222. 胎動
一年振りにリンヴァルス帝国を訪れたイージア。
時が経つにつれ、少しずつ街並みは変わっている。彼はいつも通り忍び足で始祖の宮殿への侵入を試みる。毎年の様に侵入しているので、ルドキアの目を掻い潜ることにも慣れてきた。
定期的にラウンアクロードに関する情報が掴めたかどうかをレアへ確認しに行くのだ。
始祖の宮殿へ入り、レアの気配を探す。秩序の因果を持つ彼女の気配はきわめて分かりやすい。
一室に入ると、彼女は眠たそうに寝台で身を起こしていた。
「……ねむい」
「悪いな。夜じゃないと警備が厳しいんだ。敢えて昼間に忍び込んでみるのも面白いが」
彼女は寝ぐせを直して、布団に身を包んだままイージアと話す。
「ラウンアクロードは依然として身を隠している。斥候を『黎触の団』に忍ばせて色々と探ってはいるが、どうも送られてくる情報がおかしくてね」
「おかしい、とは?」
「『黎触の団』曰く、【ラウンアクロード】とは世界の守護者を示すらしい。世界の破滅を悲願とする『黎触の王』は、世界の守護者たるラウンアクロードを討伐するための【対ラウンアクロード計画】を進めている」
彼女が何を言っているのかイージアには理解できなかった。全ての認識がイージアのそれと矛盾している。
「ラウンアクロードは世界を滅ぼす災厄だ。守護者などではない」
「そうだよね。私もよく分からないんだ。もしかしたら斥候は既に洗脳されているのかもしれない……かわいそうだね」
どうやら彼女は眠くてまともに話す気がないらしい。返答の全てが適当だ。
これ以上話してもあまり意味がない。
「そうか。何か分かったら教えてくれ」
「あ……今日は泊まっていきなよ。一緒に寝るかい?」
「泊まるにしても別の部屋で過ごすよ。碌に頭が回っていないようだし、早く寝るんだ」
彼女はそう言われるとすぐに頭を布団を引っ込めた。
そして安らかな寝息を立てはじめる。
イージアは部屋を出て夜明けを待った。
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翌朝。
「おはようイージア! これを見たまえ!」
突然イージアの部屋に入って来て大声を出すレア。朝からハイテンションなのは珍しい。耳鳴りを抑えて彼は彼女の方を見た。
彼女の手に握られていたのは緑色の小型円盤。
「昨日は眠くて言うのを忘れてたんだけど、君に渡したいものがあったんだ」
イージアはその物体を見たことがあった。歴史の文献に載っていたものだ。
「携帯……」
「ふふふ、そうだ! 携帯の登場だ! ついに遠隔での通信が民間の規模で可能になったんだ……これまでも軍用の通信手段には携帯があったけど、それを流用してグレードダウンさせたもので、コストもサイズも小さくなる!」
最初の携帯が出現し始めたのは、イージアが知る未来よりも二百二十年ほど前。
連絡盤からより小型化が進み、空間起動型に移り、やがて彼の知る魔眼携帯になる。魔導科学の最先端であるリンヴァルスから普及し始めた代物だ。
「なるほど。携帯があればわざわざ宮殿を訪れなくて済むのか」
「はっ……!? い、いや……別に君に渡そうと思っていた訳じゃないし……欲しいなら自分で買えばいい。あと私の番号は教えない」
「……?」
つい先刻はイージアに携帯を渡したいと言っていた覚えがあるのだが。
少し考えたところで彼は合点がいく。
「ああ、私は別に今まで通り宮殿に来るよ。別に携帯があるからと言って来なくなる訳じゃない」
「ふ、ふーん……別に来て欲しいなんて言ってないけどね? 君が寂しいなら会いに来てもいいよ。仕方ないから携帯は渡そう。必要なことがあれば連絡してくれ」
常にこの宮殿で独りの彼女は寂しいのだろう。イージアと出会うまで、レアは殆どの時間を眠って過ごしてきたが、ラウンアクロードの情報を探る今では眠る訳にもいかない。
外部から何かを持ち込んで来る者も居ないし、自分から外に出ることもそうそうない。彼女の性格からして孤独を感じてしまうのも無理はない。
「創造神から休暇を貰ったからな。しばらくここに滞在しようと思う」
「おお……それは暇を潰せるというものだね。あと、私の部屋の掃除もよろしく頼むよ」
「……分かったよ」
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パン屋の朝は早い。
生地の焼き上げ、加工のために早朝に起きなければならない。
「おはようございます」
店では店主が一足早く焼成にかかっていた。
厳しいながらも、熟達した腕前を持つ彼は少年の姿を見て声を張り上げた。
「おう、ラウア! 早く着替えてこっち手伝え!」
「はい、すぐに!」
深緑色の髪の少年は衣装を着替え、店主の手伝いを始める。彼はまだ新人で、覚えなければならないことは多い。しかし店主は彼の根気を認め、表層的な厳しさとは裏腹に彼を認めていた。
パンが焼き上がり、店内は甘い香りに包まれる。少年はパンを次から次へ陳列し、見栄えよく整えていく。もうすぐ開店の時間になる。
「あ、店長。たしかこの抹茶クリームパンは新商品でしたよね」
「そうだ。売れると良いんだがな……」
「ははっ、今の若い子にはウケそうですけどね。僕が全面に押し出してお客さんに買ってもらいますよ!」
「お、そうか? 頼むぜ、俺にゃ今の流行なんて分からんからな」
少年はつい最近越してきたが、あっという間に人気になってしまった。見た目もよく、彼を目当てにパン屋を訪れる人も少なくない。売り上げに大きく貢献しているのは間違いなかった。
開店の時間が来て、一人目の客が訪れる。
「おはよう、ラウアさん。いつもの頼むよ」
「はい、いつものですね。それと……こちら新商品になるんですが、いかがでしょう?」
「お、なになに……抹茶クリームパン? 抹茶ねえ……今の若い子には人気みたいだけど、俺みたいなオッサンの口に合うもんかな」
「甘味と苦味のマッチが絶妙ですよ! ルウリさんの口にも合うと思います!」
「そうか……じゃ、一つ買ってくよ。ありがとさん」
少年は客ひとりひとりの名前を記憶していた。そして、好きな商品の傾向も把握している。
そんな彼だからこそ上々の成果を挙げられるのだ。
「ラウアさん、おはようございます!」
「リーリーさん、おはようございます。今日もお元気そうですね」
「はい……えっと、今日は何かおすすめがありますか?」
「はい、こちらの新商品はいかがでしょう?」
「ええ、もちろん……ラウアさんのおすすめを下さい!」
続いて訪れた女性客にも手際よくパンを売っていく。彼を店頭に置いてから、明らかに女性客の客足が伸びた。店長は彼を雇ってつくづく正解だったと感じていた。
そして、閉店の時間帯には売り上げが心配されていた新商品は完売したのだった。
「おし、全部捌けて何よりだ……明日は少し在庫を減らして様子見だな。掃除始めてくれ」
「はい。今日はいつも来る人が来ませんでしたね……少し心配です」
「誰にでも用事くらいあるだろうさ。ほれ、早く掃除しろ。残業代は出ねえぞ」
少年は元気よく返事をして床掃除を始めた。彼は朝からずっと働いているというのに、調子が崩れない。頑張り過ぎるのも良くないが、彼は一向に休む気がないようだった。
掃除後、店長は少年に伝える。
「ラウア。少し休んだらどうだ? いつかお前がぶっ倒れるんじゃねえかと心配だ」
「はは……そんな心配は要りませんよ。でも、そうですね……少しお休みをもらいます。久々に家の整理とかもしたいので」
「おう。ゆっくり羽を休めろよ」
害悪は蠢き続ける。
自らも感知できぬ何かを抱えながら。




