53. 怨敵遭遇
暗闇の中、ルチカ・ツァイトは現状を把握する。
彼女は主人の命を受け、闘技大会の運営についての調査を行っていた。そしてコロシアム周辺を嗅ぎ回っていたのだが……
『──!』
人目につかぬ場所、路地裏にて。一頭の狼のようなモノが彼女に追い縋る。
影の針を狼に突き刺し屠る。すると狼は魔力体となって霧散した。
一般人であれば間違いなく噛み殺されていたであろう猛獣。行動の指向性を見るに、魔物ではない。
「人形」
そう形容するのが相応しかった。魔力によって生成された兵器。危険な兵器がコロシアムの周辺を徘徊していた。
たとえ人通りの少ない深夜にしても、このような兵器が闊歩しているとなれば問題になってもおかしくはない。しかし騒がれている様子は一切なく……周囲には静寂が満ちていた。
ルチカは気配を探る。今の狼で最後ではない。コロシアムを取り囲むように、定点に配置されているようだ。朝になれば狼が撤去されると考えると、このまま明朝まで待機し、誰が狼を回収するのかを確認した方がいいだろう。
また、狼が無差別に通行人を襲っているとすれば、死体を撤去する者も居るはずだ。ルチカの気配探知によると、周囲に人の気配はない。
(……不気味)
不気味、一言に尽きる。
何が起こっているのか、何が目的なのか、誰が起こしているのか、全てが謎のまま。しかし看過できぬ問題。
彼女は一つでも多くの情報を主人へ捧げるため、息を潜めて夜明けを待った。
~・~・~
靄。紫色の靄が街中に立ち込めていた。
時刻は夜明け前、間もなく陽が地上を照らし出すだろう。
ルチカは魔力の波長を感じ取る。何かが蠢いている。彼女は迷うことなく闇を進み、気配の下へ──
「……互いに互いが気を感じ取り、相克へ至ったか。そして互いに気配を遮断しながらも察知できた。これが意味するところ、即ち闘争に他ならん」
声の主は気配を遮断していたはずのルチカへ接近していた。彼女は使用人となる前、諜報活動を行っていた。隠密に長けた彼女の気すらを感じ取り、殺意を向けた者が一人。
男は靄の中より現れた。妖しく光る大剣を担ぎ、異様に白い肌。
「……死帝」
主人の親の仇。ルチカは眼前の男の姿を視認すると同時、彼が死帝であると確信した。
動揺はない。六花の魔将は神出鬼没、街中にいたとて不思議ではない。冷静に次の一手を決めた。
「剣を取るか、取らぬか。否……取らずとも、この場に現れた時点でお前の死は決まっている。一切合切。命を生きては返さぬ……!」
「影潜」
逃走──彼女の取った一手である。
この情報は何としても主へ届けねばならない。今回の異変の裏側に六花の魔将が潜んでいるとなれば、アルスは決して看過しないだろう。真実を伝える責務がルチカにはある。
影に潜り、闇を駆けようとしたルチカ。死帝は敵の逃走を逃すまいと、彼女が潜った闇を凝視する。
「影の術……ああ、見たことがあるぞ。あの光景はたしか……ああ、嗚呼……魔物に追われていた時、アイツが……──ズが……」
死帝が何か譫言を呟くと共に、周囲の靄がより一層濃くなっていく。
「ッ!?」
刹那、ルチカが闇から引きずり出された。強制的な転移に近い。
彼女は闇から飛ばされ、死帝の前に再び躍り出る。
「凡人に俺は殺せぬ、逃れることもできぬ。諦めよ、嘆け。そして己が無力と我が呪いを恨み、死ね」
(恐らく死帝の異能による妨害。逃走は諦めるべきか)
ルチカは思考する。
相手の異能の全容が掴めない状態で交戦するのは極めて危険。しかし先程の妨害により、逃走の選択肢もまた多分な危険性を孕んでいることが明らかになった。
彼女は可能な限りリスクの少ない選択肢を勘案した結果、交戦を決意し──
「待て、魔族の子よ。ここは我に任せて下がるがよい」
「龍神様」
靄を突き破り、一人の男が参上。
龍神ジャイル。彼の接近の気配を、ルチカも死帝も掴むことができなかった。
龍神の姿を見た死帝の目が大きく開かれる。眼に宿されしは畏怖、そして驚愕。何者にも臆せぬ狂人の集いである六花の魔将とは思えぬ反応であった。
「お前は……いや、貴方は……なぜ、此処に……」
「やはり汝であったか。随分と哀れな姿に成り下がったものよ。さて、魔族の子。下がっておれ、その不届き者には我が誅を下さねばなるまい」
「承知いたしました」
神の言葉に逆らう理由もない。想定外の助力に感謝しつつ、ルチカは背後へ退いた。
死帝は依然として体の震えが収まらぬ様子で、大剣を握り締めている。相手が龍神となれば無理もない反応なのかもしれないが、魔王は神をも畏れぬ不遜な態度であったという。同じ六花の魔将でも、個々によって神への態度は違いがあるということだろうか。
「否、否……! 俺は貴方に殺されぬ、殺されてはならぬのだ! 龍神様、慈悲を……愚かな俺に、不義の俺に慈悲を……! 俺は人の手によって殺されねばならぬ! さもなくば我が呪いが地上を煉獄で包み込むであろう!」
叫びながら、死帝は自らの袖を裂いた。
露出した彼の右腕に刻まれていたのは奇妙な紋様。ルチカと龍神は知る由もないが、シレーネの手の甲に刻まれていた紋様と同じ形のものである。
「それは……クラヴニの罪だと? なぜ汝が死した奴の紋を持っておる?」
「言えませぬ、申し訳ありませぬ。しかし我が罪が浄化されるには、人の手によって命を断たれねばならぬのです。それも全霊の勝負の末にて、俺が死ぬという末路を迎えねばならない。神によって殺されれば、我が命を糧として災禍が起こる。それほどまでに、俺の功罪は大きいのです。ですから、どうか慈悲を……」
「……」
龍神は眉を顰め、死帝の紋を見つめていた。
ルチカに彼らの会話は理解できず、なぜ二人に面識があるのかも分からない。ただ行く末を見守り、死帝が言い放った一言一句をアルスに届けようとしていた。
「……行け。哀れなる英雄よ」
「感謝、いたします……」
最終的に龍神は死帝を見逃す決断を下した。そして死帝は闇の中へと消えて行った。
気が付けば闇を晴らし、陽が顔を出しつつある。
「さて、霓天の傍に居た者であるな。おそらく汝らも何かを探っているのだろう。こうなった以上、汝にもこの事変を説明しておかねばな……」
かわたれ時、龍神は溜息をついてルチカに向かい合った。




