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私の記憶を元に形成された世界は崩れていく。
そして、これから私は私を取り戻すのだ。魂の深奥では災厄となったアルスが創世主と戦っている光景が見える。
幻の空間は剥落し、虚無の白き空間が彼方まで広がる。
この無量の空間において、私以外にもう一つ……気配があった。
「過去の紀行、お疲れ様でした。アルスさん……いえ、イージアさん」
ふと、私は振り向く。
そこには黒い髪を束ね、紅と紫紺のオッドアイを持つ少女がいた。
「……ノア」
「はい、天才のノアです。晴天の試練以来ですね」
しかし、気にかかることがあった。
私が晴天の試練を受けたのは未来の出来事。ノアとはこの時代において知り合ったことはない。
「不思議そうな顔をしていますね。私は世界の果て……理の外に存在しているので、いかなる時間軸、世界線においてもあなたのことは認知していますよ。全て知っています。私は晴天の試練で一緒に過ごしたノアその人ですよ」
「よく分からないが、今は聞かないでおこう。それよりも、私は早く目醒なければ」
なぜ災厄のアルスが暴れているのか。
そもそも、あれは何なのか。
何も分からないが、とにかく止めないといけない。
「少しお待ちください。私とこうして話している間は、現実世界の時間は経過しませんから……あの災厄について、私の罪についてお話させてください」
「君の罪?」
「現実世界で暴走しているあれは、災厄アルス。別の世界線……α世界としましょうか。α世界のアルスなのです」
「つまり、私の《Xuge》ということだろう?」
ノアは私の問いに頷いた。
もう一人の自分……それをXugeと呼称したはずだ。別の世界線のアルスということだ。
「α世界の彼は、創世主に殺されて死にかけました。しかし、私が咄嗟に彼を救おうとして……別の世界線、あなたが過ごしていたβ世界へと飛ばしたのです」
創世主に殺された、か。
私とてそうだ。先ほど魂を砕かれ……いや、なぜ魂を砕かれたのに私の精神が存在している?
「おそらく、あなたはα世界のアルスと接触したはずです。それがどこかは分かりませんが……α世界のアルスはあなたの魂の奥底で眠り続けていました」
「そして、私が死んで……災厄アルス、即ちαアルスが出てきたと」
難解な話だ。
自分でも何が起こっているのか……
「そうです。彼を別の世界へと飛ばしてしまったことが私の罪。災厄アルスを生み出したのは、他ならぬ私でした」
「……ならば、今からその罪を私が拭おう。αアルスに奪われた存在を取り戻す」
晴天の試練では、災厄アルスの内側に眠る《Xuge》を覚醒させることで災厄を撃退した。
ならば、同様に私が目醒れば……いや。そうなれば私も消えるのか?
「あなたは本来、魂を砕かれ死した存在。このまま目醒めるだけでは、災厄アルスと対消滅してしまいます。晴天の試練の時のように」
「では、どうすれば……」
ノアは告げる。
「β世界のイージアさんと、α世界の災厄アルスさん。混沌と秩序……相反する因果を持つ二人を一つにするのです。魂を繋ぎとめる方法は一つしかありません」
私が、災厄と一つになる。
正直、不安は大きい。覚悟はできている。しかし、失敗は許されない。
「混沌と秩序が相克すれば消えてしまうのではないか?」
「いいえ。消えませんよ……私がそうなのですから。第三因果、【救済の因果】。混沌にも秩序にも縛られぬ、独立した因果。それが私であり、これからあなたがなる存在でもあります」
──【救済の因果】。
私に、救済の名を背負う資格はあるのか。
「……愚問か。私には救わねばならない友がいる」
「おそらく、統一後のあなたにはα世界の記憶も流れ込んで来ることでしょう。しかし、α世界のアルスが抱える憎悪を、あなたが抑えねばなりません」
「分かっている。私が蹴りをつけねばならない問題だ」
私の返答を聞くと、彼女は笑う。
私もまた笑い返し、息を整えた。
「この盤上世界のルールでは第三因果を持った者に対して、創世主も、壊世主も手は出せません。つまり、あなたが災厄アルスとの融合に成功すれば、創世主を退けられます。どうか、その力で……愛する友を守ってあげて下さい」
「ああ……我が救済で、明日を切り開く……!」
そして、私は新たなる一歩を踏み出し──
~・~・~
ロール……始祖レイアカーツは、アルスへと飛びつく。
彼女は自らの未来を定めたのだ。共に創世主に貫かれ、世界を守る明日を。
「一緒に、逝こう」
天使のような微笑みで、彼女はアルスを抱きしめた。
とても幸せそうに、嬉しそうに。
──同時、アテルの凄まじい白灰が迫る。
悲劇の災厄と、災厄の御子。
愛し合う筈だった二人はその命の灯を掻き消し……
「……必ず生きて、再び君と未来を生きる」
その時。
レアは抱きしめたアルスがふっと消えたことに気付く。
そして、彼女の眼前。眩い白灰をものともせず、其処に浮かび上がる者が一人。
「え……」
「……私の名は、イージア。誰一人として……孤独にはさせない。共に明日を築いていく」
「イー、ジア……?」
彼は振り向き、レアに見せたことのないような笑みを向けた。
「待たせて悪かったな。約束を果たしに来た。我が最愛の友よ」
幻を見ているのか。
死後の夢なのか。
レア呆然と、彼を見つめた。
『汝は……如何なる駒か』
忽然と消えた災厄アルス。
突如として現れた救世主イージア。
彼を前にして、アテルは問う。
「私は、第三因果。創世主である君にも、手出しはできない。そして……」
彼はレアの頬にそっと触れる。
温もりに満ちた光が彼女の全身を、魂を包み込んだ。
「贈与……レイアカーツ。君に私の加護を」
『……! それは』
レアは信じられないものを目にした。
アテルが感情のようなモノを発露させたのだ。
「そうだ。レアは第三因果の加護に守られた。故に、災厄の御子である彼女を殺すことは私が許さない。殺させない。君が攻撃することができるのは、秩序の因果を持つ者か……不要だと判断した混沌の因果を持つ者のみなのだから」
『…………』
創世主は押し黙り、イージアを睥睨していた。
しかし、彼は一切動じることなく創世主を見据えた。
沈黙が続く。
『──いやあ、見事見事! 素晴らしい舞台を見せてもらったよ、共鳴者! いや、今は救世者と言うべきかな?』
その時、沈黙を破って乾いた音が響いた。
音の主は、凄まじい秩序の力を纏う異形。
彼を見たレアは声を上げる。
「ルミナ……!?」
『ああ、レイアカーツ。お前の働きも見事だった。お前がいなければ、救世者も覚醒することはなかっただろうからな。いやはや、感動してしまったよ……! なあ、アテルトキア?』
彼は歪に笑い、アテルに語り掛ける。
イージアは一瞬で其が壊世主だと察知した。
『ゼーレルミナスクスフィス。汝の謀りか、否……是、必然。故に、我は見定めよう。触れられぬ盤上、我が忌諱。されど、あるべきはあるべきにて……干渉は許されぬ』
『その通り。これで災厄の御子はテイクされなくなったわけだ。我が身からすれば陽報この上ない。アテルトキアからすれば……どうだろうな? まあ、二人のストーリーに感激さ』
壊世主には心……少なくとも、それに準じる何かがある。
イージアはレアを抱えながら、二つの主を見て考察する。壊世主には感情らしきものがあるのにも拘わらず、創世主にないわけとは──
『とにかく……第十二災厄戦は、これで幕を下ろすとしよう。素晴らしい見世物だったよ。それでは』
壊世主は黒い塵となって、一瞬で霧散する。
アテルはしばしその場に漂っていたが、何も言わずに消滅した。
イージアとレア。
艱難辛苦を乗り越え、因果を乗り越え……生き延びた二人。
「ふふ……ああ、夢みたい。こうして生きているなんて……」
「もう、私は君をロールとは呼ばない。そして、君も私をアルスとは呼ばないで欲しい」
レアは頷き、彼に尋ねた。
「でも、災厄のアルスは……彼はどうしてしまったのかな」
「彼はたしかに、私の記憶の中にある。そして、イージアとして過ごした時間もまた。私がどちらに近いのかは分からないが……私は、私だ。君の友に変わりない」
本当の友達。
どれほど探しても見つからなかった答えを、レアは今抱きしめている。
「うん……私に、未来をくれて……ありがとう。イージア」
再び、天使のような笑顔を見せるレア。
ただ、それだけで。イージアの幸福は叶ったのだった。
第2部完結です




