愚かしさと過ちの象徴だ。故にあまり使いたくはなかったが……」
アリキソンは語りの途中で口を紡ぐ。何者かの接近の気配を感じ取った。
彼は壁上を見上げ、釣られるようにスターチも同じ方向を見上げる。視線の先には赤く燃ゆる光の徒。闇に呑まれる戦場の中でも、彼女は毅然としてスターチを見据えて壁から飛び降りた。
「光よ、リッツペイン」
彼女の指先から迸った眩き光が闇を払う。
壁の根元が再び表出し、呑まれていた兵士たちの姿が現れる。どうやらスターチの闇に呑まれていた人々は心臓の鼓動を止めていないようだ。
闇を払うと共に魔女は地に降り立つ。
蒼き瞳が天魔を射抜いた。瞳に宿されるは決意、そして憐憫。
「お兄様、遅くなりました。これよりあなたをお救いします」
輝天、ユリーチ・ナージェント。
闇を払う光の英雄。




