36. 碧色の幽鬼
シロハ王国のサーサエ廃城に辿り着いた魔族王ルトは、場の異様さに唸り声を上げる。
魔物や魔族の気配がない。ひっそり閑として聞こえるのは虫のさざめきのみ。ここはたしかに魔王の本拠地だ。イージアの下調べからしても、それは間違いなかった。
「……陛下。内部には生体反応はありません。もぬけの殻です」
魔族王の斥候、ソニアが内部の様子を報告する。
ルトは魔王の元兄として引導を渡すつもりでやって来た。狂気に陥った愚弟を救うためにも。
『どうなっている……? どこかしらの国へ遠征しているのか? だとしても、城を完全に空けるのは異様なものだ』
「聞くところによると、魔王軍は何らかの転移手段を持っていると噂されています。国々の首都に突如として現れるそうで……」
『転移か。空間に干渉する技術は再現できぬもの……現代の最先端技術を以てしても実現不可能。神能か異能によるものか?』
魔王軍が転移したとすれば、ルトの移動は完全な無駄足に終わってしまう。
ここで魔王軍の帰還を待つという手もあったが、これ以上の暴虐を許してはおけない。
「……転移については、私がお答えしよう。魔族王よ」
静寂を破り、男の声が響いた。
ルトとソニアは咄嗟に振り返る。先程まで気配はなかった。まさに転移してきたかのように、男は暗闇に佇んでいる。
顔は深めに被ったフードのせいで窺えないが、赤い髪が垂れている。
「あなたは何者ですか?」
ソニアの問いに男は口元を吊り上げ答える。
「私は六花の魔将が一、【天魔】。魔王軍はたしかに転移している。その転移は私が術式を編み、協力しているのでね。彼らの行き先も私が知っているとも」
天魔。魔将の中でも最も謎が多く、情報が明らかになっていない者。
ルトは警戒を怠らず、天魔を名乗った男に問いただす。
『魔王は我が弟。弟の不始末は我がつける。場所を教えてもらおうか』
とは言っても、同胞の魔将の居場所を容易に暴露する訳もない。
最悪、交戦を想定していたルトとソニアだが……男は意外にも情報をあっさり吐いた。
「家族を想う気持ちは私にも分かる。自分の妹や弟はかわいくて仕方ないものだ。その心に免じて教えよう。魔王ルカミアは、付近のシロハ国の首都エブロへ向かった。魔王軍の全軍を引き連れてね。被害を抑えたくば、急いだ方がいいだろう。……私の術で転移して行くかい?」
『いや、結構。ゆくぞ、ソニア』
彼の言葉は罠の可能性もある。甘言に惑わされず、ルトは自らの足で戦場へ向かうことにした。
エブロまでは魔族王の疾走であれば一時間もかからない。
「……健闘を祈る。我らが破滅を齎す時まで、幸福に生きるといい。未練は可能な限り消化しておくに限るからね」
男は凄まじい速度で駆けてゆくルトとソニアへ向けて、最後にそう言い放った。
~・~・~
「……まさか」
街中に鳴り響くサイレンを聞き、アルスは戸惑う。
アリキソンとの通信を切り、即座に周囲の気を感知する。遠方より数多の邪気が迫っている。いや、転移してきたと言うべきか。
『首都エブロ南方に魔王軍が出現しました。慌てず、落ち着いて避難をしてください。魔導車の使用は極力控えてください。国道四号方面を封鎖します。都民の皆さまは付近の警察所や消防署、公的機関に避難し……』
シロハ国に魔王軍が攻めてくるのは初めてのことだ。
異例の事態に街中は蜂の巣をつついたかのような騒ぎになっている。これが魔王侵攻に慣れたルフィアであればマシだったのだが……
「おいおい、冗談だろ……」
アルスに息子の居場所を聞いてもらおうとしていたタイムは、呆気に取られたかのようにアナウンスに聞き入っている。
「タイムさんは……戦えます? 少なくとも自分の身は守って下さるとありがたいのですが」
「ここ五年近く戦ってないからな。まあ……自分の身はどうにかする。アルス君は好きに動いてくれ。……クソ、アリキソンの野郎はどこをほっつき歩いてるんだか……」
彼は仮にもかつて英雄と呼ばれた存在。十年以上前はルフィア最強の騎士として名を馳せていた。そこらの魔物に遅れを取ることはないだろう。
アルスが心配しているのは、うつ病が祟って精神的な面で自分の身を守れなくなること。魔物を前にして自殺してしまう気概で立ち尽くしてしまう可能性を危惧しているのだ。
「では、僕は然るべき場所へ行きます。それと……タイムさん。あなたには役割が、求められている役目がある」
「役目?」
「どうかアリキソンを、『名前』で呼んであげてください。どうか彼を個として認めてあげてください。彼を肯定できるのは父親であるあなただけ。あなたは今、世界の未来のために必要なんです。碧天という英雄ではなく、未来を背負うアリキソンと言う若者のために」
彼は懇願を言い残し、タイムの下を去った。
「俺の、役目か……」
~・~・~
騒乱のエブロにて、二つの影が街中を駆けていた。
「おばあちゃん、こっち!」
「待っておくれ……ああ、歳は取るもんじゃないねえ……」
少年と祖母は逃げ遅れ、魔王軍が迫る街中で孤立している。周囲は魔導車や航空機に乗って逃げる中、二人は緩慢とした速度で逃走。
心が焦燥に駆られる一方、足はどこまでも遅い。
「はやくはやく! 魔王が来ちゃう!」
「いざとなったらお前だけでも逃げればいいさね。あたしはもう老いぼれ……先は短いからねえ」
そう、彼らの予想通り不穏の影は迫りつつある。
すぐそこに。
──魔鳥の嘶き。天より獲物を二つ定めた魔の鳥は、二者の心臓を啄まんと滑空の体勢に入る。
魔物は食事を必要としない。これはただ単純に、人間を排除する機構に従っているのみ。
『──!』
脅すように、宣戦布告の鳴き声を上げる。
地を這う無力な二人は、天の魔を見上げ絶望する他ない。一般人からすれば魔物を前にするなど考えるべくもない事態。彼らの恐怖心は限界まで高まっていた。
「やばい! おばあちゃん!」
「お前はお逃げ! 向こうの署に早く行きんさい!」
「やだよ! はやく!」
羽ばたきの音が二者の絶命を告げる。
風切り音と共に巨大な質量が天より降り注ぎ、鋭利な嘴が逃げ遅れた祖母の心臓へと──
「嵐絶、旋風斬!」
嵐が吹き荒ぶ。突風が駆け抜け、少年と祖母は思わず尻餅をついてしまう。
嵐の中に輝く金色、鈍色の刃。烈風は魔鳥の体躯を切り刻み、地へ堕とす。邪気を撒き散らして魔鳥は消滅していく。
駆け抜けた暴風は二人の姿を見とがめ、何を思ったか首を横に振る。
「……何を呆けている。早く向こうへ行け」
彼……アリキソンは剣を納め、魔王軍の方角へと向かって行く。
彼の剣は騎士剣でも、聖剣でもない。
「あ……お兄ちゃん、ありがとう!」
「ええ……この恩は忘れません。ありがとう」
二つの謝意を背中で受け止め、彼はゆっくりと歩き続ける。
少し前の彼であれば腰を抜かす祖母に手を差し伸べていただろう。しかし彼は淡々と魔物を斬り捨てるのみ。魔王軍の発生以来、人を助けるつもりはなく、ひたすらに魔物を斬り伏せていた。
今回も弱者の二名を救うつもりはなかった。
ただ魔物が視界に入ったから斬っただけだ。だが、彼は無意識に人が居る方角へ駆けていることも事実で。
「ここを墓標とするも悪くないか。ひたすらに魔物を斬る狂鬼となり、戦場にて散る。それが無様な俺の最期でも……構わないのかもしれない。そうすれば碧天の名を傷付けず、この世から去ることもできるだろう」
剣士は進む。
答えの見つからぬ道を。




