α-1
……ここは、何処だ。
何もかもがおぼろげで。自分が何をしていたのかも思い出せない。
「もう、いや……! 誰か、誰かアルスを助けて……! 私じゃ、私じゃ何も……」
『今、混沌の勝利を告げる。愚かなる災厄の御子、共鳴者を排除。世界は我が下に巡る……』
──誰の声だろう。
懐かしくて、とても胸が痛い。
僕は何者だ。僕は何だった。
ざらついた感触が、僕のどこかに触れた。
これも懐かしくて、嫌になる。何も見えないのに、思い出せてしまった。
「灰、の……」
精神世界。灰の砂漠。幼少期、ずっとアテルと過ごしていた筈の場所。
……ああ、アテルか。創世主、忌まわしき存在。
僕は、ロールを庇って……それで、創世主に殺されて……殺されたはずなのに。どうしてこんな場所にいるのか。手足は動かない。視界も動かせない。ただ灰のホログラムが明滅している。
──何かが、近付いてくる。
「誰か……いるのか……?」
僕の問いは、もはや声にすらなっていない嗚咽だった。
命の灯は今にも消えてしまいそうで。
『あの、大丈夫?』
躊躇いながら僕に語り掛ける声があった。
……それは無垢なる声色で、どこか怯えていた。懐かしい……昔の僕の声だった。
そうか、ここは──過去なのかな。夢なのかな。
今話しかけてきたのは、僕自身だ。ずっと昔、アテルに閉じ込められていた世界の僕だ。きっと彼は迷わずに僕へ手を伸ばそうとしてくれるだろう。
思い出すと、憎悪で魂が焦がされそうになる。そう、創世主が僕の全てを奪っていった。
「ああ……やっぱり、来てくれた。懐かしい、声だなぁ……」
ロールはどうなったのか。なぜ僕が過去の精神世界に居るのか。
もう、考えている時間はないみたいだ。魂は消えてゆく。
「手を……出してくれ」
せめて、僕の想いを託そう。
届くかは分からないけれど。
暖かい。
昔の僕は、とても暖かかった。
僕が失った温もりを持っていた。
僕の魂が、彼の中に流れ込んだ。ごめんね。
『僕がついているから……安心してね。すぐにアテルに見てもらって怪我を……』
──どうして君はそんなに暖かいのかな。
僕は、こんな末路を迎えたかった訳じゃない。
ただ、幸せになりたかったのに。
「いいや……もう、いいんだ。それよりも……君は、為すべきことを……為せ。どうか、君は……」
……ああ、憎い。
**********
分かっている。
僕は憎悪の塊だ。もはや人でも、神でもない。
ただの怨霊なのだろう。
それでも、僕はイージアとなった彼の中で生き続けた。
騎士の道を歩んだ僕とは違う。このアルスは、幸せだった。家族と触れて、友と楽しく過ごして、使命を背負いながらも愛に満ちていた。
リンヴァルス帝国、始祖。彼女がロールだと気が付いても、魂の奥底に眠る僕は知らせる術を持たなかった。それでもいい。彼にはレーシャという恋人がいたから。
彼は幸せだったから。それでよかったのに。
「ラウンアクロード……お前を殺す」
彼もまた、世界を滅ぼされて憎悪に呑まれてしまった。
そして、彼は『イージア』となった。果てに再び創世主に屠られ、死を迎える。
──何が悪い? 何がいけない?
どうして僕たち『アルス』は、こんな運命を辿らなければならない?
そうだ。全ては、僕らに運命を科した存在が悪い。
どんなアルスのXugeでも、最期に待つのは滅びだけ。不幸だけ。
なぜ僕らは幸せになれない。許されない。
生まれたことが間違いだとでも言うのだろうか。
僕は、一人の少年として……人間として生きたかった。
共鳴も、神の魂も必要なかった。ただ幸せが欲しかった。
だから、僕は──戦う。
イージア。君はよく頑張った。
後は、僕に任せてくれ。おやすみなさい。
憎悪。僕は因果を憎んだ。
絶望。僕は救われぬ世に絶望した。
悲哀。僕は彼女との離別を悲しんだ。
激情。僕の奴への怒りがココロを呑んだ。
失望。僕がどれだけ歩けども、希望は見つからなかった。
哀惜。僕のせいで無数の人が死んでいった。
敗北。僕は敗北を重ね続けてなお、敗北する。
幻滅。僕は蒙昧なる人に幻滅した。
失意。僕は灰の中で、失意に打ちひしがれた。
哀情。僕は彼女を忘れてしまっていた事に哀情を催した。
喪失。僕は全てを喪って、自分をも失った。
憂鬱。僕は心を押し殺すことに憂鬱を感じた。
悲痛。僕の魂が悲痛なる叫び声を上げていた。
嫌厭。僕は自分を蛇蝎の如く嫌厭した。
暗愁。私の心に暗愁が翳った。
忌諱。私は心の内で、白灰を忌諱していた。
憤怒。されど、私は其に激しい殺意を覚えた。
執念。故に、私は全ての其を殺す事にした。
──憎悪。彼女の愛を奪った其を、私は殺す。この憎悪に誓って。
**********
アテルに裁かれ、灰となって消えるイージア。
彼の下に、レアは駆け寄る。
「待って! 私を置いて行かないで! どうして、あなたはそうやって……私を!」
『──汝、秩序の因果を宿す者。特定、災厄の御子』
創世主はレアの姿を観測し、彼女が災厄の御子であると断定する。
レアに未練はなかった。守り抜こうと決めたイージアは死した。
もはや彼女にとってラウンアクロードも、災厄の御子としての使命も、どうでもいい。
「……殺せ」
彼女はただそれだけを呟いた。
私を殺せと、そう願うまでもないだろう。
アテルは茨を彼女へと飛ばし──
刹那。
世界は再び激震する。
「……え?」
レアの上げた驚愕の声。
それは他の神々の驚愕に消し去られる。
「なんだ、何が起こっている……!?」
「アテル、説明するんだ!」
世界に再び秩序の因果が満ちる。
先のラズアースの比ではない。まさしく世界を崩壊させんばかりの、創世主にすら匹敵する力が──
「……約束したんだ。ロール、君は……僕が守る」
アテルの一撃を、死した筈のイージアが防いでいた。
いや、イージアではない。彼の風貌はまるで──
「アル、ス……?」
レアの言葉に彼は頷き、周囲一帯の神々を吹き飛ばす。
創世主の茨もまた弾き返され、彼はただ其処に立つ。
異様な彼の力に、創造神は問う。
「君は……イージア、なのか?」
「彼は死んだ。僕の名は、アルス。創世主を殺す者……災厄アルス」
アテルは黙して彼を眺める。
創世主の力が跳ね除けられている。絶対的な力を持つ創世の力を以てしても、消し炭にできない存在。
盤上の駒が、まさしく人へ変貌したかのようだ。
「『反共鳴』……『魔術改編』」
共鳴の力は秩序に染まり。
周囲に乱されていたラズアースの力は彼の身に吸収され。
「アテルトキア……お前を殺す」
憎悪の化身、アルス。
今、此処に新たな災厄が誕生した。




