226. サーラライトの翠国
黎触の試練。今や語られることのない惨劇。
遥か昔のこと。世界の地がまだほんの一割程度しか開拓されておらず、神々が叡智を人々に授けていた時代。神域上空に黒い球体が降臨した。球体は黒き水を世界に垂れ流し、ただ不気味に佇む。
神々は其を世界の敵と断じ、直ちに排除を始めた。しかし時すでに遅し。球体は砕かれたものの、『水』は多くの生命に取り入っていた。
水を取り込んだ生命は大きく二つに分けられる。
秩序の力に身体を蝕まれ、死した者。実に世界人口の四割が死滅した。
或いは、黎の力を手にした者。ほんの一握り……数十名の人間が力を得た。そして力を得た者たちは更に二つに分類される。
一方は、『黎触』と呼ばれる力を操る者。黒き刃を、盾を、衣を、数多の不可思議な力を操る者たち。彼らは自らを強者として選別された者だと自負し、黎触の球体を神として崇めた。今もなお黒き力を宿した血脈を受け継ぎ、世界を滅さんと奔走している。彼らは『黎触の団』と呼ばれた。
もう一方は、特異な力を得はしなかったものの、長き命を得た者。『黎触の団』に背き、和を貴んだ者たち。彼らは『黎触の団』に宿敵として定められ、一度は滅ぼされかけたものの、とある神の助けにより不可侵領域を築き身を守った。彼らは『サーラライト族』と呼ばれた。
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その夜。
楽園の北方にある森。ひっそりと佇む家で、アリスは悩みを抱えていた。
「……失礼します。お茶をお持ちしました」
「リグス。ありがとう」
従者のリグスが彼女の部屋を訪れ、ティーカップを机の上に置く。
次の任務の話を聞いて以来、ずっと口数が少ない主人を彼女は気に掛けていた。
「やはり、故郷に戻るのは気が進みませんか」
「はい。両親に何といえば良いものか……無断で飛び出してきてしまった私を、再び迎え入れてくれるとは思いません」
リグスはサーラライト族の女王であるアリスの母親のことを思い出す。母はアリスが飛び出したことを怒りながらも心配し、リグスに後を追わせたのだ。アリスはその事実を知らない為に、今更帰っても遅いと思い込んでいるのだろう。
「それに、『春霞』だって……」
彼女は部屋の隅に置かれた槍を見た。
風化していて、とても神器と呼べるような代物ではない。とある占術師の予言を聞き、アリスは『春霞』を探しに故郷を飛び出した。かつてサーラライト族を救った萌神の神器。これがあれば予言の危機からも国を救えるだろうと思った。きっと神器を持ちかえれば立派な王族の姫として認められると、希望を抱きながら。
しかし希望は潰えてしまった。『春霞』は何の力にもならない。
「アリス様。貴女が旅で得たものは何ですか?」
「得たもの……?」
「はい。『春霞』は残念ながら斯様な有様ですが……今までの旅は決して無駄ではなかった筈です。サーラライト族の姫として見聞を広め、アリス様は大変立派になられました。ボクだって、人間に対する偏見はなくなりましたし、大きく成長できました。きっと今の貴女ならば陛下もお認めになるのではないでしょうか」
何度も命の危機に陥り、苦しんできた。
その度に苦難を乗り越え、彼女らは成長を遂げた。
「分かりません。旅へ出て良かったとは思います。しかし、私が許されるかどうかは話が別。故郷を蔑ろにして旅に出るなど、王族としてあるまじき行為です」
「アリス様……」
「でも……ありがとう。今の私には仲間がいます。苦しくても、受け入れられなくても……支えてくれる仲間がいる。帰る場所がある。ですから、覚悟を決めます」
彼女は笑う。
未熟な姫の面影はそこになかった。
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ジャオ王国の南の国境付近にレヴィ―を下ろし、一行は大霊の森の結界に近づく。
半透明の壁がある。イージアは結界に触れ、それが神気によって創られたものであると悟る。
「これが大霊の森を覆う結界です。結界の壁を作り、サーラライト族は森の外からの侵入を頑なに拒み続けてきました」
アリスが触れると、結界が反応する。
サーラライト族のみに反応する結界である。人が一人通れるほどの大きさの穴が開いた。
「しかし……この結界、脆いな。私でも破れそうなものだが」
ナリアは結界をまじまじと見つめ、分析していた。たしかに結界はイージアでも本気を出せば破れそうなレベルだった。
ナリアの言葉にアリスは俯き、説明する。
「はい。もともと結界は『春霞』によって作られたものなのですが……近年、強度が弱まっているのです。数十年後に大いなる暗黒が襲来する……占術師のそんな予言を受け、私は結界を直す為に『春霞』を探しに出たのです」
彼女は風化した『春霞』を背負っている。相変わらずその槍からは神気が放たれていない。
残念ながら、結界を直すことは難しそうだ。
「大いなる暗黒、か……創造神が言っていたものと同じだな」
「一体何なのでしょうか……大いなる暗黒とは」
この場に居る誰もが、その答えを知らない。
知らなくとも、これから相対することになるのは間違いないのだが。
「そんなことより、早く行こうよ! 一足でも早く行って、サーラライト族の人たちに知らせてあげないと」
サーラの言葉により、皆は再び歩を進める。
結界の内側の森には独自の植生がみられた。長い間、外界との交流がなかった証拠といえるだろう。好奇心故か、ナリアは手に着く限りの植物を採取しながら進んでいる。
アリスは迷わずに一行を先導していく。植物と心を通わせることができる彼女は、久しぶりに故郷の木々の囀りを聞きながら歩いていた。
しばらく歩くと、道が見えてきた。
先には開けた土地が広がっている。並び立つのは無数の建造物。
多くの家が木造であり、湿気が籠らないように独自の風循環魔法の装置が至る所に配置されていた。外界との交流がないため、先進的な魔導科学技術は見られないが、肥沃で平穏な土地だ。
「……帰ってきたのですね」
「はい。懐かしい風です」
サーラライト族の国は、イージアの想像よりもずっと広かった。
大霊の森は縦に長い土地を持つので、開墾できる土地も多い。
「なんだ貴様ら! 人間か!?」
その時、一行に声がかかった。
見張りの兵と思わしき者が外界からの侵入者を見て驚いている。ここ数十年にわたり、外からの侵入者などなかった。
アリスは彼の姿を見て前へ踏み出す。
「あなたは……ラス!」
「ひ、姫様……!? 本当に、姫様なのですか……!? それに、リグスも……」
「久しぶりだな。早速で悪いが、陛下に話がある。コイツらも通してやってくれ」
「分かった……詳しい話は後で聞こう。とにかく……ご無事で何よりです、姫様。お帰りなさいませ」
アリスは戸惑ったように頷いた。
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サーラライト城にて、創造神の使い達は王との面会をはたした。
この森に『大いなる暗黒』が迫っている旨を伝え、王は唸る。
「ううむ……大いなる暗黒、か。占術師の予言通りだな」
サーラライト王、ルベリス・ル・ラフィリース。
隣に座るのはサーラライト女王、リアンサ・ル・ラフィリース。夫妻は娘のアリスが帰って来たことを知りながらも、彼女に声を掛ける事はない。まずは創造神から遣わされたという者らの話を聞くとにしたのだった。
「創造神様の温情を無碍にする訳にもいくまい。使いの方々よ、ありがたく卿らの力に頼らせてもらうとしよう」
ルベリスは一行に頭を下げ、民を守る為の助力を願い出た。
ダイリードはそんな彼に一つ質問をする。
「王よ、『大いなる暗黒』とは何か分かるか?」
「……すまぬ。私には分からぬが……この国の危機を予言した占境術師ならば分かるかもしれんな」
数十年後に大いなる暗黒が襲来する……そう予言した占い師がこの国には居るという。
彼の者の名はジリーマ。古来より的確に予言を言い当て、国の者からの信頼も得ている男だ。
一行はジリーマに話を聞きに行くことになった。
しかし、女王は最後にアリスを引き留める。
「……アリス。話があります。あなたは残りなさい」
「……分かっています。私からもお父様とお母様に、お話したいことがあるのです。皆さんは先に行っててください」
「ああ。一足先に行ってるぞ」
こうなることは他の誰もが分かっていた。
アリスとリグスを城に残し、創造神の使い達は城を出た。




