220. 錆び付いた春
朝日が切り窓から入り込み、夜明けを告げる。
イージアは顔を上げる。仮面越しに眩い光が透けて見えた。眠っていた訳ではない。ただ俯いていただけだ。
彼は徐に立ち上がり、家の外へ出た。新緑の香りが漂っている。季節は夏。傍から見ればどう見ても暑いローブを着ているイージアだが、当の本人はまったく暑さを感じていない。
家に立てかけられた鉄剣を握り、林檎の木の下でいつも通りの軌跡を描く。青き霧が舞う。
一通りの所作を終えた彼は剣を戻し、創造神の神殿へと歩み出した。
月日は過ぎ去って行く。復讐と過去をより遠ざけて。
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「おはよう、イージア。君はいつも出勤が早いね。ダイリード以外はみんなまだ寝ているよ?」
「おはよう。今日の仕事はなにかあるのか?」
「今日はお休み。ゆっくりするといい」
イージアは創造神からそれだけを聞くと神殿の外へと出て行った。今日は何をしようか……そう考えながらフラフラと周囲を散策する。
神殿の周囲には舗装された道が東西南北に伸びている。東西には海岸線、南部には港、北部には森。施設が密集している場所は南部なので、イージアは南部に居ることが多い。
今日もまた南の方角を散策しに彼は歩み出した。
昼下がり、南部の大図書館。創造神が手ずから集めた書物が管理されている。
常に世界の情報が集められる図書館はイージアが頻繁に訪れる場所であった。『睡眠病』と思わしき症状が現れないかどうか、ラウンアクロードの情報に関する情報が見つからないかどうか。常に情報網を張り巡らせていた。
普段はほとんど人が居ない図書館に人影が二つ見えた。サーラライトの主従が文献を漁っている。彼らは地図を広げながら何かを話し合っているようだ。
「何をしてるんだ? また『春霞』を探しているのか?」
「あ、イージアさん。はい、今日も『春霞』がどこにあるのかなー……と文献を見ていたのですが……」
状況は芳しくないようだ。世界のどこかに存在する秘宝を探すなど、雲を掴むような話だ。イージアがラウンアクロードを探す事も大差ないのだが。
リグスは呆れたように呟いた。
「あまりに萌神様に関する文献が少なすぎる。龍神と天、地、海神に関する文献は腐るほどあるんだがな……」
「萌神か……」
イージアは記憶を漁り、萌神に関する情報を思い出す。
幼少期、アテルには一通りの神族に関する伝承を教えられている。
「『花揺らぐは泡沫、安寧守りし萌芽は青き船にあり。もっとも果てなるふたりの子、東向きし揺り籠に萌芽の神骨は眠る』……萌神に関する伝承だ。知っているか?」
言葉の意味はよく分からない。ただアテルから受けた言葉を諳んじただけだ。萌神に詳しいサーラライト族の二人ならば知っているかもしれない。
「なんだそれ。何を表してるんだ?」
「私にも分からない。萌神の墓場は不浄の大地。この伝承にある地が不浄の……もとい豊穣の大地とも思えないし、『春霞』に関するものなのかも分からない。あまり参考にしないでくれ」
「なんだよ、使えないな。まあ何も情報がないよりはマシだけど。そもそも何でそこまで淀みなく言えるんだよ……」
「いいじゃないですか、リグス。その伝承を書き留めて色々と調べてみましょう」
イージアの言葉をアリスが書き記し、二人は伝承の場所を考察し始めた。
「泡沫、青き船……海のイメージがありませんか?」
「そうですね。もっとも果てなる……ってことは、一番外側の海なのでしょうか。海といえばアントス大陸で、その一番外れの海……」
地図を覗き込む。
アントス大陸には三つの大海がある。その内一つは神域に接する内海なので伝承のものではなさそうだ。
「ふたりの子? ……分かりました!」
アリスが明朗な声を上げる。
アントス南西の外海を指し示し、彼女はそこに浮かぶ二つの島を指し示す。
「マイト島と、ラブ島。これが『ふたりの子』を示しているとすれば……東側のラブ島がこの伝承の場所なのでは……!?」
「なるほど、流石ですアリス様! たしかにこの島には行ったことがないですね」
しかし、例の二島には多くの人間が住んでいる。神に関する伝承が一切伝えられず、何もない地だ。本当に萌神が関与している島なのだろうか……イージアは思う。
「一応、シン王国の領海外にも二つの島が浮かんでいる。人も住んでいない魔領だが、これらの島も調べていなかったら調べてみてくれ」
地図に点のように書いてある魔領の島を指し示す。
二人は頷き、次の捜索への準備を整え始めた。
もっとも、イージアはこの島々で『春霞』が見つかるとは思っていなかった。
そこまで都合の良い話があるとも思えない。イージアもまた、長きにわたりラウンアクロードの手掛かりを見つけることができないのだから。
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予想は良い方向に覆された。
アリスとリグスが帰還。アリスの手に握られていたのは一本の風化した槍。創造神はその槍を見て珍しく感嘆の声を上げる。
「おお、それは……『春霞』じゃないか。懐かしいなあ……萌神が使ってた神器だ。たしか大霊の森を築いた神器だったね」
「やはり、これは神の奇跡なのですね。しかし……」
アリスは手元にある槍に目を落とす。
『春霞』は神気を放たず、そこらにある鉄製の槍と遜色ない風貌をしている。神器が錆び付くことはないと聞くが、イージアの目にはその錫杖槍は錆びているように見える。
「うーん、どうしてそんな姿になっているんだろうね。ダイリード、心当たりはある?」
「いえ……萌神とはあまり関りがなかったもので」
「僕もあまり彼女から『春霞』に関する話は聞いていないよ。でも、その槍が神器であることに変わりはない。大切に保管しておくといい」
アリスは暗い表情を浮かべて槍に目を落としている。リグスは彼女の様子を見て諦めきれないのか、創造神に尋ねる。
「創造神様、神器の復元などはできないのですか? かつて萌神様が大霊の森の結界を創造した時のような力を復元することは……」
「神器は神器を贈与した神にしか錬磨できない。萌神が生きていれば、どうにかできたかもしれないけれど……僕にはどうしようもない」
「そんな……」
サーラライト族の二人には『春霞』の力を取り戻さなければならない理由があるのだろう。危険が溢れる森の外で旅を決心するほどなのだから。
項垂れる二人に対し、創造神は告げる。
「でも、萌神はたしかにサーラライト族に『春霞』を捜すように言い遺した。彼女が意味のない言葉を遺すとも思えない……何かがある筈だよ。諦めないで彼女の真意を探ることが大切じゃないかな」
「……分かりました。ありがとうございます」
アリスは顔を上げ、『春霞』を大切に抱きかかえた。
淡い光が槍から放たれたが、気が付いたのは創造神だけだった。




