42. アリキソン・ミトロン
異様な高揚感に包まれたアリキソンは次々と魔物を斬り伏せる。枯渇していた魔力は回復し、全身に負っていた傷も癒えている。
アルスが何かをしたのだろうが、とにかく今は考えずに事態の好転に身を任せることにした。
悪しき魔の王は、魔物を従えて大通りの中心を闊歩していた。
邪槍を振りかざし、ひたすらに前へ前へ。ルフィアレムに住むアリキソンにとっては慣れた光景だが、シロハ国の人間にとっては恐ろしいことこの上ないだろう。
「嵐絶──大旋風」
周囲の魔物を薙ぎ、彼は魔王の眼前に立つ。
「貴様……ああ、見覚えがあるぞ。碧天、忌まわしき者……」
「たしかに俺は神能を継いでいる。ただし、今の俺に碧天を名乗る矜持はない。ただ一人の剣士、アリキソン……」
騎士を辞めた。生きると決めた。
それでもなお、彼が魔王の前に立つのはなぜか。
「俺は強くなりたかった。強さを何に使うのか分からないまま、剣を振り続けた。だが……ただ強くあれば英雄と呼ばれ、或いは大罪人と呼ばれる。俺か、お前のように。今はただ迷いを振り切り、強者である魔王に挑むのみ。それに……」
彼は想う。
父を、友を、仲間たちを。
「俺の大切な人を傷付けることは俺が許さない。こうしてお前が人を傷付けるのなら、いずれ俺の大切な人も傷付く。いや……実際に俺の部下も魔王軍に殺された。その時点で『知らない誰か』を喪っているのではない。大切な人を喪っているのだと。最初から俺は……人を守る戦いからは逃れられない運命にあったんだ」
【嵐纏】──展開。
轟く雷が都市の闇を裂き、烈風が吹き抜けた。決戦の前とは思えぬほどアリキソンは冷静に敵を見つめ、そして熱烈に闘志を燃やす。
「忌々しい……なぜ、なぜ貴様らは我に歯向かう!? ニンゲンは定命、脆き種族! 魔族には敵わぬ、超えられぬ! なぜ貴様らが我らを迫害し、なぜ追放されねばならなかった! おのれ、おのれ……口惜しい……!」
「……人間がかつて魔族を迫害したことは謝罪せねばならない。しかし、今は人間と手を取り合う魔族ばかりだ。なあ、お前も何度も説かれたことがあるのではないか? もう憎悪を抱く必要はないのだと」
「ッ……黙れ。我は、我は……!」
ルカミアは頭を抑え、がむしゃらに踏み込んだ。
邪槍がアリキソンの眼前に。戦いの幕が上がる。
邪槍に触れれば身体が汚染されるだろう。
側面へ回り込み、雷を手足に宿して一閃。ルカミアの体表をなぞった斬撃は致命に至らない。今のアリキソンは不死性を断つ手段に乏しかった。
不死断ちの斬撃を放つには事前に魔力を溜める必要があるので、大きな隙を作り出す必要がある。
「凩之太刀」
突風の穿撃を叩き込み、後方へ離脱。
ルカミアは周囲を舞うアリキソンを煩わしく思いながらも、雷速を持つ彼を捉える術を模索していた。相手が速いのならば、広範囲にわたる術を行使すればいい。
「吠え猛よッ、邪槍ドラドゥス!」
邪槍を地に突き立て、彼方まで闇を引き伸ばす。
闇から伸びる影の針がアリキソンを捕捉し、全方位から迫った。
(逃げきれない……!)
判断と同時、彼は全身に嵐を宿し、闇広がる地面へと急降下。
真正面から闇を迎え撃つ。
交差させた腕に闇の針が深々と突き刺さり、夥しい量の血が噴き出る。しかし彼は辛苦をものともせず、なおも魔王へ向かう。
「はぁあああっ!」
電光が走ったかと思うと、ルカミアを包み込んだのは無数の雷糸。
強烈な痺れがルカミアの身体を縛り、動きを拘束する。
──今。
振り抜きの姿勢から踵を返し、アリキソンは不死断ちの追撃を試みる。魔力を刃に宿し、一歩を踏み出す。足元から伸びる影の針を回避し、痛みが止まらぬ身体を突き動かし。
そして、渾身の秘奥を放つ。
「──『紫電真風太刀・不死断ち』!」
彼の目的はルカミアの身体を断つことではなく、魂を断つこと。
自らの秘奥義に繊細な魔力を織り交ぜ、彼は動けぬ魔王の胸元に刃を突き刺した。
「ぐ……おおおおおっ!?」
至近距離でアリキソンとルカミアの視線が交錯する。
彼が見た魔王の瞳は、どこまでもどこまでも深い闇に支配されていた。しかし彼は目線を逸らさず、自らが刺し込んだ剣を抉り、魔力を繰る。
「終わりだ、魔王……っ!?」
あと一歩。あと一歩でルカミアの魂を砕くことができた。
だが、ルカミアの器が突如として変形。胸元の肉が盛り上がり、アリキソンの刃を中腹からへし折った。
ぽきりと折れた剣身を視認すると同時、彼は即座に飛び退いた。
不死断ちは失敗。そしてルカミアの身体は肉の増量だけに留まらず、異様なまでに肥大化していく。邪槍から滔々と邪気が流れ出し、それが魔王の身体を膨張させる素になっているのだ。
「おお、オオ……なんだ、ナンダ!? 我が身が、ワタシが……崩れてゆく……チガウ、これはワタシではない……! ああ、ローダン、ローダン! 兄上、カラクバラ様……ッ!」
制御不能。
ルカミアに埋め込まれた秩序の神能が死の間際に暴走し、彼の身体と理性を瓦解させてゆく。こうなれば元に戻る術は無い。
……最終的に出来上がったのは、四足歩行の邪鬼。額からはルカミアの所持していた邪槍が生え、口元からは絶えず呻き声と共に邪気を溢している。
『ォ、オオオオオオ……アガッ……』
アリキソンは眼前で起こっている事態が何なのか分からないまま、己の危機を悟る。
「ここで退く訳には……」
死にはしないと、そう約束した。
必ず帰ると、そう約束した。
既に彼は満身創痍、継戦は不可能と言っても過言ではない。
だが、武人として退けぬ時があろう。
騎士ではなく、碧天であることも彼は一度捨てた。そんな自分に魔王を討つ資格があるのか。
「──あるさ。俺は大切な人を守るために……お前を討つ!」
「ああ、よく言った! それでこそアリキソンだ! 【救済の領域】!」
その時、都市の闇を払って光が地に満ちた。光はアリキソンの身体を包み込み、傷を癒す。同時に光の楔がルカミアの体躯を縛り付けた。
上を見上げれば、天廊には黒獅子と、背にまたがった一人の少年。
「クロイム……? それに、まさか貴方は……!」
『魔族王ルト。我が不肖の弟を裁くべく、魔国より参った。勇気ある人の子よ、お主の勇断を讃えよう。そして……この戦いを終わらせるとしよう』
地上に降りたクロイムはアリキソンの前に白亜の剣を差し出した。
「これは……」
「忘れ物だ。ほら」
恐る恐る、アリキソンは剣を受け取る。
聖剣は彼を認めなかった。それでも剣を握るべきだろうか……と、彼は逡巡する。
『グ……オオッ……!』
しかし、咆哮を上げる魔王を前にして迷っている時間はない。
彼は聖剣グニーキュの柄を握り、魔王の体躯を見据えた。
「聖剣よ、俺は英雄ではない。見知らぬ誰かを守る誇りも、矜持もない。力を貸してくれずとも良い。ただ……これからの俺の戦いを見守っていてくれ」
アリキソンは魂を裂く聖剣を構え、一歩を踏み出す。
刹那、極光が爆ぜた。
──【汝、美しき愚者。我が名はグニーキュ、命を断つ者。力を得、望みを得、汝の覚悟は尚も揺るがず。故に、我が宿運を汝と共に】
聖剣が求める使手は誇りある者ではなく、崇高な理念を持つ者でもない。
ただ偏に、己が欲望の為に望み……その望みが世界の意思と重なる者。
瞬間、アリキソン・ミトロンは聖剣グニーキュに認められた。




