165. イン・ザ・ホーウィドット
小型の安船を借り、二人は龍海を超える。
その先の海を潜った先にあるのが『大深海魔境』。未だ完全踏破者が存在せず、イージアが過ごしていた未来の技術を以てしても攻略はされていない。
「さてさて、ここら辺で潜れば良いのかな? ご丁寧に下に矢印が書いてあるね」
看板には下向きの矢印が書いてあり、『大深海魔境』へ続くことを示している。危険なので立ち入らないように警告文が添えられていた。
「よし、行くぞ」
レアは水霊の呪符を起動し水圧を無効化した後、風魔法の応用により水中内での呼吸を可能にする。イージアは神転すれば水中に潜る事ができるが、ローブの祝福により神転せずとも水中内での活動が可能になっている。
そして、二人は海深くまで潜って行き、フロンティアに到達するのだった。
どこまでも続く深い闇。光の届かぬ青の中を、見たこともない種類のアンコウやクラゲ、海藻が照らしていた。暗視の魔法を用いれば、幻想的な珊瑚の群体が道のようなものを作っている。
捻じれ、拗れた岩肌が空間を支配する中。二人は襲い来る魔物の対処に回っていた。
「……なんで深海の魔物はこんなに気持ち悪いのだろうか。普通の深海魚ならばまだ可愛げがあるのに、魔物ときたら異形しか居ないね」
身体の全身が潰れたような水竜擬きが無数に突進して迫る。イージアはそれを回避し、斬り返す。
水中での戦闘の為、いつものように攻撃を受け流すことはできない。地上での戦いとは決定的に異なる戦闘を強いられるのも、このフロンティアを攻略困難とする要因の一つだ。
彼は水属性の魔術を使い、戦闘の立ち回りを補助しようかとも考えたが傍にはレアが居る。他人の目がある場所では風属性以外を使う訳にはいかない。
流石にゼーレフロンティアの魔物だけあり、竜種をも遥かに凌ぐ強力な魔物が揃い踏みだ。レアは軽々と往なしているが、彼は神転できないこともあり苦戦を強いられていた。
海竜の群れが一斉にイージアの身に迫る。
「青嵐の撃──『遙遠』」
青き霧が海中に広がる。
霧は静謐に、かつ迅速に形を刃へと流転させ、周囲の海竜を纏めて貫いた。その刃は時間の概念をも貫く力を宿す。
この十年間、イージアはただ放浪していた訳ではない。
物理に関する『彗星』、魔術に関する『飛雪』。この二つの型の他に、彼は新たに『青嵐』の型を生み出した。青霧騎士エプキスという偉人の戦法を参考にした型であり、イージアの奥義『青霧瓦解』もこの型の技の一つである。
時間と空間の位相を自在に操ったエプキスの技をそのまま扱うことは不可能であったが、彼なりにエプキスの技を分析し、レアの協力もあっていくつかの疑似的な技を生み出したのだ。
「ちょ、私にまで攻撃が来たんだけど!?」
「自分で防いでくれ! 君を気遣っている余裕はない!」
八重戦聖の一角であるレアならば自分の攻撃を防ぐ事など簡単だろうとイージアは判断し、とにかく魔物の殲滅を重視する。事実、彼女は迫り来る青き刃を完全に無効化していた。
周囲の魔物は次々と倒れ、再び辺りに静寂が戻る。
「はあ……だからさ、君はもう少し私に優しくしたまえ。仮にもリンヴァルス帝国の偉大なる始祖だぞ? ああ、身体が痛い……君の攻撃のせいだろうなあ」
「どうでもいい。魔物が寄ってこない内に先へ進もう」
愚痴を言いながらもついて来るレアと共に、イージアは更なる深海へと進んで行く。
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進み続け、どれほど深くまで潜ったのかも分からなくなった頃。
「……ッ!? これは、」
細い岩の道を抜けた先、視界が開ける。
眩く、しばらく見ることのなかった人工の光。そして、海の中とは思えない程に広大な空間。
それを視認した刹那、イージアの身体を浮遊感が襲った。水中特有の浮遊感ではなく、空中に投げ出されたような感覚だ。
──落ちている。そう判断した瞬間、彼の判断は早かった。
「おお……なんだこれは?」
イージアは風魔術を用い、二人の身を風で包む。そして落下速度を減衰させ、続いて飛行可能なように風圧を調整する。
「国……か?」
「地平線……いや、この場合は水平線と言った方が適切かな。水平線の彼方まで空間が広がっているね。人や建物の姿もちらほら見られる。それにしても、この大深海……しかもフロンティアに空気のある空間を作り出すとは驚嘆するね」
現在、二人と地上の距離は、実際の地面と空ほどの距離がある。それでもなお、この空間は全容を把握できないほど広大だった。
「だが、ここは未踏破のフロンティアのはず。魔物と共存できるとも思えないし、なぜ人が居るんだ?」
「まあ良いじゃないか。下に降りてみようよ」
降下して地上に降り立つ。土の地面とは異なり、少し粘り気のある地面だ。
人気は殆どないが、偶然通りかかった人が二人に話しかけてきた。
「おや、あなた方は……まさか地上から?」
「ああ、そうだ。君はこの深海に暮らす人間か?」
「まさか二人という少人数でゼーレフロンティアの海域を突破可能な者が存在したとは……。私たちはこの深海で生まれたわけではなく、あなた方と同じ地上の人間ですよ。まあ、混乱していると思いますので……すぐそこにある私の拠点へ案内して話をしましょう。私はケシュアと申します。以後お見知りおきを」
ケシュアと名乗ったその男は二人を先導し、迷わずに海底の都市を進んで行った。
一件の大きめの施設の前で彼は立ち止まり、入り口にいる見張りに会釈する。
「これは、ケシュア様。後ろの二人はお知り合いで?」
「はい。地上から来たそうですよ」
「ほう……それは気になりますね。どうぞお通り下さい」
建物の中へ入り、二人は奥の部屋へと通される。
そしてケシュアと向かい合う形で、この深海の真実を聞かされることになる。
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「さて、イージアさんにレアさん……でしたか。改めて自己紹介させていただきます。私はリフォル教大司教、ケシュア・ベオン」
「なっ……リフォル教だと!?」
隠されていた事実にイージアは思わず立ち上がり、警戒態勢を取る。
しかしレアは彼を抑え、座らせた。
「まあまあ、彼の話を聞いてみようじゃないか。別にリフォル教だからといって悪人って訳じゃ……ないことも……ない、けど」
「ははは……リフォル教が世間から蛇蝎の如く嫌厭されているのは存じ上げております。ただレアさんの言うように、私はあなた方を害すつもりはありません。あなた方と争っていられるような状況ではありませんから」
何やら訳ありの様子を見せるケシュアの態度を見て、イージアは落ち着きを取り戻す。たしかに、この領域において頼れる者は、今のところ彼しか居ないのだ。貴重な話を聞く機会を無碍にする訳にはいかない。
「すまない、取り乱した。この空間は何だ?」
「ここ『大深海魔境』……通称『ホーウィドット』は、かつて海神が創造した領域だと言われています。海神自身が棲む為に作った空間だそうですね。しかし、循環邪気の変化によりこの地はフロンティアと化し、海神はこの空間を放棄しました。これが『ホーウィドット』の誕生です。そして数十年前まで、このホーウィドットには人が辿り着くことは敵わず、無人の領域と化していました」
循環邪気の変化により魔物が出没するようになったのは、恐らく龍海の誕生が起因しているのだろう。災厄である滅龍セノムクァルの遺骸により邪気が集中し、龍海が誕生した。それに伴って、この地もフロンティアと化したと考えられる。
「なるほどね。では、君たちがここに滞在している理由は? 魔物の対処はどうしている?」
レアの質問にケシュアは答える。
「一番最初にこの地を見つけたのは我々リフォル教ではありません。『黎触の団』です。彼らは何らかの技術を以てホーウィドットから魔物を駆逐し、ここに住みついたのです」
「『黎触の団』か……如何なる業を以てして魔物を出現しないようにしたのかにも興味はあるが、一旦置いておこう。リフォル教はこの地で『黎触の団』と共存しているのか? 地上ではこの二組織は敵対関係にあるようだが」
「いいえ。地上と変わらず、我々は『黎触の団』と争っています。長きに渡りリフォル教と『黎触の団』の抗争が行われている地……それがホーウィドットなのです」
どうやら深海の勢力も一枚岩ではないらしい。リフォル教と『黎触の団』……どちらがマシかと言われれば五十歩百歩。互いに潰し合ってくれている分には構わないが、イージアにはまだ疑問があった。
「なぜこの地で争う必要がある? 何か重要な資源でも?」
「争いの原因は、このゼーレフロンティア最奥にある『海神の涙』です。あの秘宝は強大な力を秘めていると言われていますが、結界に守られ手にすることができないのです。両組織は結界を破る方法を探りながらも、牽制し合っています。初めてこのフロンティアが踏破されたと言えるのは、あの秘宝が誰かの手に渡った時でしょうね」
「ふむふむ。つまり、リフォル教と『黎触の団』は秘宝を求めて争い合っていて、そこに私たちが落ちてきたというわけだ。さてイージア、私たちはどうしようか?」
彼としては、『海神の涙』という財宝に興味はない。
知りたいことは、ただ一つ。
「ラウンアクロードという存在を知っているか?」
「らうん……何です? 知りませんね。どんな存在なのですか?」
「……放っておけば世界が滅ぶ」
到底信じてもらえないような話だが、イージアは正直に話した。
それを聞いたケシュアは世界滅亡という規模が大きすぎる話を笑うこともなく、真剣に考え込んだ。
「……『黎触の団』は世界の滅亡を目的としています。我々が彼らに対抗するのも、偏に世界を守る為。もしかしたら、そのラウン何とかも『黎触の団』に関係しているかもしれません。世界を滅する力を彼らは求めているのですから、そのラウン何とかから『黎触の団』に歩み寄る可能性もあるでしょう。……どうです、我々に一時的に協力していただけませんか? お礼はしますよ」
「なるほど、私たちの協力を得ることが君の目的という訳だね?」
「はい、レアさんの言う通りです。このホーウィドットの戦いで、両組織は多くの犠牲を出しています。いい加減にこの戦争に終止符を打つべきだと私は考えているのです」
レアはイージアに視線を向けた。あくまで決定は彼に任せる姿勢だ。
たしかにケシュアの言う通り、『黎触の団』がラウンアクロードと関わっている可能性も否定はできない。『黎触の団』に損害を与えることは、結果としてラウンアクロードにも痛手を負わせることにもなるかもしれない。
「……少し考えさせてくれ。この『大深海魔境』……ホーウィドットを実際に目で見て回ってから考えたい」
「了解しました。では、何か困ったことがあれば私におっしゃって下さい。良い返事を期待しています」
深海に広がる領域、ホーウィドット。
この地で繰り広げられる戦火に飛び込んでいくべきなのか……彼は決めねばならない。その為に、彼が向かった場所とは……




