64. 術神バロメ
五千年前。原初の世界、無数の神々が息衝く神代。
創世主アテルトキアによって創造された神々は、今日も世界を発展させるために奔走していた。
ひとり、怠け者があった。
彼の名はバロメ。魔術を操る神である。彼は怠惰で、なおかつ人間に協力的ではない。授けるべき知啓を授けず、与えるべき恩恵を与えない。曰く、彼は人間が好きじゃないらしいのだ。
「こんにちは、バロメ。いいお天気ですね」
天より白翼が舞い降りる。
ハンモックでだらだらと過ごすバロメの様子を見て、一羽の白鳥は苦笑い。
「こうしてお天道様の下で俺が怠けられるのも、空を守ってくれているきみのお陰さ、ゼニア。で、今日も講義の催促かい? つい二年前に人間に魔術を教えたばかりなんだけどなあ」
白鳥……天神ゼニアは首を横に振り、ハンモックをゆらゆらと揺らす。
「今日は珍しく労働の要請ではありませんよー。ただ……少し説得を任せたいのです」
「説得? 道徳の欠片もない俺に何かを説けと? いいギャグセンスだ、気に入った」
「その通りですね。でも今回は道徳なんて必要ありません。ジャイルを何とかしてほしいのです」
ゼニアの言葉を聞き、バロメは唸る。
龍神ジャイル。神々でも有数の問題児だ。
馬鹿な神族はたくさん居る。
戦いばかりを欲する戦神、人間に親身になり過ぎる虚神、心を論理的に分けようとする心神……色々な馬鹿が居るのだ。しかし龍神は馬鹿の中でも飛び切りの厄介者。
人間に荒々しく当たり、扱き使い、支配しようとしている。神族は世界を導くのが役目であり、力任せに事を為すのはお門違い。
「うーん……まあ、俺もアレはどうにかしなきゃいけないと思ってるんだけどね。いかんせん野蛮すぎる。俺は人間が好きじゃないし、どうしてあんな連中を支配しようとするのかも理解できない。小間使いにするなら馬でいいでしょ」
「だからこそ、ですよ。人間が嫌いなあなたならば、ジャイルを正しく糾弾できると思いまして」
「別に嫌いって訳じゃないさ。まあ……そうだね。行くだけ行ってみるよ。他ならぬ勤勉なきみの頼みだ、怠惰な俺でも引き受けるとも」
~・~・~
龍神と術神の喧嘩は十六日間にもわたって続いたとされている。
最初は些細な口論だった。
「はっ! 我が何をしようが勝手だろうが! そら見ろ、人間は弱い! 弱者は強者に従うのが定めだ!」
「ええい、きみは本当に学がないな、品性がない! あんな連中、クソの役にも立たないだろう? 神族ならば神族らしく、己が手だけで事を為せ!」
そして、次には小競り合いとなった。
「俺を殴ったな、この野郎! 先に手を出したのはきみだ! どうなっても知らないぞ! アテルに言いつけてやる!」
「勝手にしろ! アテルに頼らないと何もできない痴れ者が! 貴様のような弱者、世界には不要!」
最終的に、大戦争となった。
「いつまでも我の邪魔をしやがって……失せろ、裁光!」
「普呪外真、尊身に逆らう悪逆なるクソトカゲを裁き給ふ……新芥梓詠兜!」
神の光と魔術がぶつかり合い、神域は惨憺たる有様となる。
十六日間、休むことなく彼らは戦い続けた。
「はあ……はあ……おのれ、雑魚の癖に調子に乗りやがって……」
「はあ……そういうきみこそ、雑魚に……随分と苦戦してるじゃないか……」
最終的に、彼らの間にどのような約定が交わされたのか……伝承はされていない。この二者以外、知る由もない。
しかしその日より龍神の狂暴性は徐々に鳴りを潜め、温和な神へと変わっていったという。
~・~・~
友。
その言葉が二神の関係性を正確に言い表したものかどうか、断言はできない。
しかし二者の間には不思議な絆があった。或いは柔らかな敵愾心があった。
「おいジャイル。きみの嫌いな唐辛子を採ってきたぞ。人間からの供物も碌になくなった今、捧げものをしてくれる優しいひとなんて俺くらいだろうね」
「たわけ。未だに我に盲目的になり、捧げものをしてくる人間くらいは居る。貴様の温情……いや、侮蔑など要らぬ」
「はああ……相思相愛、ってやつか。きみが人間を好きだから、人間もきみを崇拝する。神としてこれ以上ない栄誉だろうね、あーうらやましい」
皮肉めいたバロメの言に、ジャイルは呆れかえる。
彼もまたジャイルと違った厄介な性質を持ち合わせていたのだ。
「貴様は相変わらず人間が嫌いなのだな。その調子では神の本懐は果たせまい」
「……だから、別に嫌いじゃないって。好きじゃないんだ。まあ些細な感性の違いは幼稚なきみには分からないか」
「貴様、我を愚弄せねば気が済まんのか!」
「ああやだ、殴るなよ! この乱暴者め!」
時に罵り合い、時に諫め合い、時に讃え合う。
かくして二神の日々は続いた。
~・~・~
『術神は雷に打たれて死んだらしい。
かわいそう、かわいそう。
術神は怠け者だから裁かれたらしい。
ぶざま、ぶざま。
術神は人間が嫌いだから罰が当たったらしい。
いたましい、いたましい。
彼の最期を知ってるかい?
白い茨のような雷が降って、粉々になったんだ。全身から神気を漏らして、キュウと鳴いた、泣いた。
口をぱくぱく動かして、恨みつらみを……いや、これは違う。彼は最期に恨み節を吐かなかったんだって。最期に彼が呟いたのは、『ごめんなさい』だった。
怠惰でごめんなさい、人間を好きにならなくてごめんなさい、神様らしくなくてごめんなさい。
でも謝ったってもう遅い! あわれ、あわれ。
彼は塵になって死にました。海の藻屑になりました』
──斯様に、世界は語る。
バロメは決して改心することなく、最後まで愚かな神であったと。
しかし我は知っている。
奴は誰よりも勤勉な神であった。常に術式を編み、世界を理想郷へ向かわせる研究を行っていた。己の努力を人にも、他の神にも見せることはなかったが。
たしか、そう……バロメが我にだけ見せた術式がある。名を『極楽開闢式バロメ』。ついぞ完成に至ることはなかった魔術式。災厄を退け、艱難辛苦を地上から排斥しようと、奴は最後まで戦っていたのだ。
「…………」
天を見上げる。バロメはアテルに裁かれて死した。曰く、術神は地上に不要だと。そしてアテルは我にバロメが生み出した古代魔術すべての焼却を命じた。
「分からぬ」
世界のあるべき姿など分からぬ。……分からぬよ、この我にも。
なぜバロメは死なねばならなかった。なぜ我が生きた。
全ては遠き過去。帰らぬ未来。
なれば、彼の神の意志をも我が継ぐとしよう。




