174. 魔国へと
リンヴァルス帝国、始祖の宮殿にて。
ホーウィドットでの戦を終えたイージアとレアは、再びリンヴァルスへと舞い戻った。『黎触の団』を抜けたラーヤはレアの伝手である魔族を頼る事になり、リフォル教を棄教したケシュアは旅へと出立。
宮殿の持ち主である始祖は座椅子に腰かけ、だらしない姿勢で紅茶を飲んでいた。
「さて、次はどこへ行こうかな? 残念ながら『大深海魔境』でもラウンアクロードの手掛かりは見つからなかった訳だが」
「やはり、今一度世界を巡ってみるしかない。骨が折れる思いだが……とにかく動かねば奴を見つけることはできない」
イージアはただ紅茶を飲むレアを見つめていた。視線を受ける彼女は、落ち着かないといった様子で彼に着席を促す。
「君もそう立っていないで、座りたまえ。ほら、お菓子もあるぞ」
彼女はイージアが食事を摂らない事を知っていながら、焼き菓子を放り投げた。宙を舞った焼き菓子の袋を受け取った彼は、当惑してその場に立ち尽くす。
共に過ごして十年。未だにイージアは眼前に座る始祖の行動を理解出来ない事があった。そして、レアもまた眼前に立つ仮面の男の行動を理解出来ない事があった。
「食べるつもりはないが」
「知ってるよ。まあ、渡してみただけさ」
「……君はよく分からない人だな」
「仮面を被って、自分の事を何も吐露しようとしない……君の方がよほど謎さ」
そして奇妙な沈黙が続いた。
彼は黙ってレアの向かい側に座り、机に地図を広げた。
「ちょっ……お茶を置くスペースが無くなるんだけど!?」
「次の行き先を決めよう。長らく向かっていない、この近くにある国は……」
しばし地図の上で指を滑らせて、彼が指し示したのは北方。リーブ大陸の最北端、リンヴァルス帝国の上に位置するキユラ王国を超えた先にある国。
「ふむ、魔国か。悪くないね」
魔国ディア。『魔族王』ルトが治める魔族の国である。
来る者拒まず、去る者追わず。魔族はもちろんのこと、人間も受け入れる。他国とも同盟関係を結ばず、中立を保つ国。厳しい気候のこの地では食事をあまり必要とせず、不死性を持つ魔族だからこそ文明を築くことができたと言える。
何者も受け入れる国だからこそ、ラウンアクロードも潜伏しやすいのではないか。そう考えてイージア達が最初に向かった国だ。その時にはラウンアクロードを見つけることは出来なかったが、久々に訪れてみれば手がかりが見つかるかもしれない。
「明日にでも向かおうと思う。出立の準備を今日中にしておいて欲しい」
「あい。分かったから早く地図を畳んでくれ。カップを持ってるのも疲れたよ」
彼は渋々といった様子で、言われた通りに地図を丸める。そして始祖の部屋を立ち去ろうとした。
彼の背に、レアの声が掛かる。
「……焦ってるかい?」
「焦らぬ訳がない。奴が動いてからでは遅い。壊れるのは……いつも一瞬の事なんだ」
彼はそれだけを告げ、部屋を後にした。
翌朝、レアは風切り音で目を覚ました。いつもの音だ。
眠たい意識を揺り起こし、カーテンを開ける。暖かい陽光が射し込む。窓の外に見える宮殿の庭では、イージアが剣を振るっていた。彼は毎朝、欠かさず剣を振っている。既に極みに近い技量を備えていてなお、その刃を鈍らせまいと剣を振るい続けているのだ。
身支度を整えて彼女は外へ出る。
「おはよう。良い朝だね」
「おはよう。もう朝食は食べたのか?」
「いや、まだだよ。君も一緒に食べないか……と言いたいところだけど、剣を振るので忙しそうだね。そういえば、君の剣技は何の型なんだい?」
レアは剣技に関しては全くの無知だ。動きこそ見切れるものの、イージアが扱う剣技が如何なる型なのか分からない。
「まず、ディオネ剣術から入る。次に、私の師から教わった型をなぞる。最後に、独自に編み出した剣技を磨く」
ディオネ剣術、破滅の型、青嵐の型。青嵐の型は未だ発展途上である。
彼がこれまでの生涯で得た型を、順にその身に刻んでいく。彼はもはや人間ではなく神族であり、肉体の衰えとは程遠い身。習得した技能を忘れていくことはない。剣の道を限界まで究めた彼は、もはや青嵐の型以外を磨く必要はないのだ。しかし……なおも彼は剣を振り続ける。
「ふうん……私も剣を学んでみようか? 君を師匠として」
「生半可な気持ちで剣の道……いや、武の道は歩めない。好奇心で近づける程、この世界は甘くない」
「おや、これは失礼。たしかに今の発言は軽率だったね。怒られない内に撤収するとしよう」
そう言うと、彼女はそそくさと宮殿の中へ戻って行った。
イージアは彼女を気に留めることもなく、剣を振るう。空に一筋の青き霧が舞った。
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魔国ディアへと続くフロンティアの中を、二人は進んでいた。無骨な岩肌が一面に広がり、険しい山々が連なる。イロマ断崖と呼ばれる地にて。時折吹く寒風がイージアのローブと、レアの金色の髪を揺らす。
下方のキユラ王国から続く街道を歩いて行くことも出来たが、フロンティアを縦断した方が近道ということで、この荒れ地を進むことになった。
「お、正面から二匹。桜象が迫ってるよ」
レアの忠告を受け、イージアは剣を構える。
正面から突進してきたのは、桜色の身体を持つ象。通常の象よりも一回り大きく、火の吐息を放つ魔物。一方は前面に立つイージアへ突進を、一方は火炎を口から吐き出す。
「風鳴天!」
物理の突進、魔力の火炎。二つの攻撃を同時に受け流すのに破滅の型は適さない。
瞬時の判断。風魔術によって正面の桜象を撃破し、火炎を散らす。続けざまに身体を風で運び、凄まじい速度で後方の桜象に迫り、斬撃を放った。
「よしよし、順調だね。進もうか」
「たまには君も戦ってくれないか」
「まさか……私の様なかよわい少女に戦わせる気かい? 君一人で十分なのに、なぜ私が戦う必要があるのか理解に苦し……」
その時、レアの言葉を轟音が遮る。
轟音の前に、遠方で光が迸ったことを二人は察知していたので、然程驚きはしなかった。おそらくは雷の魔術の類だろう。
「うーん、雷だね。この私の言葉を遮るとは……無礼だとは思わないか?」
「誰かが魔物に襲われてるのかもしれない。早く行こう」
「わ、分かったから。袖を引っ張るな」
イージアは彼女の袖を引っ張り、雷が鳴る方角へと向かって行った。
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「雷電霹靂──『雷薙ぎ』!」
稲妻が岩肌を走る。少し遅れて、轟音。
槍斧から発せられた雷は周囲の魔物を一掃し、岩壁を抉り取る。
雷を発した男は、一息ついて警戒を解く。灰色の空に溶けてしまいそうな白い髪。鋭い眼光を持つ黄土色の瞳。
そんな彼の頭に、快活な声が響いた。
『ハッハッハ! どうにも雑魚しかいねえよな! もっと化け物の相手をさせてくれよお!』
「安全なのは良い事だろ? ただでさえ危険な一人旅なんだしよ……」
【雷電霹靂】の精霊、クオングは蛇の身体をくねらせ、男の首を這う。クオングから加護を受贈した契約者……デルフィは高慢な精霊の言葉に適当に返事をしながら、歩みを再開した。
彼が目指すのは北方の魔国ディア。修行も兼ねて、街道ではなくこのフロンティアを進んでいた。
そんな彼を見下ろす者が一人。
雷の音を聞き、この場まで駆けつけてきた旅人だ。彼はデルフィに話しかけるか思案したが、接触は避けることにした。無闇に他者と関わる必要はない。
「はあ……やっと追いついたよ。イージア、あの人が雷の発生源かい?」
「そのようだ。ここらの魔物は問題なく相手出来ていたようなので、助ける必要はない。私達は別のルートで行こう」
「いやいや、折角だから話しかけてみよう。一緒に行かせてもらえれば、行程が楽になるし」
レアは言うや否や、雷使いの男を追いかけていく。イージアは溜息をついて、彼女の後を追った。
彼が一人旅では関わろうとしない様な人間とも、レアの影響で関わるようになっていた。それが彼の旅路に何を齎すのかは、彼自身知る由もない。




