183. 揺らぐ決意
二つの魔が、今まさに衝突しようとしていた。魔王率いる影魔族は闇より抜け出し、魔族王の下へと進軍を始めた。
魔族王ルトはカラクバラの下へと向かい、手ずから引導を渡すつもりでいる。
雨天の下で進軍を続ける影魔族の、何気ない会話の一端。
「ようやく……この時が来た。千年もの間、我らは雪辱の時を待っていたのだ」
「うむ。しかし、俺たちが大規模な争いを起こしてまで求めるモノは何だったか? 人間を服従させることか? 魔族王に過ちを認めさせることか? どれも違う気がする……」
「そんなことは問題ではないのだ。我々はただ魔王様の御言葉通り動いていれば良い。そうすれば、この胸に燻り続ける憎悪も消えるはずなのだから」
「なるほど、確かにな」
この何気ない会話が、この争いの全てを表している事を彼ら自身知る由もないのだった。
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「さて、レア。私はこのままカラクバラに向かおうと思うが……君は一旦ルトの下へと向かってくれないだろうか」
「おや。それはまた、なぜ?」
「あれを見てくれ。多くの……そう、多くの魔族が武器を構えていて、これから彼らは無益な争いによって傷つくことになる」
魔族王と魔王の両軍が、今にも衝突しようと睨み合っている頃。二人は物陰で両軍が向かい合っている様子を眺めていた。
東方には魔族王の軍。最前線に立つは、黒獅子。魔族王ルトが率いる魔国ディアの正規軍である。
対して西方には魔王の軍。カラクバラの姿は二人の居る場所からは見えないが、恐らく後方に鎮座していることだろう。
「君の信条では、人間・魔族に拘わらず、民衆の心が傷つくことを良しとしないだろう。ならば、君が為すべきはカラクバラの下へ向かう事ではない。後は言わなくとも分かるな」
「ああ……よく分かったよ。イージア……君が私をどのように見ているのか、この国の未来をどのように考えているのかがね。そして、その見方は間違いない。君の慧眼に応え、私も働くとしよう」
西へ進むイージアとは反対に、東へと舵を取ったレア。彼女は去り際、一つイージアに声をかける。
「ただし、始祖の名は安くはない。滅多に表舞台へと立たない私が、始祖の力を以て争いを止めるということ。それは歴史に大きな爪痕を残すだろう。代償は大きい」
「何も始祖として争いを止めろとは言っていない。一人の旅人として平和を成せばいいさ」
「……相変わらず君は無茶を言う。善処するよ」
彼女が最も拒絶すること。それは誰かが傷付く悲劇だ。誰かの体も、心も彼女は傷付くことを拒絶する。
表には出さないが、イージアは気が付いていた。そして、いざとなれば始祖の名を明かしてでも他人が傷付くことを止めようとすることにも。
魔族は基本的には死なない。だからこそ、争いは止むことなく、彼らの心は傷付き続けてしまう。国を築いた始祖として、リンヴァルスの頂点に立つ者として、レアは民を守ることに執心していた。彼女自身、その執心には気が付いていないかもしれない。
イージアは彼女を見送り、魔王軍へと向かう。レアの信条は確固たるものだ。
しかし……彼の決意は未だに揺らいでいた。
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魔王軍、最後方。影を体現したかのような黒い体躯に、四本の尾。魔王カラクバラは、他の影魔族と距離をおき、ひとり魔王軍が進軍する様子を眺めていた。
王が何も恐れることなく孤独となるのは、己の力を信ずるが故。何者にも敗北しないという自負と、絶対に勝利するという自信。
「君がカラクバラか」
「余は、魔王。名をカラクバラ。お前は何者か、名乗れ」
「私はイージア。君に尋ねたい事があって来た」
カラクバラは接近している仮面の男を察知していた。しかし、視線一つ向けることなく泰然として其処に居た。
イージアと名乗った男はカラクバラの真正面に立つ。殺気は感じられない。魔族王の刺客ではないと悟る。
「何が望みか」
「ラウンアクロードという者を知っているか?」
「……」
彼の問いに、カラクバラは沈黙する。
しかし、返答の代わりに四本の足で立ち上がる。
「ニンゲンよ、余は王だ。全ての種族よりも優れた、魔族の王だ。質問への返答一つが、千金に値する価値を持つ。塵屑のようなニンゲン一人の命と、価値が違う。重みが違う。代償なくして、答えを貰えると思ったか」
「なるほど。では何を差し出せば良い?」
「命、或いは永遠の服従。選べ」
カラクバラの要求。それはイージアにとって呑めないものであることは言うまでもない。
「君が提示した二つの要求は呑めない。しかし、」
彼は魔剣を引き抜く。
鋭利な剣先を魔王へと向けた。
「代わりに力を示そう。本当は迷っていたんだ。魔族同士の戦いに、無関係な私が介入するかどうかを。しかし、君が返答を濁すのならば……迷いはない」
「驕ったか、屑が。四千の時を生きる私を、死を超克する私を……不完全なニンゲンが超えられると……腹立たしい、忌々しい」
魔王の言葉は事実だった。
イージアは眼前の魔族が至大な強さを持つことを感じ取っていた。だが彼の中に燻る讐火は、魔族が抱く憎悪よりも重いものである。故にこそ、ラウンアクロードの情報を握っている可能性がある者を見逃す訳にはいかない。
「……参る」
疾走。風が吹き荒れる。
「彗星の撃──『月光』」
魔剣により生み出された霧氷が、三日月の孤を描く。
カラクバラの黒き体毛を裂くかと思われた斬撃は、あっけなく躱される。
「ふん……」
「四葉、風鳴」
カラクバラの回避行動の直後、微風が吹く。
微かな風の中に無数の氷の礫が入り混じる。そして微風は一瞬にして強風へと昇華し、魔王を包囲。
「温い」
四本の尾によって風は散らされ、氷の礫もまた魔力の放出によって撃ち落とされる。
しかしカラクバラから反撃が来ることはなく、イージアは首を傾げた。
「なぜ戦おうとしない」
「お前と、余が。同じ舞台に立っていると思っているか。戦いにすらなっておらぬということを自覚しろ、愚鈍なるニンゲン」
魔王の侮辱に心を揺さぶられる程、彼の剣は弱くはない。ただ相手が全力を出していないということを念頭に置くのみだ。
「……」
再度間合いを詰める。
イージアが舞う姿の烈度は、嵐に迫っていた。かつて彼が互いに剣を高め合った友。彼を思い出しながら、風をその身に纏う。年上だった彼よりもずっと長い時を生きてしまった。
「『風見鶏』」
風と水の合わせ技。
彼の姿はまるで水の様に揺蕩い、風の様にうねる。一種の幻影魔術。彼の像は蜃気楼のように消えたかと思えば、雨粒を伝ったかのように突如として現れる。
カラクバラは幻影を見破り、本体へ向かって視線を向ける。依然として彼に攻撃を加えず、弄ぶつもりのカラクバラだったが、攻撃は躱すつもりでいた。ルトとの決戦を控える今、無駄に傷は負うべきではない。無論、人間に付けられた傷など一瞬で治せると思ってはいたが。念には念を入れる。
イージアの本体は斬撃を放つ。しかし、彼の動きには違和感があった。まるでカラクバラを牽制するかのような動き。本命の攻撃ではない。
「なぜ幻影が攻撃できないと思った?」
「何……?」
攻撃はできまいと放置されていた周囲の幻影が一斉に動き出す。本来、幻影は攻撃不能。幻影に精細な動きを施すには、まず本体の動きを放棄する必要があるからだ。本体が安全な場所に居なければ動かすことはできないのが常識だった。
しかし、イージアの幻影は各々別種の斬撃を放つ。見たことがない型の斬撃を無数に受ければ、さしもの魔王も躱し切ることは不可能。
「この程度、一瞬で再生……」
「晴嵐の撃──『逆虹』」
しかし、幻影はあくまでも幻影。
幻影の攻撃に気を惹かれるカラクバラに、青き霧を宿した一閃が迫る。青霧が半円を作り、天高く舞い上がる。霧は雨空へ溶け、下降してカラクバラの身を包み込んだ。
「ヌ……グオオオォッ!」
数秒後、爆発的な邪気が爆ぜる。
カラクバラの身から放たれた邪気が青霧を吹き飛ばしたのだ。その黒き体毛に変化が生じているのをイージアは仮面の下から確認する。
青色の痣。それが何個か黒き体毛に浮かび、脈動していた。
「馬鹿な……継承者は皆殺しにした筈……! お前は今代まで余の道を妨げるか、エプキス……ッ!」
時を裂く剣技、晴嵐の型。
イージアが青霧騎士エプキスの技、『青霧瓦解』から派生させた型である。使い手である彼も原理を完全に理解している訳ではないが、この技は不死性を持つ存在にも有効。眼前の魔王を討ち取る事ができる技でもあった。
「殺意。どうやら気が変わったようだな、魔王」
「その通りだ。お前は殺す。今、ここで殺す……絶対に生かして返さぬ」
魔王から放たれる悍ましい憎悪と殺意を一身に浴びながら、イージアはなおも立つ。
憎悪を払い、仇を討つ為に。彼は人間を憎悪する魔族に負ける訳にはいかなかった。




