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共鳴アヴェンジホワイト  作者: 朝露ココア
10章 正道擲つ渇望
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212. 虚神デヴィルニエ

 何時の事だったか。とうに私の記憶からは消却された記憶が沸々と蘇る。


 重苦しい音を立てて祠の扉が開く。

 私は祠の中で静かに眠っていた。時折人間が尋ねてきては助けを求めるが、その懇願に応じることができるかは相談の内容次第だ。


「……神様、いらっしゃいますか?」


 鈴の音のような声が響く。すみれ色の髪と瞳を持つ少女が一人、祠に入って来た。

 私は彼女に念を伝えた。


『……ここに居る。私に何か用か、若き少女よ』


 彼女は私の姿を捉えておらず、きょろきょろと周囲を見渡した。私は霧となって祠に祭られている壺へ入っている。


「あの……お願いしたいことがあるんです」


『申してみよ』


 全ての願いを聞き入れられる訳ではない。国同士の争いや、個人による諍いには介入できない。そして、神は介入できる問題であろうとも、必ずしも介入する訳ではない。


「村の近くの森に、魔領から魔物が入り込んだんです。とっても大きい蛇で、国の方に頼もうとしたんですけど、村のお金が足りなくて……」


『なるほど。では、私がその魔物を滅せば良いか』


「はい……! お願いできますか……?」


 彼女の瞳には不安があった。神族に対してまともに会話ができているというだけでも、大した胆力だ。私は彼女の勇気を称え、力を貸すことにした。


『よかろう。私は虚神。君の眼前にある壺を魔物の下まで持って行くが良い。壺の中に私の精神体が入っておる』


 その時、彼女の瞳に希望が宿った。


                                      ・・・・・・・・・・


 彼女の名はエリカといった。

 私が眠る祠の近くの村に住む少女である。近場の村から稀に人が訪れることはあったが、大抵の願いは神々の約定により受け付ける事のできぬものであった。

 しかし、今回は違う。魔物からの脅威であれば守ってやることができる。日頃から見守る人間に頼られるというのは、実に嬉しいものである。

 彼女が抱える壺の中で揺られながら、私は久方振りに会話を楽しんでいた。


「虚神さまは、ずっとあそこに居たんですか?」


『然り。時折人が訪れては起こされることはあったが、数百年は彼の地におる』


 エリカは良く言えば親しみやすく、悪く言えば不遜な人間であった。神である私を恐れず、こうして気さくに話してくれる。それが私にはひどく嬉しかったものだ。


「じゃあ、虚神さまは何を司る神様なんですか?」


『重力だ』


「ジュウリョク……? 何ですか、それは」


『物が下に落ちる力だ。人も、あらゆる物質も、重力なくしては地に足をつけれぬ。ふわりと浮いてしまうことになるな』


 あの時代の人間に重力を理解することは難しかったのだろう。彼女は小首を傾げて質問を連ねた。


「でも、鳥は飛んでますよ。竜とかも」


『運動が重力に勝っているだけだ。人とて地を蹴って跳躍したり、魔力で抵抗を抑えて飛ぶであろう。羽ばたきなくしては鳥も飛べぬ』


「うーん……難しい。葡萄が地面に落ちて潰れてしまうのもジュウリョクのせいですか?」


『そうだ』


「じゃあ、私の村の葡萄にはジュウリョクが効かないようにしてください! 毎年たくさん潰れちゃうんですよ」


 それは難しい相談だ。私が常に葡萄園を監視していれば可能だが……そこまでの手間はかけられない。


『できぬ。君の村は葡萄で有名なのか?』


「はい! とってもおいしくて、毎年葡萄酒を求めにたくさん旅人さんが来るんですよ。もうすぐ収穫の季節ですし……今度お供えに行きますね!」


『うむ。楽しみにしておるぞ』


 私は少女と話しながら、森を進んで行った。


                                      ・・・・・・・・・・


「この辺りの森に……魔物が居るはずなんですけど……」


『もう少し西だな。そこから気配を感じる』


 西進していくと、そこには蛇の魔物が居た。鎧大蛇ウガリジと呼ばれる、当時の人々にとっては大きな脅威となる魔物であった。

 私は壺から身を乗り出し、霧状の人型となって鎧大蛇を薙ぎ払う。圧倒的な重圧を誇る一撃に大蛇の鎧は拉げ、即座に邪気となって霧散する。


「え……もう終わったのですか?」


『然り。これで良いな?』


「はい、ありがとうございます! 村の戦士達が数人掛かりでも倒せなかったのに……やっぱり神様って凄いんですね」


『うむ。では、祠へ壺を戻してくれ』


 私は再び壺の中へと戻り、眠りについた。

 そして再び数年は眠るかと思っていたのだが……


「虚神様、いらっしゃいますか?」


 数日後、エリカが来た。また頼み事だろうか。


『何か用か』


 私の返事を聞くと、彼女は嬉しそうに祭壇へと駆け寄り、籠から一本の瓶を出した。中には紫色の液体が並々と注がれている。


「これ、前にお話していた葡萄酒です。魔物を討伐してもらったお礼ということで、とびっきり良い葡萄を使ったんですよ!」


 そういえば、そんな話をしていた。捧げものなど受け取るのはいつ以来だろうか。

 龍神のように、人前に堂々と姿を現す神は人間に慕われ、貢物も多く貰えることだろう。しかし私は一部の地域にしか存在が伝承されていない隠れた神族である。なかなか祠を訪れる者もいない。人間に付きまとわれるのが煩わしいと、時折龍神は愚痴を溢しているが。


『なるほど。では、そこに置いておいてくれ』


 流石に人間の前で人間の姿になるのは気恥ずかしい。後で一人で飲むとしよう。

 というのも、神族は自身の威厳を保つために人間の前では特異な姿になる傾向がある。龍や鳳、或いは大狼や海蛇。私であれば霧の巨人。萌神や戦神など、人間の姿になることを躊躇わない神族も存在するが……私はその限りではなかった。


「分かりました。感想、聞かせてくださいね!」


 そして彼女は元気に祠を飛び出して行った。最初に祠へ来た時はもう少し遠慮というものがあったが、既に欠片も私の前では緊張しなくなっている。肝の据わった人間だ。まあ、悪い気はしないが。


 私は人間へ身を転じ、置かれた酒の蓋を開けた。甘酸っぱい匂いが漂う。

 試しに一口飲んでみる。芳醇な香りと、奥深い味わい。


「……うまいな」


 自信を持って供してきただけのことはある。私が飲んできた酒の中でも、格別に美味な一本であった。

 今度エリカが来た時には褒めてやらねばなるまい。

 私が酒を好きになったのも、この出来事がきっかけであった。


                                      ・・・・・・・・・・


 それから彼女は足繫く祠へと通うようになった。

 理由を尋ねると、私が寂しそうだからだと言う。人間が神の心配をするなど、おかしなものだ。実際に私は寂しかったのかもしれない。彼女が来ると自然と心が躍っていた。


「それで、私が編んだ羽織を弟が破ってしまって……直すのに三日もかかっちゃいました。この時期は他の仕事も大変で……」


『そろそろ寒くなるからな。冬に備えて支度せねばならないのか』


「はい。おじいちゃんが動けなくなってきたので、私とか弟が頑張らないといけないんです。まあ、村の皆さんが親切に手伝ってくれるので苦労はしてませんよ」


 私と彼女は他愛もない話を続けた。季節が巡り、幾度も陽が落ちては昇って、時間は過ぎ去って行った。

 このまま彼女が老いて死ぬまで、幸せであれば良いと思っていた。しかし神にできるのは思うことだけ、願うことだけ。


                                      ・・・・・・・・・・


 あくる日のこと。

 祠の扉が開いた。顔を覗かせたのはエリカであった。

 私の寂寞がほんの少し和らいだが、今日は彼女の表情が普段と違った。焦燥と、恐怖が彼女の顔に張り付いていた。息を切らし、服は木々の枝で擦れている。


「虚神様……助けて下さい!」


 何事か、そう声を掛けようかと思った矢先。祠の入り口に気配があった。

 数名の人間がこちらへ向かって来る。


「隣の村が、突然襲ってきたんです! 家が焼かれて、みんな殺されて……すぐそこまで私を追ってきてるんです!」


 彼女の悲鳴を聞いた時、私は思った。思ってしまった。




 ──ああ、私に彼女を助けることはできないのだな……と。

 これは人間同士の争いだ。介入は不可能。約定に背けば創世主から裁きが下される。

 創世主に裁かれることを覚悟すれば……命を投げ打てば、エリカ一人を救うことは容易い。しかし私は動かなかった。


 足音が迫る。


「虚神様……!? いらっしゃらないのですか!?」


「おう……なんだ、神様の祠に逃げ込みやがって。おめえらの村はそないな罰当たりしかおらんのやな!」


 数名の人間が彼女を取り囲む。この狭い祠では逃げ場はあるまい。

 私はただじっと、壺の中に佇んでいた。


「どうして……どうして助けてくれないのですか!?」


「ハハッ、神様もおめえの村は滅ぶべきだって言ってるんや!」

「そうそう、アンタらの村の所為でアタシらの観光客はめっきり減っちまって……罰を受けな!」



 やめろ。



 傲慢で、利己的な理由で……彼女の命を奪うな。

 逃げてくれ。私には何もできないのだ。


 彼女は呆然として、私が籠った壺を見つめていた。


 刃が振り下ろされる。白刃が彼女の首を斬り落とし──




 彼女の瞳から、光は消えていた。 

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