168. 黒の異物
「ラーヤ……我が娘よ。お主に必要なのは強さだ。我らが一族の悲願を果たす為の刃、それがお主なのだ」
「憎き敵をあなたの手で滅ぼすのです。それが……それだけが、あなたの生まれた意味。選ばれし者として、恥ずかしくない刃を振るいなさい」
今は亡き、ラーヤの両親の言葉。
ラーヤは『黎触の団』の希望として育てられた。遥か昔、力を与えたもうた【黎触の試練】。その力を受け継ぐ存在が彼女である。
団に歯向かう全てを討ち滅ぼし、栄華を齎す為の兵器。陽の光なきホーウィドットで育てられ、周囲を『黎触の団』のみに囲まれて育った彼女は、それを当然のように受け入れていた。
そうして彼女が深海で育って、十年が経った頃。
彼女は家の庭でいつものように刃を振るい、己を洗練していた。
「ふーん……アンタが、『刃』?」
紺色の髪と、濁った青い瞳の少年。歳はラーヤと同じくらいだろうか。
彼はどこか敵意のような、苛立ちのような視線を向けて彼女の前に立った。
「そう。ラーヤという」
「俺は『盾』。ウェカムだ」
そう言うとウェカムは、自らの前方に黒い障壁を作り出した。これが『盾』だという。
ラーヤはこの黒い波動を刃に宿すことで『黎触の刃』とする。
「……斬ってみてもいい?」
「ああ、いいぞ。斬れるもんならな」
彼女は刃を生み出し、渾身の勢いで『盾』に斬り掛かった。
黒と黒が衝突し合い、歪な音を立てながら奔流が生じる。しばしの間、二つの黒は拮抗していたが、やがて刃が力負けしたように跳ね返された。
「……すごい。すごい、ウェカム!」
「まあ、お前より戦場での経験は多いからな。生半可な『盾』じゃ皆は守れない。その為に訓練したんだ」
それから二人は意気投合し、毎日のように共に訓練しては戦場に出る日々を送った。
ラーヤにとっては、彼が初めて出来た同年代の友人。そして、唯一同等に渡り合えた存在でもあった。
二年後。
ラーヤは戦場から帰り、家で一息ついていた。
ふと、本棚に入っている書物を見る。もう表紙がボロボロで、持ち主である彼女が何度も読み返した事が分かる。
これは地上から持ち込まれた本であり、地上の事を知るただ一つの手段であった。これらの本は『黎触の団』により検閲されたものだが、彼女はそんな事を知る由もない。ただ本の言葉が時折見せてくれる、眩い地上の光景を想起しては胸を高鳴らせるのだった。
ふと、彼女の意識を扉を叩く音が呼び覚ました。
「ラーヤ、邪魔するぞ……また本か」
ウェカムは部屋に入って来るなり、彼女が持つ古い本に視線を向けた。
彼としてはラーヤが地上にこれ以上興味を抱くという事態は避けたかった。『刃』に無駄な感情は必要ない……『盾』であるウェカムが己の感情を殺してきたように。
「……ごめん」
彼の視線を受けて、彼女は目を伏せた。
ウェカムは非難の言葉を口に出した訳ではないが、視線が非難の意を物語っていたのだろう。
「別に良いさ。それよりも、今日の戦況について……」
負傷者及び死者の数を聞く。この数をとにかく減らすことが自身の役割であると、ラーヤは彼から聞かされていた。敵対勢力であるリフォル教の命を無理に奪う必要はないと言われていたが、まだ彼女にはその言葉の意味が分からなかった。
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『その旅先で、私たちはリフォル教徒と戦わなければならなかった。心を痛めながらも彼らを傷つけ、無事にその研究所を突破した』
『……やっぱり、レアは人を傷つけるのは良くないと思う?』
『もちろん。可能ならば、我が国の……ああいや、何でもない。願わくば、世界全ての人が傷つかないような世界が理想だと思っている。実現は不可能だろうけどね』
そんなレアとの会話を思い出しながら、ラーヤは座って虚空を見つめていた。
彼女とて、もはや子供ではない。何もかも言いなりであった幼少期とは異なり、己の意思で考えることができる。ぼんやりとした周囲との交流を通して、何か良からぬ感情が戦場を駆ける度に蓄積していくのを感じた。
人を傷つける度に……たとえそれがリフォル教徒であろうとも、心に棘が刺さるような気持ちに襲われたのだ。それが如何なる感情なのか、それは表象できない。ただぼんやりとしていて、気持ちの悪いものだった。
……きっと、自分は地上の人たちと価値観がズレている。
そう思わずにはいられなかった。レアと出会って話を聞く前にも、薄々感じていた違和感だ。
──地上。
レアの話を通して、そこは彼女が思い浮かべていたような楽園ではないことを知った。同時に、彼女が思い描いていた世界よりもずっと広いことも。
全てが理想通りの世界があるなど彼女自身思っていない。だからこそ、地上が想像よりも異なる世界だと知り、彼女の好奇心はより一層膨らむのだった。
「…………」
彼女はふと思い立ち、家の外に出る。
広いホーウィドットの空を見上げる。そこには一面の闇が広がっていた。見上げるアレは海水の塊だと言う。本物の空を、彼女はまだ見たことがない。
他の『黎触の団』の団員曰く、このホーウィドットに転移する魔法を施してもらってここに来ているらしい。上の深海には恐ろしい魔物が大量に生息しており、まともに突破することは不可能だと言っていた。
つまるところ、彼女はこのホーウィドットから出る手段を知らない。おそらく、レア達に聞けば知っているのだろうが、『黎触の団』から命令が出るまでここを出る訳にはいかない。地上に出ることが出来る日はいつになるのだろうか……彼女は夢想した。
──やはり、胸の蟠りが消えない。
誰かを傷つける度に、彼女自身の心も傷つく……そんな病に罹ってしまったようだった。
「ウェカム……」
彼女は一抹の不安を覚え、粘土質の地の上を駆け出した。
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「本日の報告書です」
ウェカムは部下から戦線の報告を受け、眉を顰めた。
今日の戦死者は二名。これでも最初は数十名の死者が出ていたのだから、随分とマシになったものだ。
被害が出ても要請すれば地上から増援が送られてくる。どうやら『黎触の団』の王はよほど『海神の涙』が欲しいらしい。それにしては、結界を解除可能な技術の開発に時間がかかり過ぎているとは思うが。
「……もうすぐ、終わるな」
「はい。間も無く上層部の方が来て結界を解除して下さるそうで。これは噂に過ぎませんが、賢者様がいらっしゃるとの話も出ています」
「賢者様が? あのお方が外に出ることなんてあり得るか?」
『黎触の団』の賢者は極度の出不精である。いつも己の研究のみに執心し、何を考えているのかも分からない奇人……というのがウェカムの彼女に対する印象だった。もちろん、そんなことは口が裂けても言えないが。
「なんでも……王が直々に賢者様へ結界の解除への協力をお申し出になったとか。それほどまでに『海神の涙』は手に入れたい秘宝なのでしょう」
「まあ、誰が来ようと構わない。俺が考えるべきことは、結界が解除された時に如何にしてリフォル教を退けるか……だ。予め布陣を敷いておく必要がありそうだな」
そう言いながら、彼は机の引き出しからホーウィドットの地図を取り出す。
結界が直に解除されるという情報は『黎触の団』しか知らない。予めリフォル教の進路を妨害するように布陣しておけば、『黎触の団』が一足先に神殿の最深部に辿り着き、『海神の涙』を手にすることが出来るだろう。
悩む彼に対して、ふと部下が語り掛けた。
「そう言えば、本作戦が終了したらウェカム様は如何されます? 一応、このホーウィドットも我らの領土として支配しておく為に、駐屯部隊を残しておくらしいですが」
「ああ……俺は地上に出る……かな。上からここに留まれと命令されなければ、だけど」
「その線は大丈夫でしょう。残るのはラーヤ様ですから。彼女が代わりにこの地の指揮官になって下さいます」
「そう、だな……」
そう彼が小さく返事をした時。
ガタッ、と。
扉の向こうから声がした。そして、駆け出して離れていく音。
「ッ、曲者か!?」
部下が慌てて部屋の扉を開くが、そこには闇が残るのみ。
部下は慌ただしい様子でその足音を追跡し、団員を捜索に出させた。
「……まさか、な」
ウェカムの脳裏に一つの嫌な可能性が浮かぶ。しかし、彼はそれを即座に否定。先の足音はリフォル教の密偵だと断定した。
「結界が解除されるという情報を知られる訳には行かない。全団員を動員し、絶対に曲者を捕らえさせろ!」
「はっ!」
敵の侵入を許す程、警備を甘くした覚えは無い。しかし、彼は今の音がリフォル教の手の者による音だと断定せざるを得なかった。そうでなければ、彼はある者を絶望させてしまったことになるのだから。
冷や汗が止まらず、部下の背を流れる。
駆られるようにして彼は建物の外へ駆け出した。




