127. 怨恨払いし
王都アビス、上空。
天に突如として現れた蛇竜メロアを、人々は呆気に取られて見上げていた。あまりに大きい。巨大な影が都市の全てを覆い尽くすほどに。
メロアは命神の指令を受け、明確な殺意を都市へ向けた。巨大な顎から発せられる神気の波動が都市へ向けられる。
大きさというものは生物の基本的な強さの指標である。周囲の戦闘機も魔導士も、全てがメロアを止めることはできない。ただし、神の領域にまで至れば話は別。
「そこな蛇。ここは我の国だ。我が民へ武を示すは、我が身に不敬を働くも同じ。故に……死する覚悟はできていような、愚物?」
魔導王アビスハイムが天へ立つ。
人であり、なおかつ神を超える魔導の王。
『──!』
矮小な人など目に入らぬと言うように、メロアはアビスハイムを無視して都市へ波動を放つ。
だが、波動は都市へ届く前に消え失せる。同時に黒き空へ駆け巡ったのは……覇気。思わずメロアは視線を覇気の発生源へ向ける。
「宣戦布告、確と受け取った。我は魔導王アビスハイム。神の眷属よ、平伏せ。お前が対峙するは全知全能の天意である」
不滅であるメロアは命の危機を覚えた。
それもそのはず、アビスハイムは蛇竜を滅する術を持つが故に。
~・~・~
命神は城の周囲をあてもなく歩き回る。
ふらふらと、まるで何もする気がないように。
「止まりなさい」
「……ん」
彼の眼前に立つ者が一人。
異空の霓天、マリー・ホワイト。彼女は剣呑な視線を向けて命神を睨む。しかし殺意を受けた命神は一切動じず。
「命神メア=ルッイ=シヴ。魔導王の命により、あなたを排除します」
「俺は殺せない。盤上世界の大前提、命神は死なない。残念だけど」
「では──試してみますか?」
四つ色の光が駆け巡る。マリーが抜き放った剣が自由自在に伸縮し、四属性を纏って命神に襲い掛かった。
しかし相手は不滅である以前に、一柱の神。建物の間を縫って全方位から迫った剣を全て弾き返す。
「自分の生命力に怠けて、戦いの術を磨かないのは傲慢だ。俺は神として相応の戦闘力も身に付けている。少なくとも、人間の領域では届かない程度の力はな」
「知っています。神が強いことなど」
余裕でマリーの全攻撃を弾いた命神だが、次なる一手が潜んでいることには気が付いていない。先の四属性攻撃は誘導。
マリーは更なる術式を発動した。
「我、悍ましきもの。『思念呪術──杭憑』」
「呪術か。凄まじい呪念だな」
剣がさらに広がり波打つ。
一つ一つの刃が呪念を宿す追撃。四属性が全て呪術に変質したのだ。
呪剣を受けた命神の四肢に影の杭が突き刺さり、彼の体躯を縫い留める。
「私ではあなたを倒せません。魔導王陛下は現在、上空のメロアの対処中。それまで大人しくしてもらいます」
アビスハイムならば命神を滅ぼす術を持っている。マリーの役目はあくまで時間を稼ぐこと。
普通の人間であれば、神を拘束するほどの呪怨など抱きようがない。しかし英霊マリー・ホワイトは世界の全てを疎む屍霊の一つ。凄まじい呪力が命神を縛り付ける。
「お前はかわいそうだ。世の全てを恨んでいる。そんな憎悪は、俺たち【棄てられし神々】だけが持っていればいいのに……」
命神は自嘲の感情を湛えて顔を上げる。彼の黒瞳には、少女の姿の中に閉じ込められた憎悪の塊が映っていた。
命神は人を恨んでいるわけではない。故にこそ半端な人類への庇護意志が発動してしまう。
「俺が……お前を終わらせてやる」
「……!」
刹那、彼を縛っていた杭が全て弾けた。予想外の事態にマリーは引き下がる。
命神が持つ権能の一つ、『命の輝き』。生命の魂の力であり、受けた悪影響を全て浄化することができる。
不滅が故に、毒や拘束に対する警戒は強い。彼が拘束への対策を用意していないはずがなかった。
「次に生まれる時は、平穏な生を送れるように。散れ」
目にも止まらぬ命神の動き。想定外に継ぐ想定外。マリーは判断が遅れ、まともに命神の蹴りを食らってしまう。勢いよく地面を転がった彼女は身動きできないまま、次なる命神の攻撃に備えざるを得なかった。
怨霊への対処法……それは恨みを消去すること。もしもマリーが何らかの憎悪を抱えて生きているのならば、憎悪を払拭するか、或いは──
「ぜんぶ忘れろ。『遡及』」
秩序の力が爆ぜる。命神が【棄てられし神々】となって新たに習得した権能、『遡及』。
命の時間を逆戻りさせる……それが『遡及』の能力であった。心神が心の弱点を増幅させたように、秩序の力によって【棄てられし神々】が得る能力は、本来の神としての在り方に近似したものである。
「っ……ぁ……」
マリーは頭を押さえて蹲る。
命神は眼前の哀れな少女に「救い」を齎そうとした。命の時間を巻き戻し、憎悪が生まれた時間の以前に巻き戻らせ、全ての怨恨を忘却させる。
「ぁ……ぁ……ああああああっ!!」
我を失ったように叫び、叫び。
彼女の叫びが木霊する。怨霊の絶叫、何処にも届かず。
命神は顔を顰めて彼女の様子を見守る。
人に苦しい思いはして欲しくない。悪逆へ堕ちた神であっても、生前の善性が抜け落ちずにいた。だからこそ彼はマリーを救い、今もなお彼女が滅ぶ過程を見守っている。
視界揺らぐ中、マリーは己が憎悪を過ぎ去ってゆく。




