185. 絶対強者
戦が始まろうとしている。
魔族王は魔国を守る為に。魔王は魔族の誇りを守る為に。この戦場に立ち、彼方に立つ軍勢を見据える魔族の各々が信念を宿している。心があるからこそ、彼らは争う。
魔族王の咆哮が開戦の狼煙となる。今、その音が高らかに響こうとしていた。
「やあ、ルト。張り詰めているね……この戦場の空気は苦手だな」
最前線に立つ魔族王の元に一人の少女が現れた。彼女はふらっとやって来ては、路傍の石に腰を下ろす。まるで敵の大軍を前にしているとは思えない動作に、周囲の魔族は眉を顰める。しかし彼女が強者であることを知るルトだけは、泰然として語り掛ける。
『レアか。何をしに来た? ここは我ら魔族だけの戦場。お主たちに依頼したのはあくまでも影魔族の捜査であり、戦争への協力は要請しておらぬ』
「ああ、分かってるよ。私がここに来たのはね……『わがまま』だよ」
彼女は緩慢に立ち上がり、魔族王と魔王の軍勢を見渡した。数千の魔族が其処には居た。殆どの魔族は敵軍を見据え、魔族王の傍に現れた彼女には気がついていない。
「私はね、戦いが嫌いだ。世界には望まないのに戦わされる人が数多居る。望まないのに、使命を背負わされる者が居る。君たち魔族は己の意志で戦うことを選んだのかな?」
『いいや……我らは違う。だが、影魔族は争いが無為であることを知らぬ。我らは国を守る為に戦うのだ。そういう意味では、無理に戦いを強いられているのかもしれんな』
「そうか。だが、影魔族である彼らも本心では争いを望んでいないのかもしれないよ」
ルトには彼女の言葉が解せなかった。黒獅子の瞳に映るのは、横暴で残虐な影魔族。彼らとも和解の余地があると思い、これまで幾度も説得を進めてきた。しかし、何も変わる事はなかった。戦争は起きてしまった。
「これから私は、私のわがままで君たちの戦場を奪う。私の意志を以て、君たちが争わねばならない運命を遮ろう。──『私の前では、何人も争うことは許さない』」
レアは前へと進み出で、天を仰ぐ。雨粒が彼女の髪を濡らす。
『何をする気だ?』
「……第一権能、解放。第二権能、廻帰。第三権能、侵食」
『……ッ!?』
得体の知れない、畏怖すべき何かが満ちる。
頭上から恐ろしい魔の手が伸び、魂を鷲掴みにされるかのような感覚。この場に立つルトを除く全ての魔族が、身じろぎ一つできなくなる。
「我が名の下に、我が神の名の下に平伏せよ。我が名は光輝、我が神の名は救済。偉大なる礎、流るるは血に非ず、生命の清水なり。命ず、戦無き世を」
戦場の怒号が、一瞬にして静寂へと変わる。言葉は紡がれなかった。息が詰まる、という状況がそのまま訪れた。
全ての魔族は動くこと能わず。指先の一本さえも、彼女の覇気によって動かすことができなかった。
始祖の力。かつてリンヴァルス帝国を築き、戦乱を平定した、リンヴァルス神が与えたとされる力。かつての伝説が其処に立っていた。
『お主は……まさか……始祖……』
「言うな、魔族王。ここに立つのはただの旅人だ。争いが嫌いな、一人の人間だ」
今、戦場は彼女の領域だ。誰もが畏怖に武器を握れず、前へと進めない。
ただ二つの魔族を除いて。彼女と同じ八重戦聖である魔族王ルト。そして、
「なるほど。この状況はお前が創り出したのか」
『カラクバラ……ッ!』
ルトとレアの下へ、黒狐が降り立った。
魔王カラクバラ。影魔族を束ねる王であり、今代の八重戦聖のグラネアに『魔王』の名を刻む者。
「久しいな、ルトよ。かつては共にニンゲンに抗った身……しかし、今は相克する立場にある。悲しいものだな、魔族王?」
『黙れ……お主こそが災禍の根本! 今ここで討つ……!』
二つの黒き王が、相対する。しかしその間に割り込む者が一人。
「少し待ってもらおうか。イージアは君の下へと向かったはず。彼はどうしたのかな?」
「あの仮面のニンゲンか。奴は死した。我が業火に包まれてな」
『貴様……!』
彼の死を宣告されても、レアは何も反応しなかった。元より彼女はイージアが遅れを取るとは思っていない。カラクバラが彼が死んだと言っても、それは錯覚であるとの確信があったのだ。
「了解した。で、話を戻そうか。私は命じた筈だよ……争いを許さないと。それでもなおカラクバラ、君が闘争を求めるのなら……私が相手になろう」
「お前が何者かは知らぬ。だが、邪魔立てをするのならば……」
炎が四本の尾から立ち昇る。それは殺意の表れ。
全ての魔族の動きを封じる程の強者。少女の力を知ってなお、カラクバラは殺意を滾らせた。
「『煉陽狐火・獄』……!」
尾から生み出された火の玉、その数凡そ三百。
万象を融解させ、地上を地獄へと変貌させる禁忌の技。かつての大戦で多くの魔族と人間を苦しめ、青霧騎士を激昂させた技でもある。
炎は連なり、レアを包囲。熱風が駆ける。周囲の雨が一瞬にして蒸発し、太陽が地上に降りたかのような灼熱が迫った。
「それが君の深奥か。では、私の表層に届き得るか……試してみよう」
迫る灼炎に彼女は身動き一つ取らない。
ただ言葉を紡ぐのみ。
「第四権能、融合。次元融解……『ゼレトーア・フラム』」
刹那、世界が溶ける。歪む。
レアに迫っていた炎は歪に呑み込まれて消える。
「何を……した?」
「これが私の……いいや、『私たち』の力。君の力は塵芥。それでもなお、抗い続けるかい?」
──理解不能。
カラクバラは眼前に立つ少女が、自らと同じ次元には立っていないのだと瞬時に悟る。彼女は人間ではない。もっと高次の何かだ。
そう察した途端、カラクバラからは人間に敗北するという屈辱が消失する。
「ふん……」
『待て、何処へ行く!』
踵を返し、地を駆けて行くカラクバラ。
「ルト、私は逃げる者を追いはしない。追いたいのなら追えば良い」
『うむ……我は我の為すべきを為そう』
黒狐を追い、黒獅子が走る。
レアは身を隠し、静寂する魔族の軍勢を引き留め続けた。
----------
影魔族による攻撃が始まり、魔国の各地では戦火が広がっていた。魔族王と魔王が率いる大群の衝突はレアの手により阻止されたが、この国の全ての争いが終わった訳ではない。
魔国ディア、都市の南部にて。魔族王の斥候、『魔刃』ソニアは人気の無い地区を調査していた。戦が始まったとは思えない静寂。雨音がただ響く。
「……ここですね」
建築物の狭間に、魔術により隠蔽された領域。
彼女がそこを潜ると、広がっていたのは異空間。武道場一つ程の大きさに、周囲に散乱しているのは魔導の研究器具。そして数名の人間が侵入者であるソニアへと視線を向けていた。
「侵入者ですか。魔族王の手の者でしょうか」
「やはりリフォル教でしたか。この戦争もあなた方が手を引いているのでしょう?」
「いいえ。この魔族の戦は間違いなく魔王の意志により始められたもの。我々はただ補助しているに過ぎませんね」
「ふうん……」
ソニアは瞬時に周囲の状況を把握する。
リフォル教徒は四名。一人、大司教の階級を示す服を着ている女性が居る。そして──
「……アレは、何ですか?」
彼女が指し示したのは、灰の山。
灰など、有機物を燃やせば出るものだ。しかし、ただの灰から彼女は不穏なものを感じ取った。
「正直に言えば、あなたは怒るでしょうね。ですが……敢えて言いましょうか。あの灰は、人間を燃やした灰です。魔族は魂ごと殺しても灰は出ませんからね」
大司教の言葉は、虐殺を意味していた。
あの灰の山が積み上がるまでにどれだけの人が犠牲になったのか。そして、魔族を魂ごと殺したと言っていた。つまり、不死性を無理やり奪取して魔族をも殺したということ。
「……屑が。殺してやります」
ソニアは激怒した。刹那、殺意の波動と共に異空間に一閃が走る。
彼女を取り囲んでいたリフォル教徒は全て首を落とされる。しかし、大司教は彼女の魔刃を受けてもなお平然として立っていた。
「おや。貴女もまた、人を殺しているではありませんか。やはり人と魔族は分かり合えそうにもない」
「黙れ。殺します」
彼女は凄まじい速度で大司教に肉薄し、一撃で数十の刃を浴びせる。
しかし、異変に気付き即座に距離を取った。
「これは……」
大司教が受けた傷が一瞬で塞がっていく。
白い粘液が傷口を塞ぎ、刃に塗られていた毒も効いていない。
「どうしても戦うのですね。致し方ありません。私はリフォル教大司教、ラサン・フーン。教皇様より至大なる力を賜りし者。もはや逃げ場はありませんよ。貴女が死ぬまで、いつまでも舞い続けましょうか」




