60. 憎悪の劔
ヤコウが斬り伏せられると同時、『猟犬』の結界は解除される。
自らの上司が、第二の親とも言える人が、マリーの視界で死んでゆく。
「あ……ああああああっ!」
『マリー、冷静になって!』
精霊シャスタの声が頭に響くも、彼女は狂乱して死帝へと向かって行く。
二度目だ。大切な人を奪われるのは、これが二度目だった。これ以上は彼女の心が耐えられない。
「四葉……『魔法弓雨!』」
無数の色彩が死帝を穿ち、傷を付ける。これで二度とこの技は効かなくなった。
しかし、既にマリーに戦略を考えるだけの理性は残っていない。ただ憎き仇敵が眼前に在り、それを殺すためだけに動いていた。
「激情、巻き起こせば止められぬ。俺の様に、お前の様に。全ては死へと繋がる……!」
一方で、死帝はマリーに諦観の眼差しを向けていた。やはりスフィル・ホワイトの血族であっても、己を殺すことはできず、激情に呑まれるような弱者なのだと。
せめて兄の方が此処に居れば……そのように見下げ果てながら、彼は死の刃を振るう。
「理性なくして我が刃、見切れず。死ぬが良い」
錬磨された一振りがマリーの首を捉える。
判断を誤った彼女は、既に死の中にあった。死を冠する帝の剣閃から逃れるには、相手を具に観察し、ヤコウのように一挙手一投足を見極める必要があったのだ。
警戒を放棄した彼女は為すすべなく斬り伏せられ──
「っ……!」
一筋の青が奔った。
死帝の狂刃は、戦場に舞い降りた仮面の男によって弾き返される。
「そ、の姿は……」
死帝は後退る。
無地の仮面、白のローブ。白翼のように輝く神剣。
「──そこまで。鳴帝イージア、悪逆を討つべく参上した。六花の名を穢せし魔将、ここに討つ」
鳴帝イージア。またの名をリンヴァルス神。
伝説に語り継がれし大英雄が舞い降りた。
「あ、貴方は……何故……何故、神なのだ! 俺を終わらせることのできる者は、何故神なのだ! 俺は、神に殺されては……!」
「君の容貌、見覚えがある。そうか、君が……今になってやっと気が付いたよ。死帝の正体、見たり。しかし案ずるが良い。君を殺すのは私ではない」
イージアは手に持つ神剣ではなく、腰に提げていた剣を引き抜く。
ホワイトの騎士剣。ヘクサム・ホワイトの形見。彼はマリーに騎士剣を手渡し、高らかに宣言した。
「この剣は君の兄から預かった物だ。亡き父上の仇を討ち、今こそ憎悪を払うが良い。死帝を討つのは、マリー・ホワイトに他ならない!」
「わ、私が……でも……」
彼女は俯く。
鳴帝を差し置き、己が死帝を討つことなど出来るものか。しかしイージアは彼女の畏怖を否定する。
「『調律共振』──君に加護を」
「……!」
マリーに襲い掛かっていた倦怠感、疲労、創傷が全て退けられる。
同時にイージアの声が彼女の頭の中に響いた。
(霓天の子。君が死帝に止めを刺さなければならない。故あって神族に死帝は殺せないのだ。……私が隙を作る。そこに四葉秘剣を撃ち込め)
(……申し訳ありません。四葉秘剣はまだ完全に扱えないのです。それに、死帝は一度受けた攻撃を無効化する。かつて父と死帝が交戦した際、四葉秘剣は効いていませんでした。他の手を考えないと……)
(なるほど。ならば好都合だ。安心すると良い、君の四葉秘剣は通用する。私を信じてくれ。それに、今の君ならば『使える』はずだ)
全てが無根拠なイージアの言葉。
しかし、マリーの不信を跳ね除けるだけの熱意が彼の言葉には籠められていた。
ヘクサムが死帝に撃った四葉秘剣は、正統な形のもの。初代霓天スフィルから受け継いだ奥義。だがマリーが錬磨している四葉秘剣は、アルスが独自に編み出したもの。つまり死帝にとっては初見の技となる。
唯一の問題は、マリーが技を完成させていないことだが……
「そこの君、エニマ・ノイセ。炉心安定をマリーに頼む」
「えっ!? は、はい! なんでわたしの戦法知ってるんです……?」
イージアはエニマに応援を要請する。
マリーが奥義を放てない原因をイージアはとうに見抜いていた。属性均衡の不安定。四属性を均等に高めることで、四葉秘剣は実現する。
エニマは爆発的な魔力を操作するための『炉心』という術を身に付けている。炉心は他人にも適用可能であり、マリーが属性を安定するための鍵となるはずだ。
「さて、死帝。剣を交えようか……偉大なる英雄、その骸よ」
「ああ、嗚呼……俺は終わるのか!? いや、神の手では終わらぬ! リンヴァルス神が俺を殺せば、この国すら消し飛ぶ爆炎が巻き起こるぞ!」
「心得た。私は君を殺さない。ただし……」
イージアの姿が消える。
残影、迅雷の如し。到底死帝の目で追い切れる速度ではなかった。
「ぬうっ……!?」
「狂刃、折らずには満足できぬ。とうに過ぎ去った憎悪だが……借りは返させてもらうぞ」
死帝の正面から斬撃が飛んだかと思うと、次には背後より剣閃。神剣ライルハウトによって作り出される傷は容易に癒えることはない。死帝は魂を斬り裂かれねば死ぬことはないが、身体を破壊される。
つまり──身動きを取れなくすることは可能。邪気による身体再生を上回る速度で、イージアは神剣を振るう。
「馬鹿な、馬鹿な……! 武人として、屈辱の極み! 嗚呼、死を夢んだ俺ですら、貴方が恐ろしい!」
「では、恐怖を抱いたまま逝くべきだ。それほどに君の罪は重い。彗嵐の撃、『翔鷹』」
青き斬撃が飛び、死帝の大剣の側面に衝突。
時間すらも斬り裂く斬撃、伊達ではない。イージアの刃は大剣を真二つに斬り伏せた。
「ルナルーア……! 狂気の欠片もない、純然たる神にはこの有様か……!」
「マリー!」
イージアからの合図。
マリーは彼と死帝が斬り結ぶ間、四属性の均衡を保ちつつ、力を高めていたが……
「大丈夫だよ、行っておいで。わたしが協力してあげたんだから、成功間違いなし!」
「……エニマさん。確かに、今までにないほど均衡が保てています。これなら、この景色なら……! 霓天の秘奥に至る!」
エニマに背を押され、彼女は意を決する。
ホワイトの騎士剣に宿された、四つ色の光。どこまでも眩く、どこまでも鮮やかな極光。
死帝は呆然と光を見据える。
その光は、かつて己が見たものと酷似していた。スフィル・ホワイトの奥義、そしてヘクサム・ホワイトの奥義。
しかしながら僅かに違う。宿された意志が違う。
「四葉、奥義──」
迫り来るマリーの刃。
四光が間近に迫った時、ようやく死帝は彼女の意志を理解した。
「そう、か……憎悪だ」
スフィルのように正しく在ろうとする意志でもなく、ヘクサムのように人を守ろうとする意志でもなく、ただ憎しみより生まれた剣。
己が生み出した最大の罪過。
「──四葉秘剣」
一縷の光明、死帝の胸を穿つ。
燃えるような痛みと、魂が焼き焦がされるかのような熱。
己の呪縛が罅割れ、永遠の枷から解放された心地が死帝を包み込む。
そして──
「……見事」
霓天、死帝を討つ。




