67. 地獄閉幕
術神とは魔術を操る神であった。
創世からおよそ三百年間にわたって世界を見守り、古代文字を用いて魔術の形態を支配していた神。彼の死を機に文字は一新され、神々の手によって世界中に現代語が流布されたと伝承されている。
故に、アルスの魔術改編も通用せず。彼は苦戦を強いられていた。
「青雪の構え──」
『その青霧、便利だねえ。でも俺の手にかかればこんなもんさ』
「くっ……!」
アルスの操る青霧は、術神の秩序の力と古代魔術の複合によっていとも容易く突破される。
不可思議にして変幻自在。鳥の羽を模ったもの、鬼を模ったもの、竜を模ったもの。あらゆる術が意思を持っているかのように、アルスの剣技を翻弄する。
『リンヴァ何某神、得体の知れない神だったけど……こんなものかい? いや、違うか。きみは周囲から神として認識されていないが故に、神として十分に降臨できていない。神を神たらしめるのは人々の祈りだからね。まあ、そういう意味では……俺もまったく人間からは崇拝されなかったし、神とは呼べないかも』
「否。崇拝されようがされまいが──汝は神ではない。術神ですらないのだ」
『なんだ、親子喧嘩はもう終わりかい?』
新たな勢力が参入。龍神はタナンの説得を終え、術神との戦いに参加し始めた。
彼の神炎が術神の障壁を消し飛ばし、服の裾を焼き焦がす。術神は苦い顔をして注意の対象をアルスと龍神の二者に分割。
どちらかと言えば注意すべきは龍神だ。彼は術神の友であったという経緯もあり、古代魔術への対処法を知っている。
『俺が術神じゃないって? 正真正銘、本物さ。何を根拠に行ってるんだか……唐辛子でも頭に詰めたか? 逆巻く鬼、衣遊白洛陣』
再び鬼型の古代魔術が展開される。
四方より現れた鬼が口から炎を吐き、続けざまに拳を叩き付ける。爆炎と地鳴り。
龍神は結界を張り、アルスは水属性の斬撃で炎を斬る。同時に頭上より振り下ろされた鬼の拳を正面から迎え撃った。
攻撃を防ぐ最中、アルスは客席の様子を盗み見る。マリーやエニマ、他の闘士たちと共にタナンが炎から人々を守っていた。龍神はタナンを信頼しているのか、彼方を見つめることすらせずに眼前の対処に集中している。
「……術神を名乗る愚神よ。汝が誠にバロメであるならば答えられよう。答えよ、我と最初に喧嘩をした時に交わした約束を覚えているか?」
『約束……最初に喧嘩した時……さあ、何だったかな。たぶん生前の不要な記憶は消去している。その約束を覚えているか否かが、俺を術神かどうかを判断する材料にはなるまいよ』
「──そう、か……やはり貴様はバロメではない。疾く失せよ」
怒りが龍神の瞳に浮かんだ。
先程タナンへ見せたものとは違う、愛なき純粋な怒り。友の裏切りに対する憤慨である。
「神核解放、我が核位は龍神。魔磁場を操る神の一柱なり。愚神よ、教えてやろう。古代魔術のような特権を持つのは、旧き神だけではない。我らのように長き年月を生き抜き、力を得た神もまた存在する。見るが良い、これが新しき神の権能である」
龍神は己が身を神気に包む。
彼の反応はアルスにも術神にも見覚えがないものであった。
神気は身体の全てを改編した訳ではない。龍神の身体の上半身右側、彼の右腕のみを龍の腕へと変貌させた。部分的な神転……とは些か異なるようだ。
その部位のみに、全ての神気が凝縮されている。つまり彼の右腕は、龍神が龍へ化身して放つ全霊の一撃よりも、遥かに強力な威力を持つのだ。
『なんだよ、それは……』
「神核解放。全神気を一点に搔き集め、災厄の結界をも破る力を得る。次第に減ってゆく神族ら。アテルは来たる厄滅に備えるべく、神々にこの権能を与えたもうた。まさに貴様ら【棄てられし神々】を屠る為の権能。厄滅に備えておるのは、亡き教皇やソレイユだけではないと知れ」
もはや龍神に情けをかけるつもりはない。相手が術神を騙る化生だと知れた以上、与える慈悲はあり得ない。
術神は青褪める。あの爪牙で貫かれれば、いくら術神の結界といえども容易に破壊される。そして魂すらも引き裂かれるだろう。
『きみは殺す、早急に』
どす黒い殺意を滾らせ、術神は龍神に狙いを定める。しかしそれはアルスに対して警戒が疎かになったということ。
魔術を放った術神の隙を突き、彼は斬り込む。
「彗嵐の撃──覇王閃・参」
側面から叩き込まれた超強力な一閃。術神の結界を叩き割り、回避のために術神の体勢は崩れる。
生じた隙を見逃す龍神ではない。
龍化した右腕が正確に術神の身体を捉え、全身を引き裂く。強大な力を秘めた一撃は、術神の魂すらも挽き潰す。
『かっ……は……!? なん、だ……この、威力……!?』
「まだ終わりでないぞ、愚神」
二撃目。術神が反応する暇もなく、彼は再び腕を振り抜いた。
巨大な龍の体躯とは異なり、小回りの利く一部神転。追撃もすさまじく速い。
『あ……』
今度こそ、術神は致命の一撃を受けた。傍から見ているアルスからしても明らかな決着である。
神気を噴出させながら、くるりくるりと舞う術神。スノウの身体を借りた術神は力なく地に落ち、そのまま動かなくなる。
まだ辛うじて息がある術神を見下す龍神は、最後の宣告を与えた。
「……冥土の土産に教えてやろう。我がバロメと交わした約束は、『人を好きになること』。その代償として我は立派な神族となることを誓ったのだ。覚えては……おらぬのだな」
彼の言葉を受け、術神は瞑目する。
何かを思い出すかのように。
『──へえ。ああ、そうか……悪いねジャイル。俺は術神じゃなかったみたいだ。あの約束を忘れるなんて……俺は何者だったんだろうか』
「生前の貴様は……人間が好きではないとは言っていた。しかし一度たりとも、人間が嫌いとは言わなかったのだ。貴様が陰で人を守ろうとしていたことも知っておる。故に……人間へ憎悪を向け、約束を違えた貴様は……バロメでは、ない」
真実を宣告する際、龍神もまた心を抉られた。
恐らく目の前の神は、死の間際に約束を思い出した。断片的にはバロメと言ってもいいのかもしれないが……
『うん、そうだね。きみは……立派な神様になって……俺が一方的に約束を破っただけ、みたいだ……』
消える。消滅してゆく。
術神の消滅の最中で、僅かに邪気が混じっていた。
『【棄てられし神々】は……本来の神じゃない。俺の他にも……居るはずなんだ……アテルに憎悪を抱く、ばかな神様がね……止めてくれ。その願いだけが……最後にできる、俺の善行……』
龍神は黙して言葉を聞いていた。
そして全てを聞き終えた後、自らの腕で完全にスノウの肉体を消滅させる。
かくして波乱に満ちた地獄開闢は幕を閉じた。




