164. 熱砂、小さな約束
宿のロビーにて、イージアは今後の日程を決めていた。
闇雲に仇敵を探す日々。気付けば十年の月日が経ち、この時代に彼は適応していた。
どれだけ探しても手掛かりが掴めないことに焦燥する感覚は、事ある毎に彼の胸中を支配し続ける。しかしながら、どれほど焦っても仇は見つからず。その焦燥に慣れてきてしまっている己に嫌悪感を抱くイージアだった。
「やあイージア、良い夜だね」
レアが宿の二階から降りてくる。相も変わらず眠ることのないイージアに彼女は苦笑しながらも、向かい側の席に座る。
彼女は地図を覗き込むと、次の行き先を推測した。
「ふむふむ……次は南下してマイト方面へ向かうとみた。合っているかな?」
「ああ。ただ……」
彼は口ごもる。
マイト領海は以前も訪れた場所である。十年をかけて既に世界を一巡した彼は、再び同じ地を巡る羽目になる。こうして延々と同じ地を旅していても、ラウンアクロードは見つからないのではないかという不安があった。
眼前のレアは仮面の上から彼の不安を感じ取り、諭すように告げる。
「そうだ……まだ行ってない所があるじゃないか。ちょうどマイト方面にさ」
「……?」
彼は地図に目を落とすが、既に殆どの場所には旅で訪れたことを示すマークが付けられている。
彼の目線の少し左、龍海に面したフロンティアをレアは細い指で指し示した。
──『大深海魔境』。世界に三つ存在するゼーレフロンティアの一つである。
他のゼーレフロンティアと同様、強力な魔物が跳梁しているのは当然だが、一番の問題は物理的要因だ。この『大深海魔境』は深海に位置する為、まず水圧をどうにかする必要がある。次に、呼吸の問題をどうにかする必要がある。
こういった問題を魔術で解決しなければ、この魔境を進むことすら不可能。
「……正気か?」
「災厄であれば、魔境に潜むのも訳ないだろう。まあ……君が魔境に挑むのが怖いというのなら、行かなくても良いよ」
「そんな安易な挑発には乗らないが。考えてはおこうか」
彼は挑発的な笑みを浮かべるレアを一蹴しながらも、行き先の候補として魔境を加えるのだった。
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翌早朝。
イージアは行き先を決定し、出立の時を迎える。どうせ今日もレアは昼過ぎまで爆睡しているので、起こしに行かなくてはならないだろう……そんな事を考えながら、彼はゆっくりと荷物を纏めていた。
「やあ、おはよう! 良い夜に引き続き、良い朝だね!」
「…………」
ノックもなしにレアが部屋に入り込んで来た。
彼女が既に起きていることに驚いたイージアだが、彼は挨拶を返さずに荷物を纏め続けた。やけにハイテンションなのが気にかかったが、彼女の調子が良い時は碌な事がない。
「なあなあ、無視はないだろう? ちゃんとこっちを見て挨拶を返してくれ」
朝から酔っ払いの様にだる絡みしてくる彼女を煩わしく思いながらも、彼は彼女の方に顔を向け、
「おはよう」
と返した。
そして再び荷物に視線を戻す。
「ふーん……」
イージアがちょうど剣を腰の留め金につけ終わったタイミングで、レアは彼の視界の前に回り込んだ。まるで彼が視線を上げるのを見計らったような動き。
「……何か?」
「何か、私に言うことはないかな?」
「ん……ああ、次の行き先は『大深海魔境』に決めた」
昨夜に彼女から提案を受けたことを思い出し、彼はゼーレフロンティアへ赴く旨を伝える。
もちろん一筋縄で攻略は不可能な魔境なので、これから対策を入念に練る予定だ。
「そうかそうか、私の助言が役に立ったというわけだ。まあ、それはおいといて。ほら、言う事があるだろう?」
「……?」
「主に私の装い関して言うことが……!」
困惑するイージアの前で、彼女は身体をくるりと回転させて胸を張った。そして、自分の髪を撫でつけ、得意気な顔を見せる。
先程からテンションのおかしい彼女にイージアは困惑するばかりだったが、ようやく彼女の言いたいことに思い当たる。
「なるほど、水霊の呪符か。たしかに深海のフロンティアを攻略するには必要な物だな」
レアが纏う服の内側に、ちらりと札が見えた。あれは水霊の呪符と呼ばれる魔道具で、水圧の影響を無効化できる代物だ。値段は相当なものだが、始祖ともなれば自己作成できるだろう。
「うんうん、これで水圧を無効化……って違う! なぜ服の内側にある魔道具を指摘できて、私の見えている個所の大きな変化に気付けないのか! 髪だよ髪! いつもと髪型が違うだろう?」
「は?」
たしかに言われてみれば、彼女の金髪が右側面に束ねられている。サイドテールというやつだ。
滅多に左右に髪を纏めることのない彼女にしては珍しいことだが……
「普通、女の子の髪が変わったら気付くと思うんだけどね? あー、私がかわいそう」
「……五千年も生きてきてそのザマか? 歳を取っても精神は成熟してないようだな」
「ごっ……ぐぬ……! 酷いね、今のはグサッと心に突き刺さったよ。君は少し正直に喋りすぎだ。それに、年齢は関係ないだろう、年齢は! かわいいに年齢は関係ないんだ……っ。重ねて言うならば、私は五千年のうち大半を眠りに費やしている。実際過ごした時間は三百年程度と、魔族の中では若年に近い! 加えて、君は驚くほどに周囲との交流関係に興味がないのだから、もう少し周囲の人間を観察すべきだと思う。いいかい。君の旅の目的が如何なるものであったとしても、他者との交流は避けられない。もしかしたらその不愛想さが起因して、有益な情報を逃すことになるかもしれない。更には……」
彼女の説教擬きの妄言が続くこと二十分。
「……というわけで、イージア。君はもう少し私に素直になりたまえ」
「了解した。では、宿を出よう」
無論イージアはまともに話を聞いておらず、無心で彼女の口が閉ざされるのを待っていた。
「さあ、言ってごらん。『レア、今日の髪型はおしゃれだね』」
「……チッ。早く行かないと置いて行く」
十年の付き合いで、彼は彼女のうざったい絡みには慣れている。
こういった時の対処法として、彼はいつもレアと物理的な距離を取る事にしていた。
風に乗り疾走する。もちろん始祖が本気を出せば自分など追いつかれるとイージアは分かってはいるが、彼女は一向に本気を出さない。
結局、いつもイージアが少し先でのろのろとやって来るレアを待つ事になる。
「だから、君の速さには追いつけないんだよ? 私を置いて行くのだけはやめてえ……」
遠ざかる彼女の悲鳴を聞きながら、彼は走って行った。
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「ああ暑い。ベリーホット。イージア、そのローブを一時的に貸したまえ」
アントス大陸は比較的高温多湿な地域である。彼らが歩いている龍海沿岸のグラン帝国領は特に高温であり、レアはあまりの暑さに辟易していた。
彼女は温度調整機能が備わったイージアのローブを羨ましそうに眺める。
「魔法でどうとでもできるだろう」
「いや、何でも魔法で全てを解決するのは人間味がない。せっかく人間の身体で行動しているのだから、それに準じた感覚を味わうべきではないだろうか……時折私はそう思うんだ。食事も、睡眠も、楽しむのが人間を器に選ぶ良さだと思わないか?」
「さあ……知らないな。そう言うならば、温度もそのまま体感すれば良い」
「それは違うよ。真夏に家へ帰って来た時、空調の冷気が身を包む感覚……それを私は味わいたい。君のローブを着ればきっと同じような感覚を体験できるだろう?」
彼女の謎のこだわりは理解できない訳でもなかったが、イージアはローブを誰にも譲渡する訳にはいかなかった。ほんの一時の貸与でさえ憚られる程に大切なものだったのだ。
「……すまない」
「ああ、分かってるよ、分かってる。貸せないのだろう? では、マントの下に入れてくれ」
彼女は無遠慮に背中のマントをまくり上げ、その下に潜り込んだ。それだけでも祝福の効果はあるようで、冷気が彼女の身体を包み込んだ。
「……やっぱり、仄かに林檎の香りがする。お腹が空いてくる香りだね」
「歩きにくい。涼んだら離れてくれないか」
「ああ、でも懐かしい香りだ。昔……林檎のお菓子を作ってくれる友人が居たんだ。この香りと、君の声を聞いていると……不思議と彼を思い出す」
イージアは林檎の菓子と聞いて、微かに甘い記憶を想起する。
だが、戻らない記憶は思い出すだけ無駄だと自覚し、すぐに記憶を振って歩み出した。
「林檎の料理なら私も得意だな」
「えっ……!? そもそも君、食事を殆どしないのに、料理なんて出来るのかい? 十年の付き合いなのに知らなかったよ」
「昔は食事をしていたからな。今は……腕は大分落ちているだろう」
「なら、今度私に料理を振舞ってくれよ。たとえ焦げた料理でも、君と食材に感謝して完食するよ。感謝の心を忘れないのが我が生涯の導だからね」
眼前、船着き場が見えた。
あの場所で船を借りてから『大深海魔境』に乗り込むことになる。
「まあ気が向いたらな。ほら、目的地が見えてきたよ」
「ああ、約束だよ」
小さな約束を交わし、彼らの旅は深海へと続く。




