23. ハートスタート
『目標の時間軸に到達しました。 RunAcladeは傷を癒すために眠りにつく』
およそ百年前。
奇妙なアラーム音が鳴り響き、一つの災厄が墜落した。
巨大な円環に囲まれた、一人の少年。緑の髪を持つ少年は静かに瞳を閉じる。同時、周囲の円環は消え失せた。
「……ようやく見つけたよ。ラウンアクロード」
リフォル教教皇、ATはその瞬間を待ち侘びていた。
未来の世界を滅ぼし、異なる世界線に墜落した災厄。神々と共鳴者から受けた傷はそう浅くはない。完全に力を取り戻すには百年以上の時を要するだろう。
しかし、彼にとっては百年など些少な時に過ぎない。
世界を護る為の鍵。
彼はついに、大願への一歩を踏み出したのだった。
~・~・~
「おはよう」
自我の記憶はそこから始まった。
薄暗い地下の一室。周囲には魔力を含有する物質が散乱している。
この自我が何者なのか、何故ここに居るのか……全てが理解不能。
意識を覚醒させてすぐ視界に飛び込んで来たのは、白髪の男。自我は状況を確認するために、その男に問う。
「あなたは誰ですか」
「僕はAT。君の名前は……ラウア。よろしく」
彼はそう言って自我……ラウアに手を差し伸べた。
『よろしく』。人間の間で、主に初対面の人間に対して使われる、友好関係を申し出る挨拶。自己の種族は不明。肉体を自認するに、おそらくは人間。もしくはそれに準ずる何か。
意志を持つラウアに対して、ATは意志を以て友好を申し出た。
ラウアは思考する。
自分が何者なのか分からず、全てにおいて欠落している状況。情報の欠落による損失は極めて大きい。頼れる相手は作った方が良い。
メリットとデメリットを比較し、算出された結果からラウアは手を取った。
温かい。人間の平均的な体温よりは低いものの、ATの手は温かかった。逆説的に言えば、ラウアの体温は非常に低いことになる。
「重ねて質問します。私はなぜここに居るのですか」
「君は……ええと。生まれたんだよ。うん、そういうことにしておこうかな」
生まれた。生命体で言えば、受精して染色体が掛け合わされ、次世代の生命が生まれること。
仮にラウアが人間であるとすれば、生まれたばかりの自分は赤子であるはずだ。人間の赤子には該当せず、少年に近い肉体。つまり、ラウアは人間ではないと推論可能。
「…………」
質問事項は終了した。
現在、ラウアは何も持っていない。役割を課せられていない。
故に、情報を得ることは無為な行動である。
「ところでラウア。君の傷は癒えそうかな?」
「傷。確認したところ、外傷はありません。確認手段は目視による確認のみに限られています。確認できません」
「……やはりルミナの言う通りか。災厄としての記憶が欠落している。完全に傷が癒えれば、再び力を扱えるようになるが……奪取はその時でも良さそうだ」
ATの言葉の意味は解せない。
解する必要はない。ラウアは目的を持っていない。目的を持たない者は動く必要がない。
故に、ラウアは再び瞳を閉じた。
~・~・~
一定の感覚で、ATは僕の下へ足を運ぶ。
凡そ二日に一回。彼が傍に来た時だけ僕は目を覚まし、会話に応じる。
ここで目覚めてから一年近くが経ったと聞いた。
「おはようございます。僕の体調は正常だ」
「そうか。君に何かあったら僕が困るからね。何かあればすぐに言うんだよ」
ATが手に持つ書物を眺める。
時折彼は本を持ってきて、僕に知識を授ける。生まれた時から、僕は世界の言語認識と識字能力を持っていた。
よって本が読むことが可能。ATが持ってくる本の大半は、ここでの生活に関係のない内容だ。
「それは何の本かな」
「これは花の育て方の本だよ。適当に書棚から見繕ってきた」
花。植物が成長してつけるもの。
果実となり、種子となり、次世代の植物へ命を繋ぐための一種の形態。
「ラウアは花を見たことがある?」
「ない。この空間には花がないから」
「……僕も君に景色は見せてあげたいのだけど。簡単に外に出してはいけないんだ」
僕は外に出たいとは言っていない。
花を見たことがないと回答しただけだ。どうして彼は返答を歪曲して解釈したのだろうか。
「どうして人は他の種族を育てるのかな。食糧として育成する以外の用途はなに?」
「難しい質問をするね……なんとなく、なんて理由ではラウアは納得しないから。君も育ててみたら分かるかもしれないね」
「…………」
数日後、ATがやって来た。
彼の手には、いつもの本とは違うものがある。茶褐色の円柱。
「おはようございます。それは何かな」
「これはプランター。花を育ててみようと思って。この前言っただろう? 実際に何かを育ててみれば、君の問いの理由が分かるかもしれないと」
ATは少し離れた位置にある机にプランターを置いた。
それから僕の方へ手招きする。現在、僕には目標がない。だからATの命令には従う。命じられた通りに立ち上がり、彼の下へ歩いた。
「この種を植えて、定期的に水や肥料をあげて花を育てるんだ」
「しかし、花の育成には太陽光が必要だ。先日の本で読んだよ」
「大丈夫。日光を当てる装置があるんだ。このライトは日光と同じ効果を齎す魔道具だ。普通の光と違って、浴びると少し安心できる」
カチ、と音がして暖かい光が満ちた。
ATが点けたライトは、僕が普段浴びている光とは違った。おそらく人体が一定量浴びることを推奨されている光で、僕の身体は人間の姿だから、何かしらのバイタルが向上したのだろう。
「安心、」
「そう、安心。この光……どこか落ち着かないかな?」
「……理解できない。体温とバイタルが安定したように思う。これが安心かな」
ATは表情筋を緩めて、首を斜めに傾げた。これは一般的に困惑の感情を表すものだ。
彼は何も言わずに種を取り出して、僕に植えさせた。そして水と肥料を撒かせた。この過程が何の意味を持つのか、僕には分からない。花を育てるという行為が何の実利を齎すのか、僕には分からない。
「こうやって育てていくんだ。しっかり育てるんだよ」
「了解した。目標を設定する」
初めての命令は、花を育てることだった。
~・~・~
目が出て、蕾ができて、花が開く。
なんでもない花の成長過程を、僕はしっかりと記録していた。
咲いたのは紫色の花。これで完全に開花したと言ってもいいはずだ。
「どうかな? これが花を育てるということだよ。花だけじゃなくて、自分の子供とか、ペットとか……実利があっても無くても、育てるという行為は同じだ。君は今、どう感じている?」
「……分からない。まだ花を育てるという行為の解答が導き出せない。でも、」
ずっとこの花を育成して、目が覚める度に水や肥料をあげて、ライトで照らして。
その度にバイタルが向上した。自らの能力の改善と、それに準ずる物質の分泌を確認した。
「でも、今までに感じたことのない感覚を覚えた」
「そうか。君は感情を感覚と表現するのが好きだね」
「感情と感覚を分けるものは何かな」
再びATは困惑の苦笑いを浮かべる。
彼はまた答えることなく、地下室を後にした。
眠りに就かず、花をずっと眺めていた。




