170. 或いは、賢者
結界周辺、中央のエリア──リインカを取り囲むようにして『黎触の団』の部隊が配置されていた。
今まさに、結界の封印が解かれようとしている。あまりに大勢で行動するとリフォル教に思惑を気取られる為、各自が少数で動いていた。
ウェカム、ラーヤ、そしてウェカムの側近の三人は、結界付近にて『黎触の団』上層部の出現を待っていた。
厳重な警備が敷かれているが、彼らは物陰にイージアとレアが隠れていることに気付いていない。
「さて、間もなくだ。上層部の方がおいでになる……ラーヤ、粗相のないようにな」
「……うん」
どこか様子のおかしい彼女を見て、ウェカムは彼女が何か失礼な行動を取らないか心配になっていた。幼い頃から、彼女はある程度の礼節を親から教え込まれた筈だが、それでも危ういと思う瞬間はあった。このホーウィドットでは彼女よりも地位の高い人物がウェカムしかいないので、彼はそういった態度を大目に見てきたが……。
彼らの様子を隠れて見ていたイージアが呟く。
「……いつになったら結界を解除する人物は来るんだ?」
「ああ……そう心配せずとも、もうすぐ来るようだ。ほら、今まさに……」
レアがウェカム達の少し上を指し示す。
奇妙な魔力の渦が次第に集まりながら、虚空に歪のようなものが出来始めていた。
何か魔力の本質が決定的に異なる、魔の力。それは次第に膨張し、人が一人通れるほどの大きさにまで拡がった。
次元の断層のような空間から出てきたのは、一人の少女。
若草のような緑の髪をなびかせ、手には奇妙な杖を握っている。彼女は周囲を一瞥した後、未だ彼女の存在に気が付いていないウェカム達に語り掛けた。
「……あなた達がリーダーで良いのかしら?」
その声に振り返ったウェカムと彼の側近は、彼女の姿を見るや否や跪く。
「これは賢者様! よくぞおいで下さいました! 私はこのホーウィドットの指揮官を務めております、ウェカムと申します! ……おいラーヤ、早く頭を下げろ」
恭しい態度で跪く彼は、その場に立ち尽くしたままのラーヤを見て叱責する。彼女は依然としてその場に立ち、賢者と呼ばれた少女を見つめていた。
「そういう敬意とか、どうでもいいの。結界を解くから、早く『海神の涙』を取って来てちょうだい。……これが結界ね。『秩序茨』」
賢者は手に持っていた杖を結界に突き立てると、杖から黒い茨が放たれ、神気によって作られた結界を崩壊させていく。崩壊は神殿を覆っていた結界全てに及び、あらゆる方角から神殿への侵入が可能となった。
「こっ……これは、素晴らしいですね」
「良いから早く行って。リフォル教に盗られてもいいの?」
「承知しました。ラーヤ、行くぞ!」
『黎触の団』の複数の部隊が神殿へと突入していく。結界が消えたことに気付いたリフォル教も侵入を試みるが、予め妨害を行うことになっていた部隊が侵入を阻む。
側近と共に神殿へ向かおうとするウェカムだが、ラーヤは動かない。
「私は……行かない」
「は……?」
「ラ、ラーヤ様!? いったいどういう……」
彼女の拒絶に、二人は衝撃を受ける。
唐突な理由のない同行の拒否。最近は彼女の様子がおかしいと思っていたウェカムだったが、賢者の前でのこの行動には憤慨せざるを得なかった。
「お前……お前な! 自分が何を言ったのか分かっているのか!?」
「ごめん……」
賢者は彼らの様子を呆れたように眺めながら、欠伸をする。
「ふあぁ……ねえ、早く行って来てくれない? この女の子は置いて行っていいから」
「し、しかし……」
「ウェカム様。リフォル教は他部隊が足止めしていてくれます。ラーヤ様がおらずとも『海神の涙』の取得は可能でしょうから、行きましょう」
「……そうだな。ラーヤ、始末は後で付けてもらうぞ」
彼は逡巡を見せたが、その迷いを振り切って神殿に突入することを決めた。
去りゆく彼の背中を見つめながら、ラーヤは溜息をつく。
「…………」
「……………………」
二人だけ残ったその地に、沈黙が訪れる。互いが互いに話しかけることはなく暫しの時間が過ぎたが、やがて賢者が口を開いた。ただし、話しかけた相手はラーヤではない。
「……いつまでそこに居るのかしら」
彼女の視線は、間違いなくイージア達が隠れる物陰に向いていた。
この場に現れたその瞬間から、賢者は隠れている者の気配に気付いていたのだ。
彼女から視線を向けられたイージアとレアは頷き合い、物陰から姿を現す。
「レア……? イージアも、なんでここに……?」
二人を見たラーヤは首を傾げる。
彼女の記憶によれば、二人は既に地上へと帰った筈。二度と彼女が行くことが許されない地上へと。
「いや、少し忘れ物があってね。戻ってきたらこの現場に鉢合わせて隠れ聞きしていたわけさ」
レアは平然と嘘を吐き、堂々と彼女達の前へと歩いて行った。
賢者は出てきた二人の姿を見て意外そうな声を上げる。
「……あら? 私が感じていた気配は一つだけなのだけれど……」
「ああ、それはこの仮面の不審者……イージアの気配だろう。私は彼よりも気配遮断というか……逃げたり、隠れたりする技能が上手だからね」
「……気配遮断が下手で悪かったな。つまるところ、君は私が弱いと言いたい訳だ」
「いやいや、そんなことは言ってないだろう? 君は十分強いと思うよ。ただ、あの賢者様はちょっと恐ろしいからね……死にたくなければ私より前に立たない方が良いと思うよ」
「分かった。では金輪際、君の前には立たぬことにしよう。ほら、あの賢者とやらから私を守ってくれ」
「だからね、私は君の身を案じて警告したんだよ? 相変わらず可愛げのない態度を取るな、君は。こんな危機的状況においても協調性を欠く態度は到底褒められるものではなく……」
初対面の人間を相手に言い争いを始める二人に、賢者は困惑する。
仮面を被った男はともかくとして、金髪の少女は全く警戒の姿勢を見せていない。『黎触の団』に所属するラーヤと知り合いのようなので、敵対勢力ではないと思うが……。
「別にあなた達を攻撃するつもりはないわ。いったい何者なのかしら?」
言い争う二人の会話に口を挟み、彼女は尋ねる。
「相手に尋ねる前に、自分から名乗れとお母さんから教わらなかったかい? 『黎触の団』の賢者は躾がなっていないと世間に吹聴しようかな?」
会話を遮られて不満が溜まっているのか、レアは口撃の矛先をイージアだけではなく賢者にも向ける。子供の様な態度に賢者は呆れつつも、律儀に返事する。
「私は『黎触の団』で研究を行っている魔導士、フェルンネ。これで良いかしら?」
「フェルンネ……『理外の魔女』か……!」
イージアは眼前の少女の正体を悟る。
八重戦聖が一、『理外の魔女』フェルンネ。あらゆる理外魔術を創造し、魔術を大幅に深化させ、禁忌をも生み出した存在。
何故彼女が『黎触の団』に属しているのか。八重戦聖ほどの偉大な存在が『黎触の団』に与しているという事実は、重苦しい事実だった。
「私はレア、旅人だ。このイージアも旅人で……『大深海魔境』を攻略していたらこのホーウィドットに辿り着いたという訳さ」
フェルンネが偽りなく身分を明かしたというのに、レアはまたしても堂々と嘘を吐く。
その解答に不満を覚えたのか、フェルンネは追求の手を緩めない。
「ただの旅人がここまで来れる訳ないわ。私でも苦労するのに……」
「ふっ……私たちが……いや、私が君より強いという可能性は考えないのかい?」
レアが自信満々にフェルンネにそう言い放つが、イージアは待ったをかける。
「なぜ今複数形から単数形に言い直した?」
「いや、流石に君自身も八重戦聖に敵うとは思っていないだろう? それに、上の魔物溢る深海魔境を超えられたのは私の力あってのことだろう? そこを忘れてもらっては困るな」
「……だからといってわざわざ言い直すことはないだろう? 君は故意に私を貶めようとするきらいがあるな。長年旅を共にしてきて思うが、君は到底国を背負うような立場の者であるとは思えず……」
またしても二人の口論が始まってしまった。
ラーヤは二人が言い合いになっているのを見たことがなく、どうすれば良いのか狼狽えている。
『理外の魔女』フェルンネはそんな彼女を哀れに思いながらも、溜息をついて成り行きを見守るのだった。
数分後。
「……喧嘩は終わった?」
「喧嘩ではない。いつものことだ」
傍から見れば完全に喧嘩だが、二人にとっては日常茶飯事。
フェルンネの追求も口論で流されてしまったが、イージアとレアが敵ではない……少なくとも、敵と見做す程の脅威と捉えていないことが分かった。その方がフェルンネにとっても有難いので、二人の変人は放置しておくことにする。
彼らにこれ以上関わらないことを決め込んだフェルンネだったが、今度はイージアの方から質問をぶつけてきた。
「さて、フェルンネ。君に聞きたいことがある」
「……何かしら」
「ラウンアクロードという者を知っているか?」
「ラウン……? いいえ、知らないわ」
イージアは落胆する。しかし、眼前の少女はこの世界の理の内も外も知り尽くす者。もしかしたら、手がかりを握っているかもしれないと思い、質問を重ねる。
「では、『黎触の団』にここ十年くらいで携わるようになった要人は居るだろうか?」
「なんで私がそんなことを答えなくてはならないの? 『黎触の団』の人員なんて私は把握してないけど。研究さえ出来れば何でも良いのよ。別に『黎触の団』よりも研究しやすい機関があれば、そっちに移動するし……」
研究の為。彼女が『黎触の団』に身を置く理由は分かった。
真理を追求する為ならば、如何なる手段をも用いる……そんな根っからの学者気質の人間が彼女なのだ。
「イージア。どうやら彼女からは期待している解答を得られそうにないね。まさか賢者にも知らないことがあるとは……驚いたね?」
「そんなに煽っても知らないものは知らないの。早く帰ってちょうだい」
思えば、二人が何の為にウェカムたちの様子を隠れて見ていたのか、フェルンネからすれば未だに分からないのだった。活動を妨害する訳でもなく質問責めにしてくる彼らはいっそ不気味ですらある。
「ああ、帰るとしよう。結局、この深海でも手掛かりは無しか……。レア、行くぞ」
「……少し待ってくれ。ラーヤ、何か言いたいことがあるみたいだね?」
地上に帰ろうとするイージアを引き留め、彼女は成り行きをただ静観していたラーヤへと視線を向ける。常に迷い考え込む彼女の姿を、レアはイージアと口論し、フェルンネと話す中でも見逃さなかった。
急に問われたラーヤは、慌てながらも口を開く決心を固める。
「私は……賢者様に、言いたいことがある……あります」
「……私?」
彼女は灰色の瞳で毅然としてフェルンネを見据え、そして想いを乗せた言葉を紡ぐ。
その言葉は、彼女の《これから》を大きく左右するものだった。
「私に……『黎触の団』を抜けさせてください」




