247. 未来の萌芽
一人の少女が、城の尖塔の上に立った。その場所は、いつも彼女が国を見渡していた場所だった。
エメラルドの瞳には、強き意志が宿されている。
『全てを滅ぼす……俺こそ、破滅を齎す者』
天より声が響く。
黒き雨は止まずに振り続け、なおも激しさを増す。
「受贈──萌神イオロメンテ。錫杖槍『春霞』」
アリスが握るは、一本の槍。
先程まで風化していた『春霞』だが、今は眩い輝きを放っている。
『忌まわしきサーラライトの血……今こそ滅する時』
殺意が大気に満ちている。
常では到底体感できない空気だ。アリスの下へ黒き雨が集結し、暴風が吹き荒れた。
「私の名は、アリス・ル・ラフィリース! サーラライトの王女にして、創造神に仕えし者。今、大いなる暗黒を打ち払い……『黎触の団』との因縁に終止符を打ちます!」
『春霞』を翳す。
迫る雨が浄化され、次々に清浄なる空気が満ちてゆく。
『我らの悲願……必ず果たす。邪魔をするな……!』
アリスは天へ向けて『春霞』を振る。
新緑の風が彼方まで吹き荒れ、暗黒の一部を掻き消した。しかし、まだ足りない。森中を覆い尽くす暗黒を払うには、まだ──
「──『調律共振』」
ふと、アリスの身を温かい何かが包み込んだ。
魔力が大量に流れ込んでいるのだ。
『接続』の神能。イージアのものだ。
「アリス、心配はいらない。全力で力を振り絞るんだ」
イージアが魔力を供給してくれている。
神器といえども、使い手の力によって性能は大きく左右されることを、他ならぬ神器の使い手であるイージアは知っていた。
故に、アリスに希望を託す。
「……ありがとうございます」
アリスは暗黒から目を逸らさず、更に一歩踏み込んだ。
内側から次々と力を引き出す。あらゆる気の奔流が、彼女の深奥から放出される。
過剰な魔力の行使に全身が悲鳴を上げ、激痛が走るが……決して止まることはない。
「大いなる萌芽、我が名はサーラライト。邪を払いなさい」
オーラに身を包み、邁進する。
己を蝕まんとする黎の力を払い、ひたすらに。
自らの中で何かが弾けてゆく感覚にアリスは沈む。苦痛に耽溺する己を叱咤し、意識を保つ。
「『復元瞳孔』!」
彼女の後ろから、リグスは視線を彼女に送った。
ただの激励の眼差しではない。実際に治癒効果を伴う、『領域』の神能である。
身体が軽くなったアリスは仲間の援護に感謝した。きっと、一人ではここまで抗えなかったのだから。
『何故……倒れぬ……何故……』
「はぁああっ!」
『春霞』の大いなる一撃が天に放たれる。
新緑の風が、暗黒の風雨を薙ぎ払う。神気の波動が国中を包み込まんと、彼方へ彼方へ波の如く。
『馬鹿な……俺こそ、俺こそが……!』
地上から迫る萌芽の風。
『黎触の試練』と化したムロクは、自らの暗黒が易々と吹き飛ばされる光景に──
『俺、は……』
暗黒の天を穿った『春霞』。
穴から顔を覗かせたのは遥かなる青空。暗黒に生命力を奪われていた木々が再び色を取り戻す。
そして次々に萌芽の風が吹き荒れ、闇を払い──
「これで……やっと……」
暖かな陽の光を眺めながら、アリスは意識を手放した。
ーーーーーーーーーー
さわやかな風を頬に浴びて、アリスは目を覚ました。
窓から吹き込んだそよ風が心地良い。
「ここ、は……」
「アリス様……! よかった、どこも痛みませんか?」
傍にはリグスが座っていた。
彼女は主人の目覚めに飛びつき、心配そうに体の調子をたしかめた。
「ふふ……神能を使うなんて大袈裟ですよ。大丈夫、どこも痛みません」
彼女の治癒の瞳を遮り、アリスは微笑む。
ここはアリスが城を出る前に使っていた自室のようだった。一体どれくらい眠っていたのか。
「『黎触の団』はどうなりましたか?」
「無事に片付きましたよ。『黎触の王』もアリス様のおかげで払われました。まあ、数名逃がした団員が居るのは面倒ですが……もう大丈夫です」
「そうですか。よかった……」
もしかしたらまだ『黎触の団』との戦いが続いているのではないか。そう思ったアリスだったが杞憂だったようだ。
アリスはすぐにベッドから出て、扉に手をかけた。
「アリス様……もう歩いても大丈夫なのですか?」
「相変わらずリグスは心配症ですね? 早く皆さんに元気な姿を見せてあげたいのです。さあ、行きますよ」
「はっ!」
リグスはいつも通り、気丈な返事を返してアリスに続くのだった。
ーーーーーーーーーー
大霊の森、神域に沿った森の影にて。
木の洞に、暗い黒が蟠っていた。
『…………』
今、其は動かない。動く事ができない。
あまりに力を失い過ぎてしまったのだ。『春霞』に払われ、またしても黎の一族は萌神に屈辱を味わわされた。
今は動けない。しかし、必ず再起の時は来る。ここで力を再度蓄積し、反逆の狼煙を上げる。
其……『黎触の王』ムロクは決意し、木の洞に身を潜め──
「──こんにちは。『黎触の王』、ムロク」
その時、声が響いた。
誰もこの森には居る筈がない。ましてやその黒い靄がムロクだと知る者など……
『……何者、か』
僅かな力を振り絞り、ムロクは答えた。
木々の合間から現れたのは、白い髪の男。
「僕はAT。リフォル教の教皇だ……一応ね」
リフォル教。
長らく『黎触の団』と相克し、妨害し合ってきた勢力。
リフォル教がこの森で魔神を降臨させたことは知っている。それを利用して『黎触の団』は攻撃を仕掛けたのだから。
しかし、何故教皇がここに居る。なぜこの男は自分の正体を知っている。何故、何故……ムロクの精神が問い続ける中、ATは言葉を紡ぐ。
「良かった、彼らが『黎触の団』を潰してくれて。君たちは世界を滅ぼそうとしているらしいけど……正直、目障りだったよ。世界を滅ぼすなど、愚劣極まりない。無知こそ幻想を見せるのだろう。世界など災厄でもなければ滅ぼせないというのに」
『何を……しに来た……』
滔々と語り続けるATに、ムロクは痺れを切らす。
潰されるか、利用されるか。或いは──
「単純なこと。完全に君を潰しに来たのさ。利用するつもりも、遊ぶつもりも、踊るつもりもない。生まれた時から、君たちの存在は誤っていた。幻想を見続けて、馬鹿らしく踊ってきた。あまりに無様で……僕は笑うことすらできなかった。秩序の駒に翻弄された、哀れなる混沌の駒よ。僕が君の夢を終わらせる」
ATは訳の分からない語りを続けた後に、そっと暗黒に触れた。
ムロクは霧散していく。最期、暖かい何かに包まれながら。
「……ジリーマ」
「はっ、ここに」
ムロクの消滅を確認した後、ATは部下の名を呼ぶ。
木の陰から姿を現したのは、『黎触の矢』、ムスカと名乗っていた男。
「念の為、この森に『黎触の団』の残党が残っていないかを確認してくれ」
「承知しました」
去りゆくジリーマを見送り、ATは空を見上げる。
美しい木漏れ日が彼の眼窩に焼き付いた。




