Decay4. 真紅の憎悪を抑え込み
二名の狂人から逃走に成功したアリスとリグスは、森を抜けて神殿へ続く回廊へ辿り着く。
大気が鳴動し、神気と邪気が波打つ。途轍もない争いが起こっている。彼女たちは戦の余波を肌で感じながら、創造神の下へ急いだ。
「あらあら……ようやく見つけたわあ。美しい姫君……ああ、羨ましい……妬ましい……」
「……また敵意のある人です」
「アリス様、お下がりください」
新手が現れた。片腕を使えないアリスを守るように、リグスが前方へと出る。
紅のドレス、紅の髪、紫紺の瞳。鮮血を塗りたくったかのような美麗な女が回廊の中心に立っている。彼女は歪に笑い、そしてゆっくりと歩み寄る。
「ねえ、教えて欲しいの。あなたたちはどうして満ちたりないの? サーラライトの血による長い命、そして美しい容姿に、素敵な強さ。神にも愛されて、世界に愛されて……どうしてそこで満足できないの?」
「爆炎!」
問いかけを無視してリグスは炎魔術を行使。
凄まじい熱気が走り、女を巨大な火球が襲った。
「ねえねえ……聞いてるのに、答えもしない。満ち足りているくせに、全てを持っているくせに……何も分け与えようとしない。言葉を紡ぐことすら面倒に思う傲慢な人たち。妬ましいわ、欲するわ……その血をわたくしにも分けてくれないかしら……!」
「っ……」
女は無傷だ。何を以て炎を防がれたのか、リグスには皆目見当もつかない。
アリスは負傷し、リグスは攻撃的な神能を持っていない。相手の女が強力な防御手段を持っているのならば勝ち目は薄い。
「──ええ、聞き届けたわ。傷付けたいのね? わたくしを粉々に砕きたいのね? いいわ、いいでしょう。白い髪のあなた、あげるわ。だってわたくしは優しいものね。その代わり……」
刹那、緋色の演奏が奏でられた。
一、二、三……数えれば六十七本の赤い線。無論、アリスたちには線を数えている暇などなかった。何故ならば……紅の線がアリスを切り刻んでいたのだから。
「アリス様っ……!?」
「その代わり、麗しい姫の血をちょうだい? あなたの身体に流れる全てを……」
無残に倒れるアリス。
彼女は一瞬で根こそぎ奪われた生命力を振り絞り、
「リグ……ス……逃、げ……」
「アリス様! 嘘だ、アリス様! 『復元瞳孔』……!」
何度リグスが彼女を見つめても、アリスの傷が塞がらない。
滔々と、どくどくと、血が絶えず流れ出す。
彼女の身体は徐々に冷たくなり──
~・~・~
楽園へ辿り着いたイージアは、天空で舞う二つの巨大な影を目にする。
ダイリードと龍神の争い。伝説にも残る戦いは変わっていない。爆ぜる神気の中を進み、彼は周囲を見渡す。
遠方から人影が走ってくる。
「ウジン、ゼロ!」
必死の形相で走るのは、ウジンとゼロ。ゼロの腕には気絶したサーラが抱えられていた。
彼らが目指す方角は楽園の端。
「イージア! 無事だったか……どうやら楽園はもう駄目みたいだぜ」
ウジンは諦めるように言った。彼も未来を知る人間。いつしかこのような事態が来ることを覚悟していたのかもしれない。
イージアは気絶したサーラについて尋ねた。
「ゼロ……サーラはどうした?」
「分からねえ……気絶してるんだと思うが、なかなか起きないんだ。俺たちはレヴィーに乗って楽園から脱出する。お前も行くぞ」
楽園の端に止めてあるレヴィーに乗って三人は出て行くつもりのようだ。
しかし、イージアにはまだ気掛かりが残っている。
「他の者は?」
「……安否は確認できてねえよ。ただ、強い奴らが楽園に攻めて来た。相手が一人なら俺でも何とかなったが……何人も攻めて来てる。楽園の奥に向かうのはやめておけ。それに、ダイリードだってなぜか龍神と戦ってるし……」
ゼロはイージアを諭すように状況を説明する。まさに最悪な状況と呼ぶのに相応しい。
しかし彼には仲間を見捨てることなどできなかった。
アリス、リグス、ナリアが残っている。そして創造神の姿も一度は見なければならないと思っていた。邪気に呑まれたばかりの今ならば、どうにかする術があるのではないかと……彼は欠片の希望に縋っている。
「……すまない。私は行く」
頑固な意志にゼロは溜息を吐く。
ウジンは彼を擁護するように言った。
「ゼロ、イージアはこういう奴だろ? こいつならあの狂人どもが纏めて掛かって来ても対処はできるかもしれん。俺らはサーラを助けるためにも、レヴィーに乗って逃げる。それしかねえ」
事実、イージアは神族をも凌駕する強さを持っている。
災厄の力と神族の力を併せ持つ彼は、もはや誇張なしに天下無双の強さを誇る。たとえ相手が何者であろうと敗北はしないだろう。
「……分かったよ。いいかイージア、他のみんなを助けたらすぐに脱出しろよ。お前が守り抜くんだ」
「ああ。必ず救ってみせよう。さあ、行け!」
走るウジンとゼロの背を見送り、イージアは神殿へと真っ直ぐ向かって行く。
~・~・~
神殿へ続く回廊。
何度も、何度もイージアが通った道だ。されど今は暗澹とした空気が流れ込み、噎せ返るような邪気が張り詰めていた。
一瞬して脆くも崩れ去った安寧。彼はひたすらに急ぎ、回廊を走った。
刹那、足を止める。自らの戦意が何かを弾いた。
「糸……?」
紅の、硬質の糸。邪気が施されたそれは、浴びれば傷口を再生させることは難しい。
回避できた幸運に感謝しつつ、注意しながら彼は進む。
──そして、進んだ先に地獄を見た。
「…………」
赤い。回廊がひたすらに赤い。
紅の根源は、ただひとりの少女。彼女は無残な姿で血だまりの中に転がっていた。
イージアは一瞬で彼女の気配を探り、もはや脈がないことを悟る。
力なく彼の膝が血の沼に沈んだ。ローブが血を弾いてしまう。今だけは、その血を浴びたかった。
「…………アリス」
『麗姫』アリスの亡骸を抱え、彼は周囲を見渡す。
交戦の跡がある。リグスの扱う炎術。そして何者かの気配の残滓。アリスが殺されたということは、リグスも既に──
「……いや、まだリグスは生きているかもしれない。すまない……アリス。少しここで待っていてくれ」
喪失の味は何度体感しても苦い。
しかし憎悪と激情のコントロールは慣れたものだ。今はアリスの仇を憎悪するべきではなく、リグスの命を救うべきだ。亡くした命よりも救える可能性のある命を。
「……」
彼は回廊を進み、創造神の座する玉座を目指す。




