189. 晴天の霹靂
イージアの一閃がカラクバラを裂く。
晴れ渡った空の下に、終わりの時は訪れようとしていた。
『カラクバラ……』
魂を斬られ、邪気となって霧散しつつある魔王にルトが歩み寄る。もはや彼に抵抗する気力は無く、虚しく自らの生命の終焉を受け入れていた。
「おのれ……またしても、余は……この憎悪は……」
「……カラクバラ、聞いてくれないか」
イージアは跪き、カラクバラに語り掛ける。殺意と積怨を湛えた瞳を向けられても彼は動じることはなかった。
「何だ、化け物……死に際に侮辱か?」
「未来の話をしよう。私は未来を夢見たことがあるんだ。今から二百年以上後の、未来を」
諭すように、詫びるように。彼はゆったりとした口調で魔王に言葉を投げかける。
ルトもまた、彼の夢の話を黙して聞いていた。
「未来では、魔族と人間が分け隔てなく暮らしている。もちろん、今この時代も差別は殆どなくなってはいるが……更に魔族の価値が認められて、人間に尊敬されるようになる。皆幸せで、人間と愛し合う魔族や、友情を交わす魔族が山ほど居る。同じ心を持つ者同士、そこに隔たりはない」
まるで実際に未来を見てきたかの様に、彼は朗々として語り続ける。
「そのような、未来……訪れぬ。我らは分かり合えぬ……」
「かつて人間がしたことを謝らねばならない。私にも恨む者が居て、君の気持ちは痛いほどわかる。故郷の友を、家族を皆殺しにされたのだ。人間の罪は言葉だけで許されるものではない。──だから、私が背負う」
カラクバラに頭を下げ、彼は謝罪した。
彼の行動がカラクバラには理解できなかった。欺瞞だ。そう思ったが、エプキスと同じだ。彼は心の底から謝罪しているのだと、本能で悟る。
「お前に……お前如きに、背負えるか……」
「魔族の恨みを背負う魔王……君を討った者として、私は忘れない。君という魔族が居たことを。数多の憎悪が在ったことを。その上で、進もう。魔族の未来は私が保証する」
『カラクバラよ。我からも……頼む。赦してやってはくれまいか。もう傷付くことはない、争いは終わったのだ。魔族の王として、私も未来を背負う』
消えゆく魔王は眩しそうに晴天を見上げる。イージアの剣が雨雲を切り拓き、顔を見せた晴天。
彼方で雷が鳴った。
「……晴天の霹靂だ。お前の様な……馬鹿な人間が現れたこと。エプキスでさえ、魔族の未来を背負うなどとは……言わなかった。お前は、奴以上の……化け物で、馬鹿だ」
「私は馬鹿だよ。何も守れなかった。だから、今度こそ守って見せる。魔族の未来も、世界も」
「……余の呪術は『黎触の団』の技術を使った。ラウン何某とかいう名は……似通った名前を聞いた事がある。アレは確か……ぐっ!?」
その時、カラクバラの全身が一斉に崩壊し始める。
魂が崩壊し、邪気となって霧散してゆく。
「カラクバラ! ラウンアクロードは……!?」
「ぬう……『黎触の王』……ムロクを……探れ。イージアに、ルト……魔族の未来、託したぞ……失敗は、許さぬ……」
『……任された。さらばだ、我が同胞よ』
そして欠片も残ることはなく魔王カラクバラは消滅した。
同時、彼が配下の影魔族に掛けていた呪術が溶ける。植え付けられていた恨みつらみ、全てが消失し──彼らは闇から解き放たれることになった。
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「……クオング……契約解除だ」
分かってる。クオングは自分の生命力を全て使い果してでも俺を助けようとするだろう。
馬鹿な精霊だ。俺はそれ以上の馬鹿だが。
(……何言ってやがる、テメエ!? この死にかけの状況で契約解除だあ? 頭まで狂っちまったか!?)
「生まれた時から頭は狂ってるさ。良いだろ、別に。契約条件は果たした……これが俺の生き様だ」
「ほう……精霊術師が精霊を手放すとは。完全に諦めたか。まあ、仕方ないことだ。ニンゲンは魔族に敵わぬ」
ルカミアとか言うクソったれが俺を見下してる。
──仕方ない?
馬鹿が、お前は俺の所為で子供を一人逃してるんだよ。俺はたしかに誰かを守れた。感謝された。人として価値がある行為をした。お前よりもずっと立派だ。
(デルフィ! 馬鹿な事言ってんなよ……まだ諦めるにゃ早えって……)
「うるせえ! お前は邪魔なんだよ! お前の精霊術は俺の力じゃないっ! 俺は一度たりとも、自分の力で戦ったことはない……俺は強くない!」
俺は生かされてきた。
心優しい精霊に、世界に。
「だから、失せろ。もう良い……お前は必要ない。お前が契約を解除しないなら、俺から切るぜ!」
お前が死ぬのは辛い。
今でも俺の傷を治す為に生命力を削りやがって。お前なら、もっと良い契約者に出会える。俺はここで確実に終わる。命を使うな、馬鹿精霊。
(ああ、クソ……俺様はお前と生きるのが楽しくて……)
「……悪いな、切るぜ。今までありがとうよ」
──契約終了。
それきり奴の声も、そして蛇の姿も見えなくなった。きっと今でも俺を見てるんだろう。
「話は終わりか? ようやく諦めたか、愚かなニンゲンよ」
「……諦めた? 仕方ない?」
やはりこの魔族は馬鹿だ。
勝手に俺を決めつけるな。
「俺は諦めちゃいないぜ。お前に負けたとも思ってねえ。力で勝てなくても、お前は人間のガキを俺の所為で逃がした。その時点でこっちの勝ちなんだよ!」
「精霊術師と、単なる子供。どちらを優先して殺すかは自明。その程度も考えられんか」
「ならどっちも殺せば良かっただろ? お前はそれすらできない雑魚だ。そして誰かを守った俺と、ただ殺すしか能のないお前。どちらが高潔な魂を持ってるかは分かるな?」
「貴様……!」
これで良い。一秒でも多く時間を稼げ。他の奴らが逃げる時間を稼ぎ、コイツを引き留める。
クオングの居ない俺なんてただの一般人。強くも何ともない。
「私を愚弄するか……! ならば望み通り地獄へ送ってやろう!」
──死にたくない。
ルカミアが槍を構える。速すぎて、残像すら見えず……まるで止まっている様に見える。精霊の加護を受けていない俺なんて攻撃すら見切れない。
多分、俺はもう死んでいる。槍に貫かれて死んでいるのに、それに気が付けていない。
「…………」
いつまで経っても痛みが襲ってこない。
……違う。世界が止まっているくらい、遅くなっている。ルカミアは速すぎるのではなく、遅すぎるのだ。
「……どういう……つもりだよ。クオング」
首に蛇が巻き付いていた。そこはもうお前の席じゃない。
契約は確かに解除されている。だというのに、加護がまだ残っていた。
『デルフィ。テメエは俺様を怒らせた。テメエは俺様を生かそうだとか……余計な気遣いをしただろ』
「何の話だ。知らん。ただお前がウザいから切っただけだ」
『良いか、精霊がテメエ一人生かすなんて余裕なんだよ。テメエに心配される謂れはねえし、まだ俺様は本気を出してねえ』
嘘だ。クオングは俺の傷を再生する為に生命力を使った。
だから精霊術の質も落ちるって、コイツ自身も言っていたはず。何より契約者である俺がそれに気付いていた。
「お前、生命力使ったろ。さっきルカミアにボコボコにされた時が最大出力だった筈だ。どう足掻いても勝ち目はない」
『テメエに俺様の何が分かんだあ? よく聞けよ、阿呆。精霊の力ってのは、精霊が自然から取り込んだ自前の生命力と……もう一つ、契約者の意志に依存する』
「契約者の……意志?」
『俺様の力はテメエの力じゃねえって言ったな? だが、それは違え。精霊ってのは契約者と一心同体。契約者の武器であり、意志を形にするもの。テメエが俺を遠ざけようとウジウジしてっから、意志力も鈍る。だから余計に弱くなる』
俺がルカミアに敵わなかったのは、俺が弱気だったから?
クオングの力に頼り切りだと思い込んでいたから?
『デルフィ……もっと俺を頼れ! テメエは俺の相棒で、俺はテメエがいなきゃ何もできねえ! これからも、俺はテメエと生きる! 生きて……俺に未来を見せてくれ!』
そんな事言われても、どうしたら良いんだよ。
こんな場面で迷わずカッコつけて決断できてるのなら、俺は英雄になってる。でも、できない。
「……死にたくない。仕方ないなんて理由で諦めたくない。でも、誰かを守りたい。今までの俺にできなかったこと、できなかった生き様。全部掴み取りたい。それがお前にできるのか?」
『俺が、じゃねえ! お前の意志がそれを実現する! 俺とテメエの歴史を舐めるんじゃねえッ!』
そりゃ、生きたい。死にたくない、ガキの頃からずっと。
ならコイツの言葉通り、契約すれば良い。
「……癪だな」
『ああ!?』
「お前の言う通りにすんのは癪だ。だから、俺から再契約の条件を出す」
一回見放した相手の手を取るなんて恥ずかしい事この上ない。
多少は俺に格好つけさせろよ。
『イイぜ。俺様は寛大だからよ』
「『絶対にこの戦いを生き残る』。それが契約条件だ」
『ハッ! 上等だ、テメエに加護を受贈する! 我が契約者にして、誇り高き盟友デルフィ……俺様の名を呼べ!』
今更名前なんて呼ぶまでもない。
ま、可哀そうだから呼んでやるか。
「雷電霹靂の精霊。そして……俺の相棒クオング! 契約の下に、加護を受贈する。俺と共に、もう一度世界に雷撃を轟かせろッ!」
──これが俺の生き様。
死なねえ。負けねえ。傷付けさせねえ。
覚悟しろ、ルカミア。俺はお前を許さない。




