181. 仕方ない
生まれた時から孤独だった。
俺を……デルフィを生んで、路地裏に捨て去った奴らが授けた名を背負い、ただ無心に生きていた。ガキの俺は地獄で生きていたんだ。
今でも覚えている。錆のような血と臓物の匂い。廃棄物の油が滴るゴミの山。物心ついた時から、俺は生きる為に何でもしてきた。盗み、殺人、拷問。やらなければ俺が死んでいた。
──だから、仕方ない。
誰かを守ろうなんて思ったことはない。強くなろうとも思ったことはない。
ただ生きていければ良い。良かったのに……それすらも叶わなかった。薄氷の上で踊っていた。いつか重みに耐えきれず、氷が割れて落ちてしまう。その時が来てしまった。
俺の祖国は突然地獄に変わった。まあ、元から地獄みたいなもんだったけど。
子供が泣き叫んでいる。怒号が飛び交っている。
パチリ、と火の粉が飛んだ。国中が燃えていたんだ。俺が辛うじて命を繋ぎとめていた寝床も、たまに面倒を見てくれていたおっさんの家も、富豪供の屋敷も。全部。
地獄の釜の中に居るみたいだった。逃げる子供を大人たちが斬り殺して、馬鹿供が殺し合って……血の海に溺れてしまいそうだった。血の海に溺れないように逃げれば、業火が待っている。逃げ場なんてどこにもなかった。
国を支えていた最高権力者が同時に死んだそうだ。最高権力者を恨んでいる奴も多かったけど、それで国が成り立っているのも事実だった。突然指揮系統が全て崩壊すれば、国だって崩壊する。当たり前の事だ。
この地獄に生まれた瞬間から、俺の破滅は決まっていたのか。きっとそうだ。
──だから、仕方ない。
「はぁ……はぁ……」
俺は逃げていた。大人達が、俺の持つ僅かな金銭を狙って追ってくる。
子供の足で逃げ切るなんて不可能だ。小さな隙間を通って逃れようとしても、どこまでもどこまでも追ってくる。倒壊した家屋の隙間に逃げ込んで、思わずへたり込んでしまった。
恐怖で全身が震えている。生にしがみついて生きてきた俺だからこそ、死を前にしてどうしようもなく戦慄していた。
「死にたくない」
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
俺は何の為に生まれてきた?
何の為に生きてきた?
ただ泥を啜って日々を食い繫いで、手を血に染めてまで生きてきたのに。惨めに死ぬのか?
「嫌だ……」
死にたくない。
大人達が家の瓦礫を退かして、俺を囲む壁がなくなっていく。
金を全部差し出しても、殺される。この国では復讐を恐れて、奪った者は殺すのが常識だ。死が迫ってくる。剣で首を斬り落とされて、身体をめった刺しにされて、指を折られる。痛いのには慣れているのに、死にたくはない。
「……でも、」
こんな国で生きるなんて、最初から無理があったのだろうか。
もしも俺に才能があったら。異能を持っていたら。裕福な家庭に生まれていたら。努力なんかじゃ覆らない、特別な何かを持っていたら。こんな地獄でも生きていけたんだ。
「……仕方ない、か」
そうだよな。俺は何も持っていなかった。
だから殺されるんだ。仕方なく殺されてやるんだ。
目の前の瓦礫が退かされた。見上げれば、下卑た笑いを浮かべた屈強な男が立っている。男の持つ剣が、周囲の燃え盛る炎の残光を反射している。眩しい。
俯いて、目を瞑って受け入れた。あれほど怖かった死を、俺はいつの間にか心待ちにしていたんだ。目の前が真っ暗になって、俺は何も考えなくなった。
『オイ、小僧。それでイイのかよ?』
──誰かの声がした。
頭の中に響いてくる。うるさくて、乱暴な声が。
『ここまで必死に生きてきて……こんな死に方でイイのかよ? 奪われて、それで無様に終わりだ……それがテメエの人生かあ?』
(うるさい……どうしようもないんだ。仕方ないんだ。生きることが俺に許されるなら、生きたいさ。でも、生きる道はもうないんだ)
逃げ場はない。命乞いをしても意味はない。逆らっても力が足りない。
弱肉強食だ。ただの子供の俺じゃ、大人には敵わない。
『俺様がァ! 許してやる……つて言ってんだよォ! テメエは、生きろ! テメエみてえに、生に執着を持つ人間が俺様は好きだ!』
(お前が許したって、どうにもなんないだろ……! お前が、俺に何をしてくれるんだよ!)
誰かも分からない奴と、暗闇の中で話していた。死の淵に立たされて、頭がおかしくなったのかもしれないと思ったけど。でも、たしかに五月蠅い声が聞こえていて、ソイツがたしかに俺の傍に居ると感じていた。
『力をやるよ。生きる為に必要な、力だ。うぜェ大人供をぶっ飛ばして……嗚呼、この地獄を生き抜こうぜ。契約の条件はただ一つ! テメエの生き様を見せてみやがれッ!』
胡散臭かった。喧しかった。
でも、生へと通じる道はそれしかなかった。生存本能が、その者の手を取れと叫んでいる。
(分かったよ……分かった。早く、力をくれよ……! 契約する!)
『ようし、そんじゃあテメエに加護を贈与する! 我が契約者デルフィ、俺様の名を呼べ! 俺様の名は──』
全身に電流、迸る。雷鳴、轟く。
目を開く。世界が止まっていた。
「……雷電霹靂の精霊、クオング。契約の下に、加護を受贈する。共に世界に雷撃を轟かせろッ!」
内に秘めたる電流を、思いっきり放出する。停滞した世界の中で駆け抜ける。
周囲に立っていた大人達の傍を駆け抜けると同時、奴らに雷が落ちる。ああ、痛快だ。さっきまで俺を殺そうとしていた奴らが、俺に殺されていく。
俺はまだ……生きていられる。
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死ぬ訳にはいかない。
『よっしゃァ! ボルテージマックスでいくぜ!』
無数の魔族に囲まれた状況で、俺が生き残る術はただ一つ。特にアイツ。ルカミアとかいう指揮官は、他と違う殺気を放っている。
ここから逃げる。出入口は鍵が掛かっているが……天井が吹き抜けになっていて、そこから外に出られる。正面玄関は魔族が張っているので、そこから逃げた方が良い。
「……ッ!」
身体に電撃が流れる。クオングと契約した時を思い出す。
ボルテージ最大だ。身体に負荷をかけて、一時的に身体能力を引き上げる。魔力を使った身体強化と併用して、精霊術でも強化を図る。長くは持たない。精々五分だ。
「貴様! 何をするつもりだ!」
俺を取り囲んでいた三人の魔族が動く。
──遅い。やはり、ルカミア以外は有象無象。
「雷電霹靂──雷薙ぎ」
普段扱う精霊術とは格が違う。ボルテージ最大の攻撃で、周囲の魔族を無力化。電撃で拘束するが、魔族は肉体の更新を行うことで状態異常を解除できる。稼げて数秒。
すぐさま飛び退き、壁を駆け上る。視界の端でルカミアが反応したのを確認。
『おい! あの魔族、速えぞォ!』
一気に駆け上り、そのままの勢いで灰色の空まで跳ぶ。雨粒が邪魔だ。だが、雨は雷を拡散する媒体にもなる。
ルカミアが下から跳んでくる。速度は俺の方が速い。体力も無尽蔵にあり、不死性を持つ。やっぱり魔族ってのは厄介だ。
「雷電霹靂──『痺れ網』」
とにかく拘束しろ。一秒でも稼げ。
雷の糸を数百──いや、数千だ。ボルテージマックスの俺なら数千は作れる。全身に蓄積した雷を放出、拡散。雨粒から雨粒へと電撃が渡り、巨大な網を天に巡らす。
「ぬ……!」
地上から跳躍して迫っていたルカミアは咄嗟に身を捩るが、躱し切れない。電撃が奴の身体を絡め取り、一時的に動きを停滞させる。
間隙を縫って、奴と正反対の方向へ落ちていく。目指すのは街道ではない、魔国の都市に戻るべきだ。今は俺の方が速度で勝っていても、いずれ息切れする。無尽蔵の体力を持つ魔族からは逃げきれない。だからこそ魔国に居る強者を頼る。悔しいがルカミアは俺よりも上位の存在だ。
地に降り立つ。少しずつ負荷を大きく感じるようになってきた。早く街へ戻らなければ。
『オイ、後ろだ!』
「ッ!?」
完全に油断していた。クオングの叫びで咄嗟に反応する。
短剣が頬を掠めた。あの距離から投擲してきたってのか……!
「逃がさんぞ、ニンゲン!」
回避行動で時間をロスした。その隙をルカミアが見逃す筈もない。
すぐに距離は縮まってしまったが、逃げねばならない。これ以上ボルテージは上げられない。
どうする? 戦って時間を稼いでも増援の望みは薄い。後続の魔族も迫って来るだろう。
「雷電霹靂──『幻雷・重崩』」
幻影を無数に生成。
ルカミアの魔術……真空波が背後から迫る。その一撃で半数ほどの幻影が消滅。逃げ続けてはいるが、まだまだ街は遠い。今は国境と街の中間地点……崖の地点に居る。
「追いついたぞ……!」
「チッ、もう来たか……」
奴の拳が側面から叩き込まれる。大丈夫だ、俺の方が速い。攻撃は躱せる。
斬り返し、槍斧を振るう。左腕に命中したが、電撃が全身に巡ることを恐れてか、奴は躊躇いなく腕を切り離す。残っていた幻影で奴の目を攪乱し、再び距離を取る。
「逃がすものか、『闇縫』!」
闇魔術。闇の針が足元に迫り、伸びる。
この程度の速度なら余裕で避けられ……
「ぐっ……!?」
『おい、デルフィ! クソッ……!』
意識が……駄目だ。ここで倒れたら……まだ耐えろ……!
「ふん、負荷に耐え切れんか! やはりニンゲンは脆い……!」
「ゴフッ……!」
側面から強烈な蹴りが入る。
視界が百八十度回転。俺の身体は空を舞っていた。動け、身体。動け……!
──落ちる。
まずい……崖から落ちる。死ぬ。動け、身体。
「…………」
クオングの声が頭に響いている。何を言っているのか分からない。
雨と共に、崖下へと俺も落ちていく。
「力の入れ方を間違えたか。まあ良い、ニンゲン一人死んだところで問題はあるまい。魔王様の命を果たせないことは口惜しいが……リフォル教に素直に従うのも癪に障る。さて、都市へ向かわねば」




