96. 大人になるということ
ルハジャルカとの戦いから三日後。
雑踏の中、アルスは何気なく通行人の会話に耳を傾ける。
「聞いたか? クレメオン皇帝とエアギース皇子が暗殺されたそうだぞ」
「この国はどうなるのかねえ……第一皇子が即位するらしいけど、やっぱり他国に戦争を吹っ掛けるような真似は続くのかね?」
「さあ、どうだかな。第一皇子は温和な性格だって聞いたけど、人は見かけによらない。とにかく、俺たち一般人に迷惑をかけてもらうのは困る」
結局、皇帝の扱いなどそんなものだ。民が平穏に暮らせればなんでもいい。
騒動の裏で【血姫】の暴走、命神の暗躍、そして災厄の顕現があり世界が滅びようとしていたことなど彼らは知らない。
「よおよお、探したぜ。何してたんだよ?」
「エルム。僕は……」
「いや、いい。お前は不真面目だが、こんな時に無駄に出歩くような奴じゃない。きっと何か大事な用があったんだろ? ほら、さっさと行くぞ」
「ああ、ありがとう。……って、騒動から三日も経つのに君はまだ国を出ていないのか。先に帰っててくれって連絡したと思うが」
アルスはグラン帝国に騒動の後も留って血姫に関する情報を集めたり、ルカの墓を作ったりしていた。気が付けば三日も経ち、とっくにグッドラックの皆は帰っているかと思ったのだが……
「ボク以外はみんな国外に離脱してるよ。ボスは第一皇子即位の手引きをして、色々と周辺諸国に手回しするのに忙しいし、シトリーもアイドル活動の予定が入ってるからな。あと皇女殿下は……色々とお気持ちに変化があったそうで、リンヴァルスに帰ったよ」
「へえ……つまり君は暇ってわけだ」
「暇じゃねえよ。少なくともバトルパフォーマーを辞めて放浪しているお前よりは忙しい。しかしまあ、世の中はあまり変わらないもんだな。あんな騒ぎを起こしたのに泰平は崩れない」
通りでは笑顔で駆け回る子供、忙しそうに早歩きする社会人、手をつなぐ恋人……様々な人間が入り混じっていた。これまでも、これからも変わらぬ景色だ。
アルスのように、グッドラックのように……影で安寧を守り続ける者が居る限り。
「今回の作戦に参加してみて、グッドラックという組織の真の意味が分かった気がするよ。何事も正の側面だけではな成り立たない。戦争を防げたのも、血姫の暴走を止められたのも、命神の暗躍を暴けたのも。全てグッドラックのお陰かもしれない」
ルカに別れを告げたことも。
残酷ながら綺麗な別れ方だったように思う。少なくともアルスに悔いはない。
悪意によって踏みにじられる命を救う為にある組織。全容は未だ掴めないが、グッドラックは今の世界に必要な悪だ。
「お前がボクらの必要性を理解してくれたのなら満足だよ。……で、命神だったか? イルの正体が神様だなんて思いもしなかったが。色々と調べてみたんだけど、まったく情報が掴めない。文献でもほとんど名前が出てこないし、正直お手上げだ」
「命神については僕が追おう。君は君の仕事に専念してくれ」
【棄てられし神々】の件といい、どうにも過去の神々は訝しい点がある。破壊神や六花の魔将との関連も否定できない以上、追っていく必要があるだろう。
今回の件で【血姫】の神能はクロイムに返還されたはず。残るはアルスの『混沌の接続』、ダイリードの『混沌の衝動』、守天の『混沌の干渉』、ウジンの『混沌の変質』、そして天魔の『秩序の干渉』。全ての神能が返されたときクロイムは真の力を解放し、破壊神を救う鍵となるだろう。
問題は本人が記憶喪失であり、その自覚がないことだが。
「ああ、そうそう。一つ言っておくことがあるんだった。ボクはじきにグッドラックの幹部を辞める。まあ脱退はしないけどな」
「え……なぜ?」
「色々と……紆余曲折会って。異能を失っちまった。『神算鬼謀』の名は返上しなくちゃいけないかもな」
アルスはエルムが戦いの最中で『熱眼』を失った経緯を聞く。エルムの異能の内容を聞いたのは、この時が初めてであった。長らく隠されていたエルムの異能も種を明かせば意外と大したことはないものだ。しかし、その大したことない異能を駆使して幹部まで駆け上がった手腕は見事と言わざるを得ない。
「でも……力を失ったにしては、やけに晴れやかな顔をしているね?」
「ご機嫌に見えるか?」
「ああ」
「そうか」
エルムは何も言わず、街中をゆったりと歩いて行く。
アルスもまた黙って並行して歩みを進めるのだった。
~・~・~
「この度は、大変申し訳ありませんでした」
リーシスの下を訪れたアルスは、開口一番に謝罪を浴びた。
「え」
「グッドラックの皆さまやアルス様にご迷惑をおかけしたこと。言いつけを守らず交戦を行ったこと。そして……何よりも、今後はアルス様に師事しないことに対し謝罪を行います」
「僕に師事しないっていうのは、ええと……」
いきなりの状況で困惑する彼は、とりあえず状況を整理する。エルムからは皇女殿下の心境に変化があったと聞いている。
「いえ、アルス様に師事をするのが嫌になったわけでもなく、十分に力を得たと自覚したわけでもありません。ただ……私は武人であることを諦め、皇女として過ごして参ります」
彼女の告白にアルスは面食らった。
以前のリーシスは梃子でも動かぬほどの頑固者で、武を求めることを決して諦めなかった。アルスもやんわりと彼女の限界を教えていたつもりだったが耳を傾けてはいなかったはず。
何か先の騒動で心境に変化があったのだろうか。
「私、思い違いをしておりました。周囲の誰ひとりとして『夢が叶わない』など教えてくれたことはないと、勝手な勘違いをしていたのです。ですが違いました。私の周囲の方々は皆、私を想って『夢を諦めよ』と助言をしてくれていたのだと……今になって気が付きました」
「殿下……」
まともな大人であれば、ここで彼女に夢を諦めるなと叱責するのだろうか。
だがアルスはまともな大人ではない。壊れた大人だ。故に夢を追い続けることは不可能だと結論を出していた。
もしかしたら、アルスの意志がリーシスの未来を変えてしまったのかもしれない。
「私の決断は、私の意志によるもの。たとえ周囲が否定しようと、夢に向かって突き進む選択肢もあったのでしょう。ですが……そうあっては私はあまりに薄情な人間となってしまいます。私は皇女として、いち人間として立派であるように努めたい。私の決断は全て、私が責任を負います」
自分の決断に責任を負うことは大人としては当たり前の責務だ。だが、その当たり前ができない大人があまりに多い。
対してリーシスの意志は大きな飛躍を遂げた。もはや彼女を糾弾できる者はいない。
剣士ベロニカは、師ルカと共にこの世を去ったのだ。
「……僕も皇女殿下を支えていけるように尽力します。何かお困りごとがあれば、その時は力にならせてください」
「はい、ありがとうございます。ですが私もアルス様がお困りの時は力になります。人は助け合って生きていくものですから」
彼女は優しく微笑んだ。武人の面影はもはや見えない。
いつかは彼女にルカの死を知らせねばならない。彼の死を知らせる時にはきっと、彼女が夢見ていた旅をしよう。剣士としてではなく、かつての弟子として一緒に。
アルスはまた一つ、未来に思いを馳せた。




