55. 屍霊
闘技三日目、最終日。
「マリー、僕とタナンは少し席を外す」
「え……? もうすぐ試合が始まるのに?」
結局、タナンには事情を説明した。彼は思いのほか冷静に状況を受け止め、協力してくれるようだった。代わりにルチカをマリーの傍へ置いておく。アルスも妹を過保護にしたいわけではないが、何かあった際に守ってくれる人が欲しい。
「うん。どうしても外せない急用が出来てしまった。エキシビションマッチまでには戻れると思うから……頼んだよ」
彼の『頼んだ』という言葉には、ルチカへの願いも籠められていた。どこから【死帝】が現れたものか分かったものではない。緊急時に備えて果たすべき役割を意識しておけ……という合図だ。
マリーの横に控えるルチカは主人に頭を下げ、無言で見送った。
~・~・~
コロシアムの地下へは、下水道を通って潜入する。
予めルチカが調査した侵入経路を辿り、アルスとタナンは深く深くへ。とても都市の下方に広がるとは思えぬほど巨大な空間。
「しかしまあ……親父がコソコソ嗅ぎ回ってた情報を知れたのは、ルス兄とルチカのお陰だな。アイツはとにかく無口で、必要なことも伝えやがらねえ。嫌いなんだよ、あの澄ました態度」
タナンは愚痴を吐きながらもアルスについて来る。たしかにタナンの粗暴な性格と、龍神の柔和な性格は反りが合わないかもしれない。いずれはタナンも分別のある性格になる……だろうか。アルスは訝しんだ。
「龍神様も彼なりにがんばってるんだよ。えっと……こっちへ向かおう」
下水道を抜け、アルスたちはコロシアムの地下施設に出た。付近にはエレベーターと階段が見える。人の気配はなく、地上で行われている闘技大会の騒音が聞こえないほど深くまで来たようだ。
どこで『世界からコロシアムを切り離す術式』とやらが組まれているのか。魔力の流れを辿ってみても、アルスには感知できない。試合に出場した選手が気が付かないほどに、隠密性に優れた魔力簒奪。探知しても術式の根源が発見できないのも無理はない。
「……ああ、分かっちまうぜ。こっちから嫌な感じがする」
「そっか。やはりタナンは魔力的な探知じゃなくて、本能的な何かで危険を察知してるんだね。今は君の感覚が頼りだ」
「感覚っつーかさ……俺の内にある神族としての血が騒いでるんだよ。見ろよ、そこの壁」
タナンは徐に何の変哲もない白壁を指し示した。彼の指はさらさらと壁をなぞり、アルスの視線も指先に従って動く。
「……気が付かなかったけど、かなり浅いへこみが紋様を描いているのか? しかも壁一面に……どこまでも模様が続いてるな」
「これ全部、術式だぜ」
「これが? しかし、こんな術式は見たことすら……」
「見たことないのは俺も同じだ。でも……さっき言ったように俺の内にある血が、これを術式と断定している。不気味なもんだけどよ」
彼らは粛々と歩き、壁に刻まれた術式を追って行く。線を辿れば必ず根源に辿り着くはずだ。
地上の座標と現在地を合わせると、アルスたちはコロシアムの中央の真下へと近付いているようだった。
やがて終点へと至り、眼前に見えたのは鉄扉。表面には耐魔性の結界と、侵入を妨げる警報装置が周囲に見受けられる。明らかに厳重な警備が施された扉の先に、術式が繋がっている。
「……この扉の先だな」
「流石に僕もここまで来ると分かる。さあ、行こうか。術式が発動してしまう前に止めなければ」
迷っている暇はない。アルスは先行して警報装置を全て破壊し、タナンは鉄扉を力任せに打ち破った。神族二柱の手にかかれば、強固な防御も無に等しきもの。
激しい音を立てて風穴を空けた入り口から二人は侵入。
「これは……また凄まじいな」
アルスは度肝を抜かれて思わず声を上げた。
魔法陣、と言ったレベルではない。地面や壁だけではなく、中空にまで魔導の軌跡が描かれ、さながら迷宮のようである。室内に張り巡らされた線のすべてが術式となっているのだ。
ここまで大規模な魔法陣は国家が総力を挙げても実現不可能なレベル。
「あー……俺にはよく分かんねえけど、これ全部ぶっ壊せばいいのか?」
「いや、待て。魔法陣は工作者への対策として破壊時に大爆発を起こすものがあったり、一部を切除しても作動するものがある。まずは術式をよーく分析してだな……」
「──なりませんよ。アルスさん」
アルスの名を馴染みのある声色が呼んだ。
瞬間、彼は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。まさか自分の予想がこうも外れ、危険な人物を信頼していたとは。
「……いったいどういう了見ですか、シャンバさん」
魔法陣の向こうからやって来たふくよかな男……コロシアムの支配人であるシャンバは、アルスたちに笑顔を向ける。
「既に貴方も知っているのではないですか? まあ、知らぬのならば教えてさしあげましょう。この術式は、人呼んで『地獄開闢式バロメ』。途方もない魔力を糧とし、時空を捻じ曲げ……果ては世界より隔絶された地獄を創り上げる術式、だそうです」
「いえ、僕が聞いているのはそうではない。なぜあなたがこのような企てをしたのか……と言うことです。あなたは地獄を望むような人物ではない……少なくとも表層ではそう判断していました」
シャンバは不思議そうに首を傾げる。依然として笑顔のまま。
「生憎、わたくしには正悪が分かりませぬ。これより開く術式が、善であるか悪であるか、何も判別がつかぬのです……んほほほ」
彼に悪意がない理由が分かった。
彼は一切に罪悪を感じていない。倫理を持ち合わせていない。人の皮を被った……
「化物か」
アルスの言葉に、シャンバは眉を上げて感嘆の声を漏らす。
「化物。ほほっ……ほ! ええ、エえ! そうですね、化物と形容するに相応しいのでしょう、わたくしは。心がなく、善悪の判別もつかぬのですから。この身は生者に非ず。そう……人の皮を脱ぎましょうか」
シャンバは自らの顔に爪を突き立て、力任せに表層を突き破る。
しかし出血はない。ボロボロと皮膚が剥がれ、表出したのは……腐肉。彼の身体は腐っている。
突如として立ち込めた腐臭にタナンは鼻をつまみ、眼前の者に該当する個体名を言い当てた。
「テメエ、屍霊かよ」
「ご名答。わたくしは死人の身体を動かされし、心無き人形……呪術師の通り名では、屍霊と称される者。シャンバ・ユークは二年前に死しているのです」
つまり、シャンバを操っている存在がいる。
それこそが死帝……アルスは結論付ける。
「死帝はどこに居る?」
アルスの問いにシャンバは再び哄笑し、壁面に備え付けられたモニターを起動した。そこに映し出されていたのは、コロシアムの舞台。
ちょうどエニマが決勝戦を迎えようとしている所であった。
「何を……見せるつもりだ?」
「んっ……ほほほ! 分かりませんか? 決勝戦の後に行われる、エキシビションマッチ! そこに登場するのは顔を隠した謎の剣士……彼は黒き大剣を背負い、優勝者と死闘を繰り広げるでしょう。ああ、いえ……死闘というのはそのままの意味です。剣が血を吸い、対戦相手の命を食い散らし……それでもきっと、彼の衝動は止まらない。観客の一切合切を殺戮し、一人残らず斬り捨て……魔法陣に数多の魔力を注いでくれる」
──死帝はこの地下に居ない。
今、奴が居るのは地上。そしてこの決勝戦の後、奴はエキシビションマッチの相手として現れ……
「ッ! ルス兄、ここは任せて地上に行けッ! この屍霊も、魔法陣の起動も、俺が止めてやるからよ!」
「悪い、頼む!」
迷っている暇はない。迅速に地上を目指し、シャンバと死帝の企てを止めねばならない。
彼は踵を返し、部屋を出た。タナンを信頼するが故の即断。
「はてさてえ……そう簡単に地上へ出れますかな? わたくしだけではないのですよ、いえ……わたくしが怨恨そのものではないのですよ。深く、昏い深淵からは如何にアルスさんといえど、抜け出すことは難しいでしょうなあ……」
「黙りやがれ。屍霊一匹如き神転するまでもねえ。そのくっせえ横っ面に、どでかい一撃叩き込んでやらあ!」
激昂の竜戦士、吠え猛る。




