224. 灰色の邂逅・再
「ダメだ……何も手応えがねえ!」
ゼロが膝を付いて嘆く。
ジークニンドから神能を受け継いだ面々は、その力を引き出そうと訓練に明け暮れていた。神能はいきなり使いこなせるものではない。イージアも四葉を使い始めた当初は、魔力が僅かに渦巻いただけだった。
創造神という他者の因子を知覚することの精度は才能による。ゼロとサーラは『干渉』の神能を使おうとするも、どうしたら良いのか分からずに頓挫していた。
「おっちゃんは何となく分かってきたぜ……こりゃ何かしらの属性だな。俺の内側に変質した独自の属性が蟠ってる……」
対するウジンは大まかに神気の流れを自覚し、扱い方を掴み始めていた。もうすぐ現象として『変質』の神能を発現させることができるかもしれない。やはり彼が神能を知覚しているのは、神族という点が大きいのだろう。
「リグスはどうですか……?」
「ボクは、視界に奇妙な変化が生じた気がします。かえって今までの感覚が狂ってしまって……失礼な話なんですが、戦闘に支障が出ているような……」
「そ、それは目の病気ではないのでしょうか。一度病院で見てもらいましょう」
「アリス様はどうなのですか?」
「私は何も感じられていません。力が増したとは思うのですが、皆様が言うような感覚は何も」
リグスは『領域』の神能を継承し、僅かに違和感を覚えているらしい。アリスは『放出』の神能を授かったのか自分でも疑わしいくらい、変化を感じられていなかった。代わりに全体的な魔力の流れが清らかになったような感覚を覚えていた。
「……で、イージア。お前はどうなんだよ?」
リグスが皆を見つめていたイージアに尋ねる。
「分からない。しかし、誰かの傍に居ると平衡感覚が僅かに乱れる。私が受贈した神能は『接続』……傍の者と何かの感覚を接続しているのかもしれない」
「ふうん……じゃあ、ボクみたいに戦闘に支障が出そうじゃないか?」
「そうでもないさ。しばらくすれば慣れるし、最悪平衡感覚に頼らない戦いをすればいい。この調子だと権能として引き出せるのは早くて数か月後、遅くて数年後だろう」
切れる札が増えるのは喜ぶべきことだ。より戦いを有利に進められる。
しかし、イージアには疑問があった。なぜ創造神は自分達に神能を贈与したのか。いくら信頼しているといえども、自らの力を切り離すような真似をするだろうか。
龍神の場合は【魔神リグト・リフォル】という天敵の出現を理由に、人間に力を授けるはずだ。今回はそのように明確な敵も存在しない。
「……イージア。お前は何もしないのか?」
悩む彼にダイリードが話しかけてくる。
他の面々はどうにか神能を発現しようと魔力を放ったり、念じたりしているが、彼はただ佇んでいた。
「おそらく、この神能は時の流れに身を任せることでしか発現しない。ダイリード、君の神能はどのようなものなんだ?」
ダイリードは他の面子よりもずっと昔から神能を授かっていた。おそらく自在に操れる域にまで達してることだろう。
「我の『衝動』から成る神能、【光の獣】は神転の強化。我が神族としての力を完全解放した際の姿は、巨大な獣。その姿となった際に能力を大幅に強化するものだ」
「なるほど……新たな能力を付加するのではなく、既にある能力を強化することもあるのか」
「然り。アリスもその類だろうと思われる……何も新しい感覚を得ていないようだからな」
イージアは慣れてきた不安定な感覚に酔いながら、自分の内にある創造神の力を認識した。
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ある日のこと。
イージアはいつも通り家の庭へ出た。晩秋の朝、曇天。
彼は空を見上げていた視線を戻し、前を向いた。視界の端で何かが動いた気がする。仮面を被っているのでよく見えなかった。
そちらの方向を見てみると、ただ一本の林檎の木が静かに佇んでいるのみ。
しかし、どうしても違和感が拭えない。人の気配はない。
(……気のせいか)
彼は雑念を払い、剣を振り始めた。
様々な型を修練し終え、青き霧が舞う。
──やはりおかしい。いつもと少し感覚が違う。
周囲に誰かいなければ、この僅かな平衡感覚の狂いは発生しない。とっくにこの感覚には慣れ切った彼だが、普段との違いくらいは知覚できる。
林檎の木に背を向ける。剣を振るふりをして、咄嗟に振り向く。
「……あ」
一人の少女がぴょんぴょんと跳ね、木に実る林檎に手を伸ばしていた。流れるような白い髪、交差したエメラルドグリーンの瞳。
曇天の下でも、その少女は異彩を放っていた。まるで彼女が光を引き寄せているかのように美しい。
「……失礼しました」
彼女はイージアに姿を見られるや否や、姿を消した。その手にしっかりと林檎を持って。
「私には……関係ない」
彼女はかつてイージアが恋焦がれた少女と酷似していた。
しかし、彼女はイージアの知る少女ではない。故に、追うことはなかった。
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創造神の神殿に出勤した彼は周囲を見渡す。
誰も来ていない。
「おはよう、イージア。今日の仕事はない。今はダイリードがグラン帝国に任務で行っているからね」
「そうか……」
「おや、元気がないね。大丈夫?」
「ああ」
なぜ創造神はイージアの感情の機微に気がつけるのだろうか。イージア自身、感情を表にはあまり出していないつもりだった。
「あ、そうそう。お客さんが来てるんだ。レーシャ? なんで隠れたのかな?」
玉座の裏から顔を出したのは、先程の少女だった。
彼女はイージアの姿を見た途端に隠れてしまったのだ。
「あー……さっきはごめんなさい。私はレーシャ。たまにこの楽園に遊びに来るんだ」
「…………」
イージアはただ彼女の姿を見て立ち尽くした。
言葉が出ない。喉元まで出かかって、押し戻される。身体が震えていた。
偽りの名を彼女に伝えることに恐怖を感じていた。とっくに彼女は創造神とイージアの会話を聞き、彼の名を知っている筈だ。
だが、どうしようもなく恐れている。自分が仮初の名を名乗った時、過去の総てが失われる気がした。
「……イージア?」
「あ、私、は……イージア」
そう告げた瞬間、彼の身体はふっと軽くなった。
同時に、得体の知れぬ虚脱が彼を襲った。
「そう。イージアさん、別に……悪気があって逃げた訳じゃないんだよ? ほら、りんごがおいしそうだなー……って思ってたら自然に身体が動いたというか……」
彼女の言葉が届かない。右から入って、左へ流れていく。
空白が彼の思考を埋め尽くしていた。
「……すまない。用事がある」
ただ逃げるように彼は神殿から駆け出して行った。
創造神は彼の背を見つめて首を傾げる。
「どうにも……今日の彼はおかしいね。レーシャ、私の子に何か悪い事をしてないだろうね?」
「別に……りんごを取ったくらいだし……そんなに怒る事かな?」
「彼がそれだけで怒るとは思えないけどね。でも、盗むのは駄目だよ」
「謝りに行かなきゃ」
イージアを追おうとしたレーシャを創造神は引き留める。
「彼は怒っているんじゃない。君を恐れていた。……本当に、何もしていないんだね?」
僅かな怒気が創造神から発せられた。
創造神が負の感情を見せるのはきわめて珍しい。この場に他の誰かが居れば、決して見せなかった感情。
「本当に何もしてないよ。あ、もしかしたら私が美人すぎてびっくりしちゃったのかな?」
「はあ……とにかく、彼を追うのはやめてくれ。早々に君が顕現した役割を果たして、早く創世主の袂へ戻ってくれ」
「……分かったよ」
創造神は感情を引っ込め、目を閉じた。
レーシャはどこか不満を抱えた表情で楽園を飛び出して行った。




