88. 獄剣
グッドラックの面々が城へ向かった頃、ベロニカは支部で待機命令を受けていた。ほとんどの団員は出払っており、現在は彼女一人で支部に居る。
「はあ……」
自分が腫物扱いされていることは分かっている。皇女という身分上、グッドラックといえどもベロニカを丁重に扱わねばならない。ましてや皇帝の暗殺作戦に参加させることは断固として不可能である。
彼女自身としては一人の皇族よりも、一人の武人として扱われたい。しかし武の道へ進む願望は彼女の独りよがりであり、他者に迷惑をかける以上は自重しなくてはならないのだ。
今もこうして団員たちの無事を祈ることしかできない。彼女を危険から遠ざけようとするグッドラックの配慮にも拘わらず、危険は常に蠢くものである。
爆音が鳴り響いた。支部はとある施設の地下にあり、地上で何かしらの衝撃が生じたことが窺える。
「今のは……!?」
ベロニカは警戒姿勢を取り、双剣を手に取った。今、団員は支部に居ない。何者かの襲撃があったとしてもベロニカを守る者は居ないのだ。
エキシアやエルムは帝国城が襲撃されている最中で、支部に攻撃が及ぶとは思っていなかった。
ベロニカは慎重に地上の様子を盗み見る。
支部の扉が破壊され、踏み込んで来たのは二つの影。
「あなたは……エアギース皇子!?」
六傑が一、【獄剣】エアギース。城が危機的状況にあるにも拘わらず、国を預かる王族がこのような僻地までやって来た。
「おや、皇女殿下。他に人は居ないのですか? この機会にグッドラックの支部を潰してやろうかと思ったのですが」
「……今、この場には私一人。なぜ皇族である貴方が城を守らずにここへ?」
「さて。他にも優秀な六傑は居ますからね。私一人くらい、ふらついていても平気でしょう」
エアギースの態度はどこか投げやりなものだった。家族どころか、民や兵の身すら案じていないと思われる。彼の態度にベロニカは無性に苛ついたものの、怒りを抑えて背後の女性を確認する。
「そちらの女性は?」
「わたくしは皇帝クレメオンの妻、シロナ。お見知りおきを、美しい皇女様」
「なっ……!? 皇后すら城から抜け出しているのですか!? なぜ……」
皇帝暗殺をグッドラックが謀っていることはシロナも知っている筈だ。だというのに夫の身を案じず、このように城の外へ逃れて来るとは……同じ皇族としてエアギースもシロナも信じられない感性の持ち主であった。
「だって、わたくしの夫は……愛するクレメオンは、無事なのでしょう? エアギースがそう言っていましたから」
「……」
──いや、違う。ベロニカは悍ましいまでの感情の乖離を二者に見出した。
シロナは仮の息子であるエアギースの言を完全に信頼している。恐ろしいほど純粋に。
対してエアギースはまったくシロナを気に留めていない。ここへ彼女を連れて来たのも、夫の無事を保障した虚言を言い放ってのことだろう。
つまり、エアギースはシロナを利用して何かを企んでいる。
「皇子……貴方は、何が望みなのですか」
「ああ……決まっている。皇位の簒奪。貴様らグッドラックも、あのメアなる神も……全ては私が皇帝となるための駒に過ぎん。そして、この母上もまた──」
【獄剣】、抜刀。六傑の名を冠する、地獄の徒が如き剣術。
彼の一閃は凄まじい速さで走り……ベロニカを裂いたのではない。彼が裂いたのは……
「え……」
「ここが無人であることなど、来る前から知っている。人目につかぬところで邪魔者を排除できれば良かったのだよ」
皇后シロナであった。
~・~・~
エアギースの剣により、シロナの首が撥ねられる。
ベロニカは一瞬なにが起こったのか分からずに呆けて目を見開いていた。
「なに、を……?」
「言ったでしょう? この皇后はね、邪魔なんです。父上も邪魔だからグッドラックに始末させる。そしてグッドラックと通じている次期皇帝候補の兄上も暗殺し、私が皇位を継ぐ」
シロナの体から噴き出る鮮血が、支部の室内を染め上げてゆく。紅く──紅く──錆び付いた臭いを撒き散らして。
獄剣は落ち着き払って、自らの剣に付着した血を拭いとる。
「選ばせてあげましょうか、リーシス皇女。ここで死ぬか、私の妃となるか。わが国とリンヴァルスが近付けば、どの国も追随し得ない富国が出来上がることでしょう。父上のように女にかどわかされて戦を起こすこともないと約束しましょう。悪くはない提案だと思いますが」
「貴方は……貴方は! なんという残虐な人間なのですか! 皇族として恥をお知りなさい!」
「はあ……皇族としては、むしろ正しい姿であると自負しておりますが。戦を止め、自国の富をより盤石なものとする。これ以上の名君がありましょうか? 皇族として恥を晒しているのは……むしろリーシス皇女、貴女ではないですか。武人として生きるなどと現を抜かさず、現実的な判断をなさるべきだ」
理路整然としたエアギースの態度と、誇りより激情を呼び覚ますベロニカの態度。
両者は決して相容れることなく。
「もはや話し合いの余地はありません。たしかに私にも見直すべき生き方はありますが……人倫に悖る貴方の非道は看過できません。いざ、覚悟」
「……これだから脳筋は困る。まあ良いでしょう、ここで死ぬのもまた貴女の選択でしょうから」
エアギースは斜に構えて剣を取る。
明らかな強者と相対するベロニカの頬に、一筋の冷汗が伝った。互いの間合いに入り斬り結ぼうとした、刹那──
「ぐっ……!?」
「ああ、なんと……なんと汚らわしい! わたくしが間違っていたのです! エアギース、あなたは美しくない! ねえ、やっぱり陛下しか信じられないわ! 醜くて、酷くて、汚くて、腹立たしい……青い血なんて嘘っぱちよ! ねえあなた、わたくしを欺いた汚れた黒い血を流しなさい! 軽い命を賭して詫びなさい!」
紅の線がエアギースの四肢を切り飛ばした。
死したはずのシロナの骸は無傷で立ち……怒声を世界へ撒き散らす。
「な、ぜ……血姫は……殺した、はず……」
「殺します、血を欲するわ、希うの! わたくし【血姫】の名にかけて……あの人以外の一切合切を、殺してあげるわ! だって憎いもの、醜いもの! あなたも殺してあげる、美しい皇女様……! どうせあなたの綺麗な瞳も嘘なんでしょうから!」
エアギースの死体を踏み躙り、【血姫】が躍る。
皇子が作り上げたのは新たなる帝国ではない。
この世を恐怖へ突き落す、一つの怪物であった。




